晶來(あきら)です。

 

今日はいかがお過ごしですか?

 

 

読ませていただいている

皆さまのブログを、今まで

「非公開でフォロー」

としていたのですが

 

なんとなく、気持ちが変わって

少しずつ「公開でフォロー」に

切り替えています。

 

通知や申請などの

お手数をおかけしちゃうと

思いますがごめんなさい。

 

 

 

 

 

「月とみどり」のrinoちゃんと

息子・ぽよくんと過ごした

滋賀での一日を綴っています。

 

これまでの記事↓

 

 

 

今回の記事は

スピリチュアルな

仕様となっています。

 

苦手な方はお読みにならず

 

お読みくださる方は

 

そんな可能性も

あるのかもな~くらいの

 

お伽噺を開くように

お楽しみくだされば幸いです^^

 

 

 

 

私たちに「芹川ダムへ」と

コールをくれた主は

ダムの北方にあるお山に棲む

とある「龍」のようでした。

 

 

神様のいるお山に

所属する龍だそうです。

 

(でも、神様の眷属ではないみたい)

 

ここからは便宜上、

彼のことは「北の山の龍」と

呼びますね。

 

 

 

最初、グーグルマップで

芹川ダムを見たときに

その形に対して、私は

 

「コバンザメとか、

そういう魚の形に似てるかな」

 

という印象を持ったのですが

 

それに対して

「北の山の龍」からは

 

「ツバメの方が似ているよ」

 

とのこと。

 

 

 

確かに、改めてグーグル検索で

コバンザメとツバメのフォルムを

比較してみたら

 

確かにツバメに似ていたし

 

 

(ダムの南端が頭部で、

北端が尾羽ね)

 

(だからのヨアソビの

「ツバメ」でもあったのか。

メッセージの仲介役のガイドさんの

歌のチョイスが巧すぎる)

 

 

そしてコバンザメのフォルムは

全然似ていなかった。笑

(そもそものコバンザメの形態が

うろ覚えな私でした)

 

 

 

ここで素朴な疑問。

 

龍などの自然霊さんって

人間界の

物質的な生き物の姿や名前を

把握しているのかな?

 

 

(ちなみに、メッセージを

歌に変換し、私に伝えてくれている存在は

精霊・自然霊さんそのものではなく

その仲介や翻訳をサポートする

私のガイドさんです。

 

だから、ツバメっていう

日本語の名称そのものを

精霊さんが知っているわけでは

ないのかもしれない…たぶん)

 

 

私たちからは

龍の姿は

とても視えないけれど

 

どうも、向こうからは

物質的な体を持った人間や

生き物が視えるみたいですね。

 

 

ここで流れ込んできたイメージは

私たちが肉眼でくっきり視る

映像のようではなくて

 

 

 

 

光の明るく透けた薄布ごしに

ものを視るような感じで

こちらの世界を捉えている、

 

という感覚がありました。

 

 

触れ得そうで触れ得ない

まばゆく美しいもの。

 

 

意外に思ったのは

 

 

私の感覚からいうと

 

たとえば深い自然の中に宿る

目には視えない精霊たちの世界をこそ

触れそうで触れ得ない

光ある美しいものではないのかと

思えるのに

 

向こうからすると

 

私たちの世界の方が

そのように感じられるもの

なのでしょうか?

