認知症の人を叱ってはいけない。
言われた事は忘れても不の感情は残るから。
これは毎日肝に命じているつもり。
それでも、わかってほしくて言ってしまう時がある。
仕方がないと頭ではわかっていても、心が悲鳴をあげて口から出てしまうのだ。
もちろん叱咤とか罵倒ではなくて、
「〇〇されると〇〇になっちゃうから気を付けて」
とか、なるべくおさえ気味に。
そんな昨日のできごと。
私が十勝で買ってきたお土産のケーキがずっと食べかけで放置されていた。
もちろんお土産は母が食べない場合もあることを前提に買って来ているけど、
このケーキに関しては、母が食べたいと言った分を切り分けて、1/4くらい食べかけた残りのもの。
ねぇ?これ食べないの?
なにも食べたくないの (散々つまみ食いしたからだろーがっ
)
じゃあ、いらないの?
あげるわよ。食べちゃって
これ、私のお土産なんだけど
あ・・・でも今日は甘い物を食べる気分じゃないの
カチン
いやいや、さっき
ロールケーキ食べてた
よね
え?知らない
冷凍庫から出して凍ったまま食べてたよ。悲しかったんだから
・・・あなたがどんなに怒っても私にはわからないから
それでも言わないと伝わらないこともあるでしょ?
でもわからないから
わからなくても伝えたいこともあるの。わかるわからないの問題じゃない
あ~あ、またやっちゃった。
わからないんだから 追求してもムダ
だと悟ったばかりなのに。
その後も母がおかしな行動ばかりだったので2階へ非難しました
幸か不幸か、母自身は動物番組を見ながらケラケラ笑って機嫌も良さそうだったし。
そう。母はすぐに忘れてしまう。
以前、なにかのことで母を叱ってしまった時、
さっきは言い過ぎてごめんね。でも怒りじゃなくて悲しいから出た言葉なの
大丈夫よ。怒られた事すら忘れちゃうんだもの
と母は言った。
もちろん「忘れちゃうんだから何を言ってもいい」だなんて思ってない。
だけど、一緒に暮らしていると叱ってしまうことは絶対に避けられないのも現実。
言うにしてもなるべく冗談ぽく言うようにはしてるけど、
奇行を連発されると我慢も限界に達して言葉はきつくなる。
そんな時はどうしても、
「例え不の感情は残ったとしても、忘れてくれるのは有難い」と素直に思ってしまう自分がいる。
叱ってしまった日は布団の中で、「一晩寝たら忘れてくれてますように」と願い、
翌朝には勤めて何事もなかったようにふるまう自分。
そんな、だましだましの日常の繰り返し。日々葛藤