大手町 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

社会人となって最初の勤務地は大手町だった、日本経済の中心という印象があった

 

現在の大手町再開発地区

 

都市伝説を諸先輩方々からいくつも聴いた、東京は同じ関東の千葉・埼玉・神奈川・北関東とはそりが合わないという

 

東京とは異なる地元意識が強いのだとか、関東⇔東京のような関係は神奈川⇔横浜にもあった、関西にも同じような関係の都市がある

 

箱根駅伝のスタート・ゴール地点にも近く応援に駆り出された、皇居マラソンというイベントにも参加した

 

 

都心の拠点は地方出身者比率が高い、純粋な江戸っ子はいない印象だった、親子三代江戸っ子サラリーマンなんかは皆無だと気付いた

 

東京とは地方出身者雑居でかき集めだと理解した、江戸の城下町や近代の帝都東京もそうだったのかと想う、戦後もそうだったのだろう

 

関東大震災後は旧藩の県出身者が帝都復興し高度経済成長期は地方出身者と在日外国人が担ったという、東京はその子孫らで大多数を占める

 

林立するビルの谷間の将門首塚

 

大手町での最初の職場はその縮図で当時の東京のほんのほんの一部を肌で感じることができたように想う

 

いろいろ聴いた伝説の中で衝撃的だったのは将門伝説だった、それっていつの時代?と想った記憶がある

 

当時も現在もビルの谷間に将門の首塚があり祀られ参拝者が絶えずここだけ時代が止まっているよう

 

 

歴史にはまるで興味がなかった、武士が成長した時代に源平が台頭し平家内一族の争いの物語だという

 

関東一円を制圧する内乱で将門は伯父の国香を殺害した、その復讐で国香の子の貞盛らに敗れ討死したという

 

 

将門の首は京の都に送られたが閃光とともに東に飛んだ?で、この周辺まで?

 

時を経て将門の崇りが江戸城下町開発事業や近代帝都復興事業にも影響したという


 

以来、現代も大手町のまちづくり都市開発や再開発には地鎮祭として祀る慣わしがある

 

この日は周辺の再開発着工式典が執り行われ、設計監理会社と施工業者代表責任者一行様が参拝している儀式の最中だった

 

 

その後、数年で異動し十年周期くらいで大手町周辺に戻るたびに再開発が進み街は変化しているが、将門首塚はそのまま変わらず都心の観光名所となっている