 

 

 

 

その中でも生命としての力や

想いの力の強いものは

よりくっきりと光輝いて見え

 

その逆のものは

どこか暗くおぼろげに

より不明瞭に

 

その光は、

個々のエネルギーの性質や

想いの力の種類によって

異なって見えるのだそうです。

 

 

(オーラかな)

 

 

この視え方?捉え方?は

それぞれの龍によって

違うのかというと

 

似ていることもあれば

違うこともあるのだとか。

 

 

 

 

 

 

1950年代以前

 

この土地が現在の

「芹川ダム」という形で

感慨用の貯水湖となるよう

手が加えられるよりも前は

 

小高い山間の峡谷に

芹川の支流となる小川が

南西に向かって流れ抜けており

 

その小川の水面の上を

駆け抜けて風を運ぶ

「龍」がいたのだそうです。

 

 

 

以後、この小川を駆ける龍を

「小川の龍」と称しますね。

 

 

 

「北の山の龍」は

「小川の龍」の長年の友達。

 

「小川の龍」も「北の山の龍」も

ともに同じ場所から生まれた

兄弟でもあるといえるでしょう。

 

 

 

人間が、農業の灌漑のために

小川を堰き止め

「芹川ダム」を作ったことで

 

「小川の龍」は

水面を駆け抜けることが

できなくなりましたが

 

かわりに小川からダム湖という

形を得た水場を

 

そのまま自分が維持し

守護するためのものとして

そこに鎮まることにしました。

 

 

どんな龍もそれぞれに

自然界の「循環」という

エネルギーのシステムを

護り、維持してゆくという役割を

持っているのです。

 

 

「小川の龍」が

駆け抜けていた小さな川は

もともと水田に引く水として

それまでも人間の営みの

そばにありました。

 

 

「小川の龍」にとって

人間は、自分の受け持つ小川の

恵みを喜び、

それをもとに生を営んできた

可愛い存在なのです。

 

 

 

 

自分の息づく場所、

棲まう場所の川の形を

変えられたことは

悲しくつらいことだったけれど

 

彼は人間の行うことにもまた

自分たちの暮らしを守るという

理由があることを知っており

 

許し、受け容れることにしました。

 

 

 

 

 

ところが

 

もともとの彼の本質は

小川の水面を

素早く煌めくように

夢中で駆け抜ける風として

自我を持った存在です。

 

 

堰き止められた

ダム湖に立つさざなみも

美しいけれど

 

彼が持ち得ていた

「これが自分」という

「龍」としての

輪郭や心は、だんだんと

弱くなってゆきました。

 

 

 

また、その場所の

自然のエネルギーが

枯渇したわけではないとはいえ

 

「流れる力」こそが

「小川の龍」の

エネルギーの源ですから

 

「ダム湖」という、

常時の流れの少ない水場にあって

彼の自然霊としての力もまた

弱くなっていったようです。

 

 

 

ゆっくりと衰えながら

「小川の龍」は

ダム湖を護るために

留まり続けたのでした。

 

 

幸い、芹川ダムの開発に関わり

周辺に住まう人々には

自然を愛する、

のどかな優しい心の

持ち主が多く

 

彼らは知らず知らず

「小川の龍」の意思を受け取り

その地の在り方に反映させました。

 

 

ダムの周囲一帯は

鳥獣保護特別区となり

それ以上の無用の人の手は

入らないまま

ひっそりと護られています。

 

 

野鳥を観察できる森として

ハイキングコースが

設定されていますが

 

訪れる人はとても少なく

それもまた、この一帯を守る

「小川の龍」の意思でした。

 

 

けれど、ときおり自然や鳥や

ダムの湖を本当に好きな

もの好きな人間たちが

この場所を訪れ

 

水面の色やこの場所の空気が

美しい、心地よいと言って

顔を輝かせることを

「小川の龍」は

「嬉しい」と思いました。

 

 

 

時代が令和に入り

 

ダムの耐震を強化するために

一度水が抜かれ

何年かをかけて

改修の工事が行われました。

 

 

これは「小川の龍」にとっては

ダメージの大きい出来事でした。

 

 

水の流れのエネルギーと

密接に結びついている

存在なので

長期間、水がゼロになる

という状況は

 

「小川の龍」の心臓にあたる

エネルギーを停止させられている

ような状態です。

 

 

 

ダムの耐震工事は終わり

今、またダム湖には

芹川から取水した水がいっぱいに

湛えられていますが

 

