坂下門 | 久蔵

久蔵

落語と歴史のブログ

大手門桜田門の中間点あたりに位置する坂下門

 

 

桜田門外の変で大老井伊直弼の暗殺後、老中安藤信正は久世広周と共に幕閣を主導したという

 

信正は直弼の開国路線を継承し幕威を取り戻すため公武合体を推進した

 

 

この政策に基づき幕府は孝明天皇の妹和宮降嫁を決定したが、尊王攘夷派志士らはこれに反発し信正らに対し憤激した

 

現在の坂下門前

 

安藤信正は江戸城坂下門外にて尊攘派の水戸浪士に襲われ負傷した、この事件が坂下門外の変(1862、文久2年)

 

 

職員の朝の通勤時間帯は皇宮警察騎馬隊の訓練の時間になっているよう、職員が馬で通勤しているわけではない

 

 

安藤信正の暗殺には失敗したものの、桜田門外の変に続く幕閣の襲撃事件は幕府権威の失墜を加速したという

 

 

この事件を契機として信正は老中を罷免され、隠居・蟄居を命じられ磐城平藩は減封された

 

桜田門方面へ

 

徳川幕府の権威はますます失墜し明治は目前となった