落語の世界 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

歴史に名を残した人の噺よりも普通の人々の日常生活を落語では多く語られている

 

 

元禄時代に衣食住文化が飛躍的に栄え、現在も食べている和食が誕生したという

農地は二毛作から三毛作も可能となり、千歯扱などの開発でちょっとした農業革命が起きた

城下町では特産名産品が出回り、全国から天下の台所の大坂に集められ、樽廻船で将軍のお膝元の江戸に運ばれたという


当時は沿岸海上交通が盛んで、流通コストは陸上交通の数百分の一くらいだったという

 

国産の絹は特別な時の晴れ着となり、木綿が輸入され綿製品が大流行した、畿内で綿花栽培を始め麻から国産綿織物の衣料革命も起こったよう

 

一日二食からお昼ご飯を食べるようになり、一日三食の習慣になったのは戦国時代の終わり頃からだという

 


江戸は神田日本橋、大坂は天満と雑魚場や堂島が市場となり見世棚も並んだ

そこに蕎麦・うどん、鮨・鰻・天麩羅などの屋台もでてきた、市場で働く人もお店の客もお昼は屋台で食べたという

 

帰りに寄席や茶屋に立ち寄るというのが上方と江戸町人の憩いの場となった

 

 

火災の絶えない繁華街は壊して延焼を防ぐという木造建築の利点を生かしたまちづくりとし、町火消しのいろは組が組織化された

落語にはたわいもない日常のネタがいろいろあるようで、今も昔も日本人の一般庶民の感覚はあまり変わらないんじゃないかと想う

 

歌舞伎や狂言などの文楽は当時でも高い娯楽でたまに観て、普段は落語で笑うのが常だったという

 

 

だから古典落語は笑える、当時の上方とお江戸は世界でも稀にみる戦争のない大都市となり、江戸の人口はいち早く百万人を超えたという

士・農工商・穢多非人という身分制度はあったものの町人が雲上の武士に憧れることもなく武士はしくじれば浪人となった

 

西洋や大陸の人種差別や奴隷という身分制から比べれば、日本は古来から奴隷制はあったものの馴染まず割合はより少なかったという

 

当時の町内告知板が読み解けるか?

 

黄金の国ジパングを訪れた南蛮人や明治のお雇い外国人は支配者と被支配者の関係が世界から観ても稀で驚異の国として憧れたという