「小川の龍」はもう

「龍」という形ではなくなりました。

 

 

 

苦しいわけではないけれど

ただただ、体が重たくて重たくて

眠たくて仕方がないのです。

 

 

 

「小川の龍」のエネルギーは

「ツバメの形」に似てくぼんだ

この湖の形そのものになり

 

地下へと深く深く潜っていくように

地中に溶けて

大地と一体になりつつありました。

 

自分がとある

「小川の龍」だったという

意識は限りなく薄まり、

 

今度は形を変えて

この地を優しく見守る意識の

一部になるのです。

 

 

 

「北の山の龍」は

 

そんな「小川の龍」が

このまま、ひっそりと

「龍」という

自分の姿を忘れ

 

人間のだれにも

気づかれないまま

 

深い地の中に

沈んでいってしまうことを

残念に思いました。

 

 

 

 

 

誇りを持ち、

夢中でその役目を生きていた

自らの本来のエネルギー。

 

それを急速に変えてしまった

人間たちの営みを許し

受け容れて

 

その後もなお

ささやかな愛を

人に抱きつづけ

 

いつかはもっとより良い形で

自然に宿る意識も

人間たちも、意志を通じ合い

寄り添い合える

 

そんな世界が来るはずだと

夢を見続けていることを

 

 

人間たちにも

覚えておいてほしい。

忘れないでいてほしい。

 

 

そのように願いました。

 

 

そして、「小川の龍」が

得る眠りが安らかであること

その眠りの中で

大きな未来の夢を

見続けていて

ほしいということも。

 

 

幸いなことに

そのような精霊たちの想いや

願いを汲み、訪れることで

彼らを癒す人間

 

人間の世界と

自然の中に宿る意識の世界との

「橋渡し」をしようとする人間

 

そうしたある種の人間たちが

 

数こそ多くはないけれど

一定数、世界中に

配置されているのです。

 

 

 

「北の山の龍」の想いを汲み

自然に対して好意を持つ

ある種の人間たちが、その日も

ダムにやってきました。

 

 

その日、お墓参りに訪れた

柔らかな優しい瞳と空気感を持つ

とある親子は

気持ち良く、ダムの周りを

散策しました。

 

 

その日、趣味の創作の

パーツ探しを兼ねて

ダムにやってきた

マイペースで和やかな夫婦は

いつものようにダム湖の

美しい湖面と風を楽しみ

 

まるで龍の遺骨のように見える

「白い流木」を手に

嬉しそうに帰ってゆきました。

 

 

 

その日、岐阜と愛知から

初めてダムにやってきた

純粋な心を持つ3人は

 

ダム湖の景観を喜び

ふかふかの芝生の上で

笑顔で食事をとりました。

 

 

 

 

 

そして

ダム湖の底に融けてゆく

「小川の龍」へと

 

一人は歌を唄い

一人はオカリナを吹き

一人はダンスを踊って

 

楽しく穏やかな

心地よい気持ちと

いたわりと感謝の気持ちを

その場に残し

帰ってゆきました。

 

 

 

彼らはみな、「小川の龍」が

草木にも花にも鳥にも人にも

ささやかな愛と彩りを

与えていたように

 

この場所に対する

ささやかな愛と

想いの彩りを持って

訪れてくれました。

 

 

 

「北の山の龍」にできたことは

彼らがこの場所に向けてくれた

想いに対して

 

「風」をどんどんと強めてゆき

意志をこめて、樹々の葉を

ざわりと揺らすことだけ

だったけれど

 

 

「北の山の龍」が

「小川の龍」を想う心は

 

ますますの強い風になって

ダム湖の水面を駆け

 

その先の人の里へとも

吹き抜けてゆきました。

 

 

それは「小川の龍」の

大きな夢を乗せた

「春の風」だったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の主観的な感覚の話は

これでおわりです。

 

 

次回からは通常レポの形で・笑

つづく。