晶來(あきら)です。
今日はいかがお過ごしですか?^^
朝のひんやりとした冷たさから
日中は20度をゆうに超え
ほどほどの春をすっ飛ばし
初夏にも似た陽気に包まれている
ここ数日の岐阜市です。
そうそう、今まで
読ませていただいている
皆さまのブログは
「非公開でフォロー」
としていたのですが
なんとなく、気持ちが変わって
少しずつ「公開でフォロー」に
切り替えています。
通知や申請などの
お手数をおかけしちゃうと
思いますがごめんなさい。
「月とみどり」のrinoちゃんと
息子・ぽよくんと過ごした
滋賀での一日を綴っています。
これまでの記事↓
グーグルマップを開いた時に
涙アンテナの反応があった
「芹川ダム」という場所。
意識を寄せるたびに
くぅっ、と胸の奥から
何かがこみあがるように
涙がじわりと零れそうになる
その反応の「なぜ?」が気になって。
(だってダムやで・笑
もともと、さほど興味もない
分野ですから…)
なぜそちらに行く必要があるのか?
教えてくださいね、
と祈ってからの数日
ふとした瞬間や、リラックスして
家事をすすめている最中などに
いつものように「歌」を通して
断片的な情報が
いくつも届けられました。
Youtubeの音源とともに
反応あった歌詞を
紹介してゆきますね。
背景を色づけしてある文字は
特に反応が強めだった情報です。
まず、ひとつ目は
「遠き山に日は落ちて」
遠き山に 日は落ちて
星は空を 散りばめぬ
今日のわざを なし終えて
心かろく やすらえば
風は涼し この夕べ
いざや楽しき円居せん
闇に燃えし かがり火は
炎を今は 鎮まりて
眠れやすく 憩えよと
誘うごとく 消えゆけば
やすき御手にまもられて
いざや 楽しき夢を見ん
ふたつ目は
「パフ ザ マジックドラゴン」
<原曲>
Puff, the magic dragon
Lived by the sea
<日本語版>
パフ ザ マジックドラゴン
暮らしてた
低く秋の霧 たなびく入江
今回の「芹川ダム」の情報として
反応があったのは
歌詞の冒頭部分のみなのですが
もともと、この歌は聴くたびに
涙してしまう、大好きな
(だけど切ない・涙)歌なのです。
小学生の頃、音楽の教科書に
載っていたの。
最後まで歌おうとすると
いつも途中で声が詰まって
(涙があふれそうになって)
歌えなかったなあ…。
懐かしいなぁ…。
みっつ目は
「ツバメ」
この歌に関しては
一部を除いて
ほぼすべての歌詞に反応が
こみあがるものがあって。
・・・・・・・・・・
↑MVのこの映像に反応
僕らは色とりどりの命と
この場所で共に生きてる
それぞれ人も草木も花も鳥も
肩寄せ合いながら
僕らは求めるものも
描いてる未来も違うけれど
手と手を取り合えたなら
きっと笑い合える日が来るから
僕には今何ができるかな
誰かが手に入れた豊かさの裏で
帰る場所を奪われた仲間
本当は彼も寄り添い合って
生きていたいだけなのに
悲しい気持ちに飲み込まれて
心が黒く染まりかけても
許すことで認めることで
僕らは繋がり合える
僕らに今できること
それだけで全てが変わらなくたって
誰かの一日にほら少しだけ
鮮やかな彩りを
輝く宝石だとか
金箔ではないけれど
こんな風に世界中が
ささやかな愛で溢れたなら
何かがほら変わるはずさ
同じ空の下 いつかきっと
それが小さな僕の
大きな夢
よっつ目は
「リメンバー・ミー」
Remember me
おわかれだけど
Remember me
わすれないで
たとえ離れても心ひとつ
Remember me
遠く聞こえる
Remember me
ギターの音色は
優しく見守り 包み込む
この4つの歌を通して
なぜこの日「芹川ダム」に行ったのか。
こちらに呼んでくれた
「なにか」は
私たちに何を伝えたかったのか
そこで何を観、
何を感じてほしかったのか。
繋ぎ合わせて
私が解釈した内容については
シリーズの次の記事で。
いずれにせよ
私が綴っているのは、
本当に本当にあくまで
「私の主観的な感覚の世界」
の話なのです。
証明しようのない
視えない世界について
私の感覚を「正しいもの」として
誰かに押し付けたり、
信じてほしいという
想いは全くありません。
むしろ、あまりにも素直に
信じられてしまうと
『 大丈夫か?? 』
と心配に思ってしまうほどです。笑
本当にそうなのかどうかは
誰にもわからない。
私が語り綴る感覚は
お伽噺のように
読んでいただけたなら
幸いに思います(*^-^*)
つづく。