12月8日 | 久蔵

久蔵

落語と歴史のブログ

太平洋戦争開戦が近づいてきた、ジョン・レノンの命日と同日



海軍の目的を達成できなかった真珠湾奇襲攻撃は有名だが、同日陸軍の英領マレー半島進撃は大成功を収めたという

海軍は奇襲攻撃が主目的ではなく初戦で米空母を壊滅すること、その日真珠湾に米空母は集結して停泊という情報をつかんでいたが

空母はあまりにも少なくもしくは停泊しておらず空母を一艘も壊滅することができなかったという、誤情報は後に知ることになった

 

初戦ワンチャンスに賭けるくらいしか勝因のなかった帝国海軍は以降の不運を覚悟したことだろう

 

かたや陸軍の短期間での上陸占領作戦の功績は予想以上で、英米同時宣戦布告だった英は大打撃を受けたという

 



その頃、国内では国家総動員法・東亜新秩序・日独伊軍事同盟、大政翼賛会という世相で民間まで巻き込み

 

日常から笑いや余裕など文化的なことは規制され少なくなり暗い世の中になっていったという

戦線に派遣された『わらわし隊』は精神的に大きな救いだったことだろう

 

敵対していた独ソが不可侵条約を締結したことから欧州情勢は複雑怪奇と内閣は総辞職し混乱

 

陸軍内閣に引き継ぎ第二次世界大戦が勃発、欧州へは不介入中立維持で日中戦争真っ只中

 

 

日米関係を修復するため海軍内閣になるも、独の快進撃に呼応した関東軍を御仕切れず、対米中関係は泥沼化していった


在米日本資産凍結、対日石油輸出禁止、日米交渉最後通牒ハルノート、関東軍は海軍内閣の歯止めも利かず

 

太平洋戦争に突入せざるを得なくなり、日本の運命は陸軍大将東条英機内閣に委ねられた

 

1941年12月8日対英米宣戦布告、陸軍は英領マレー半島に進出、海軍は米ハワイ真珠湾を先制した

陸軍は南方ルート拡大に成功したが、海軍は目的の米航空母艦を一艘も壊滅することができなかった

 

 

日ソ中立条約と日米交渉、若手政財官人は全力で戦争回避を模索した、昭和十六年には如何にしても英米には勝てないと結論を出していた

にもかかわらず、前線の関東軍は独によるパリ陥落を機に仏領インドシナに進出し南方ルートを拡大していった

 

さらに独ソ不可侵を破棄しソ連に侵攻した独に呼応してソ連国境満蒙に進軍待機、独の快進撃はモスクワを陥落できる、と見誤った

 

以降大陸北部進出は断念することになる、独伊を除く欧米からますます経済制裁を受けていった

 

翌年、ミッドウェイ海戦で逆に空母・航空機・搭乗員まで壊滅され以降は劣勢、カイロ会談で戦後処理が合意され敗戦に向う

 

 

1945年夏、ヤルタ密約通りに日ソ中立条約を破棄してソ連が満州へ侵攻、ポツダム宣言を受諾し国体を護持し無条件降伏、戦後を迎える