妖怪無職猫男 -12ページ目

子供というのは

父母が本葬に出かけた。
「仁梁兵衛(本名ではない。当たり前か・・・)のお昼はどうしようかしら?」と、母。
母さん、なんでもよござんす・・・。
白米があれば、塩かけて食べまする・・・。

台所に行く。
一昨日の残ったカレーを発見。

゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚ウキーッ!

ご馳走があるではないか・・・。

餌を食らった後、例によって散歩に出かける。
帰路の途中、下校中の小学生の群れと遭遇。
「さぷり、さぷり、なかとりさぷりッ!」
少女Aちゃんが、元気良くそう言った。
ほほ~う、IQサプリですな・・・。
「しずくッ!」
少女BちゃんがAちゃんに負けじと大きな声で答えた。
「さぷり、さぷり、なかとりさぷりッ!」
再び少女Aちゃん。
「ずかんッ!」
と、少女Bちゃん。

ん?
(゚Д゚≡゚Д゚)エ?
おや?

思わず立ち止まり、少女たちのやり取りに耳を傾ける。
すると・・・・・・・・・やはり。
聞き間違いではなく、答えているのはBちゃんだけ。
Aちゃんは「さぷり、さぷり、」と歌っているだけ。


Σ( ̄□ ̄;!!・・・・・・・・いいのか、それで?


二人が満足ならば、おれごときが口を挟む問題ではなく、
おれみたいな、むっさいおっさんが、
見ず知らずの女子小学生に
いきなり、「なんじゃそりゃぁッ!」と、ツッコミを入れる方が問題あるだろう・・・。

・・・・・・子供って不思議・・・・・・。

失踪するということ

よく、いじめられたものである。
小学校から高校まで、いじめられていない期間の方が短いだろう。
原因はわかってる。
小学生の頃、父の影響で乱暴者だったおれは、みんなから総スカンくらった。
まあ、嫌われるわなぁ・・・と、今は思う。
中学生の頃は、ゲイだったため。
これも仕方あるまい。世界的にみても理解を得るのは難しい問題だ。
そのいじめ方には問題あったけど、陰湿で、陰険で。
今思えば、いじめてる連中は、
サディスティックな性癖の持ち主だったのだろうと、卑猥な考えも浮かぶのだが。

最近のニュースなどを見て、思う。
「逃げちゃえばいいのに。」と。

おれも当時は、とても嫌だった。
が、それも中学校までのこと。
高校に入ると、男遊びに忙しく(良い子は真似しないように)あまり気にしていなかった。

子供の頃は世界が小さい。
家族、家庭、学校、友達・・・。
嫌ならば、学校など行かなくていい。
学校に行きたいならば、他の学校へ通えばいい。
日本にどれだけの数の学校があると思っているのだろう?
なにも、そんな根性悪いガキが集まってる学校へ行かなくても、
楽しく通える学校はいくらでもある。
教師や親が、役に立たないのなら、警察に駆け込んでもいい。
市役所でも、児童センターでも、近所のおじさんでもいい。
なんなら、法務局の人権相談に、いじめっ子と教師と親を提訴してしまえばいい。
まあ、ここまでくると大袈裟だが。
でも、自分の命は自分で守らないといけない。
親も教師も友達も、誰も守ってくれない。
大きな声で助けを呼ばなければ、誰も気づいてくれはしない。
待っているだけでは、正義の味方は現れないのだから。

おれは、生真面目だった。
いい子でいることが、おれの存在理由だった。
でも、それは、おれには向かない生き方だった。
本当の自分を偽っては生きてゆけないのだ。

そして、おれは逃げ出した。

失踪。

失踪とは、何もかも捨てること。
家族、友人、社会的地位、財産、プライド、そして自分からも。
一歩踏み出した瞬間、
ざざざざざざざ、と
頭から血の気が引く音、というものを初めて聞いたのを覚えている。

