妖怪無職猫男 -14ページ目

母という人は、簡単に言うと、あたしンちの母そのものである。
正直、よくこの父と結婚したものだと思う。
サラリーマンの妻が似合う、普通の優しい、良い母だ。

ただ、猛烈な心配性だ。
おれは過去今まで、彼女から「大丈夫、心配しないで。」と安心させられたことがない。
「大丈夫?」「どうするの?」
人の不安を煽るのが大得意である。

今でこそ、愛情の裏返しである、と、納得できるのだが、
いかんせん、むかつくくらい心配性。

そのくせ、自分の事になると、人の言うことを聞かないのだ。
雨の日、ぐうたらな息子が珍しく
「雨だから、買い物、車だそうか?」と、聞くと、
絶対、断る。
頑固一徹。
これはおれに限ったことではなく、家族全員に対してそう。
車に乗って出かけた帰りにでさえ、
「帰り、スーパー寄ろうか?」
「帰ってから自転車で行く。」
と、こんな感じ。
自転車で行くと割引になるわけでもなかろうに・・・。

日曜日に求人広告に赤丸をつけて、おれに持ってくる。
前記したように、おれには不向きな仕事ばかりだ。
むげにはしない。
黙って受け取る。
いまだにおれを”いい子”だと思っているらしい。

おれは、35歳、ゲイ、無職、失踪経験ありの愚息ですよ~

父も母も、心配はごもっとも。
ごめんね。
でも、部屋に引きこもって、口もきかないよりはいいじゃない?
だって、おれは、まだ、絶望していないもの。
生きる気力あるもの。
仕事探す気あるもの。
ごめんね、としか言えないから、何も言わないけど。
何とかしたいと思ってるんだよ、

これでも。

おれは殴られて育った。
今、父は、孫娘を膝に抱き、ニュースなどで幼い子供が犠牲になる話題が出ると、
「ありえない、小さな子供を、」と、言う。
そんな時、おれは心の中でいつも思う。

(自分は散々殴ってきたじゃないか・・・。)

おれは小学1~2年生の時、登校拒否児だった。
今になって思えば、何がそうさせていたのか、思い出せない。
父は、おれに言うことをきかせるため、殴った。吹っ飛ぶくらい。
おれは、昆虫が嫌いだ。そんなおれに、父はビンの中に大きな蜘蛛を入れて、
「言うことをきかないと、これを這わせる。」と言った事があった。

あんたこそ、ありえない。

どうして登校拒否になったのかは覚えていないが、
どうして学校へ行き始めたのかは、覚えている。
ある日、父と母が、おれをどこかの施設へ預けようと相談しているのを聞いたからだ。
その日から、おれは、いい子になった。
その日からずっと、いい子を演じて、
無理が来て、破綻して、失踪してしまったがね・・・。
ほんと、子供への折檻はやめましょうね。
失踪しちゃいますよ。

父は、最終的には腕ずくで、という考えの人だ。
本人は知的で良識があると思っているらしい節がある。
小さい頃は、強いというイメージだったが、大人になってみると、
父が意外と小さな存在に見える。
板前だったが、店をつぶしてしまったし、稼ぎだって少なかった。
飲んで暴れて、母に皿を投げつけたこともあった。
口で言うほど良識があるわけでもない。
世間一般で言うところの、出来る男でもなかったし、強い男でもなかったのだ。
底が浅い、暴力男。

ま、それも過去の話。
恨んだ事もあったが、今はそうでもない。
大きな口を叩いていたのも昔の話。
今や、しがない年金暮らし。
孫を前にすれば、優しいおじいちゃんである。
折檻されたことも、それしかする術を思いつかなかったのだろうし。
父も若かったしね。
遊びに連れて行ってもらった記憶もあるし、写真だってたくさん残ってる。
愛されて育ったのは充分承知している。

父は、母ほど、おれに言ってこない。
以前、ちょっと、口論になり、折檻された話をしてやったことがあった。
それ以来、おれに対して、幾分、言い辛くなったようだ。
ときどき、
「しゃあねえなぁ・・・。」と、洩らすくらいだ。

ま、いいんじゃないですか、お互いに腹に一物ってのも。
腹を割って話すには、時間が経ちすぎてしまいました。
もう、今更、蒸し返すこともない・・・。
と、思ってる今日この頃、35歳、ゲイ、無職の愚息です。

街中を散歩

今日は9時半に起床。
珍しく、母と「おはよう。」と挨拶を交わす。
母がカルチャーセンターへ出かけた後、水槽の掃除をする。
緑亀が二匹。
五百円玉くらいの大きさだったものが、今や10cm以上ある。
金欠のため餌をケチっているのに、よく育つものだと関心・・・。

昼食はソース焼きそば。
母の作る昼飯は決まっている。
焼きそば、チャーハン、親子丼、オムライス、そば、うどん、など。
こんな息子のために暖かい食事を用意してくれる母に感謝しつつ、食す。

姉の旦那、義兄の父が危ないと連絡が入る。
もって後一週間くらいだそうだ。
五年前、軽い卒中で倒れ、再発したのだ。
倒れた後も、薬を飲めと言っても聞かない人だったらしいから
再発は当然の結果らしい。
複雑な心境。
親が居なくなるというのはどういうものか・・・。
考えたことが無かったわけではない。
こうして仕事もせずに暮らしていられるのは、まだ、親が健在だからだ。
わかっているなら何とかしろと言う人もいるだろうが、
何とかできるなら何とかしてるわい・・・。
ジレンマというのだろうが、今のところ、これが、おれの最大の苦しいところ。
仕方あるまい。こうなってしまったのだから・・・。何も無かったことにはできない。

午後、散歩に出かける。
以前は、運動不足解消のため、ダイエットのため、など言っていたが、
最近は、家にいるといたたまれないため・・・。
「一日中ごろごろして・・・。」
と、言われるのを避けるためである。
無用な衝突は避けたい。

街中、求人の張り紙がないかときょろきょろする。
できれば人が少ない街の商店あたりで、と、考えているが、この不景気。
街の商店街で求人などあるわけも無く。
母は、「人相手にしないところなら工場なんかがいい。」と、言うが、

母さん、工場は人が大勢います・・・。

どうやら、客相手の仕事以外と、認識しているらしい。
おれは、人、そのものを避けたいのだ。
月5万も貰えればいい(今のところ)
給料がどうの、社会保障がどうのと、贅沢を言っているわけではないが、これが逆に贅沢なのだろう。
広く求人している会社はいくらでもある・・・。
しかし、求人広告を出すような会社は、人が大勢いるものだ。

資格や特技があるわけじゃなし・・・。
親としては少しでもいい給料、少しでもいい会社と願うのは仕方なし。
おれの心理状態を推察できるくらいなら、もっとうまくコミュニケーション取れてるはずだしね。
お互いに。
親の心子知らず、
子の心親知らず。