青物市場と魚市場 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

吉野家を撮った訳ではない

 



神田と天満が江戸と大坂の青果市場だった、神田市場は転々とし平成初期に大田市場に移転した


日本橋と雑喉場が東西の魚市塲だった、日本橋から築地に移転した魚市場はいま再び移転に出遅れてしまった



大坂は天下の台所、江戸は将軍のお膝元でそれぞれ世界有数の大都市だった

江戸は諸藩の寄せ集めで百万人を超える大江戸になった、東京遷都後は日本全国から若者が集まり大東京になった

 



大正後期には東京一極集中から西に分散し、大阪市が東京市の人口を一時上回り大大阪時代もあった、数年前の大阪都構想はなにわっ子自らが断念した

そしてかつて江戸湾だった近現代の象徴のような埋立地の大江戸湾岸エリアでの夏のオリンピック開催が決まってしまった

 

 

日本の台所は埋立地じゃなくても良いと想う、西日本と日本海側の台所に期待する

 

浅瀬の江戸湾は江戸時代から埋立をつづけ黒船と英仏露の侵入を防ぎ、幕末以降は欧米中の居留地とし現在は外資に提供している


江戸時代初期の東京湾