不思議と、とても冷静になった。
生まれて初めて、静かで落ち着いた気持ちになった。

今、考えれば、もっと早く、上手に生きて行くことも出来たのだと思う。
しかし、当時は、頭、おかしくなってたし(笑)
会社など辞めてしまえばよかったのだ。
親のことなど考えなければ良かったのだ。
人からどう思われようと、関係ない、と。


世界は、広い。


おれが、失踪して、知ったことだ。
着の身着のまま、いなくなって、それでも生きてゆけた。
とある駅で、柱の影にうずくまっていたら、ホームレスのおばちゃんに、林檎を貰ったこともある。

人は、どこででも生きてゆける。
行く気になれば、どこへでも行けるのだ。

おれはここからやり直す。
そのために戻ってきたのだから。
しかし、心は正直だ。
人ごみに入ると、ちょっと動悸がする。
一度捨ててしまった人生と向き合うのも、
非情にも一度捨ててしまった家族と向き合うのも、
崩れた心のバランスをとるのは、困難を極める。

ま、それも一興。
こういう人生もあるさ。
おれは、いまの自分を、結構、気に入っている。
散歩をしていると、昔の自分と違うんだと、感じる。
雲ひとつ無い青空を仰いだり、
綺麗な花が咲いていれば、ちょっと足を止めたり。
昔のおれは、そんな余裕も無かったのだ。

どうにかなる、ではなくて、どうとでもなる。
そう思う。
周りからは理解されないけどね(笑)
暗くなることも多いけど、しゃーないねぇ~、自分の人生だから。
ま、とりあえず、仕事はしないといけませんね・・・。

姉と義兄

通夜へ行って来た。
あまり親しくしていなくとも、よく存じ上げなくとも、
人の死というのは悲しいもの。
六十代半ば、今の世では、まだまだ早いお迎えだったと・・・。

姉の娘たち、その従兄弟たちは、まだ幼く、
おじいちゃんが亡くなった事、もう逢えないことが理解できず、
いつものように、笑って走り回っていた。

おれと姉は、仲の良い姉弟だと思う。
幼い頃はともかく、中学生の頃からは喧嘩をした記憶が無い。
まあ、そんなこんなで、家族の中では、おれの一番の理解者である。
カミングアウトしたのも姉が最初だった気がする(確か・・・そうだったと・・・。)
ちなみに、おれがゲイだと、父と姉は知っているが、母は知らない・・・・・・・らしい。
父は、例によって良識者ぶっているので、理解しているつもりでいるらしいが、
「女が好きじゃないからって恥ずかしがらなくていい、
 聞かれたら、あんまり興味ないとか言っとけばいいんだ。」
とか言っていた。

おれはゲイであることを、一度たりとも恥ずかしいと思ったことも無ければ、
誤魔化すつもりも更々無いのだがね・・・。

つまり、父は、おれのことが恥ずかしいらしい。と理解している。
ま、戦前生まれの男は、こんなものだにゃ・・・。

帰り際、義兄が入り口で見送りをしていたが、
笑顔だった。
逆に、おれの方が無表情で挨拶してしまい、
ただ、むっとしていると思われたかもしれない。

義兄は、おれとは違って真っ当。と、言うよりは、ちょー真面目な男。
堅い仕事を持ち、二女の父。三十そこそこでマイホームを建て、
自信に満ち、落ち着いた雰囲気の人。
ご想像の通り、おれとはあまり親しくない・・・。
いがみ合っている訳ではないが、いま一つな感じ・・・。
彼にしてみれば、おれのように、ただ生きているだけのような生活は、
理解しがたいものでしょうから・・・。

帰りの車中で、父が、
「お前は、明日の葬式どうする?」
と言った。
昨日は本葬には出なくていいと言っていたはず・・・。
「出た方がいいなら出るけど。」と、おれ。
「出なくてもいいんじゃないか?」と、あやふやな父。
まあ、義兄の父だから、おれにとっても義父になるわけではある。
おれとしては、姉の立場も、義兄の気持ちもあるだろうから、
こうして、どうして良いか聞いているのだが・・・。
・・・・・・結局、いかないことになった・・・・・・。