今回の記事は仏も神も信じない無神論者や不可知論者の方が読んでも気分が悪くなるだけだと思うので、死んだら無になり終わりと考えている方はこのブログを読まない方がいいです。
去年の8月に岸 田はアフリカに対し3年間で300憶ドル(日本円で4兆1,100億円)の支援表明をしたが、今月に入り今度はガーナに3年間で5億ドルの支援表明をした。
日本国民が物価高で苦しんでいるというのに日本国民には増税をして助けるどころか更に苦しめ、海外には湯水のごとく日本の大事なお金をばら撒いている…
いったいこいつは何処の国の首 相なのか?そして私たちは何のために高い税金を国に納めているのか?
こんな無能なろくでもない奴が総 理 大 臣の日本はもう終わっています…
そして何も考えずそれらの売国奴を支持している人ももう終わっています…
GESARAが来る!UBIだ!5次元新地球にアセンションだ!と未だに騒いでいる貪欲な人も、とっくに終わっています…
約2500年前にお釈迦様が予言した通りの世界に今はなっています。
今、私たちが見ているのは文明の終わりなんだと思う。なので現在はアヴィーチに堕ちる悪人が総 理 大 臣や政 治家になったりして悪が栄えて世の中がめちゃくちゃになっており、終わりに向かって時間の流れが異常に加速しています。
文明が終わる時はいつも多くの人々が亡くなるパターンがあります。それは大洪水であったり、核戦争であったり、地殻変動により大陸が海に沈没したりですが今回は〇〇チン〇〇が原因になるのだと思う……
でも次の文明は悪や不正が一切ない霊的な徳のある文明で人間の寿命も今の4倍くらい長くなるのがせめてもの救いです。
クリタ・ユガ 人間の寿命は400歳 苦行が最上
トレーター・ユガ 300歳 (神聖なる)知識
ドヴァーパラ・ユガ 200歳 供犠
カリ・ユガ 100歳 布施
しかしその完全なる徳の時代として生成される次のクリタ・ユガ(正法)の世界では人々は幸せに暮らしますが善人しかいない為、善業を積むことが難しく、ただ功徳を消費するだけになるのでカルマの法則により、次第に人間に霊的な堕落が起こり世界が少しづつ悪化していく…
そしてその文明もついには終焉し、トレーター・ユガ 、ドヴァーパラ・ユガの時期を経て、また最終的には時代の悪化が頂点に達する現代のような悪徳の世であるカリ・ユガ(末法)の時代になるというパターンで4つの時代は循環しています。
またその世界(宇宙)も成劫(天体が誕生して生類が出現する期間)、住劫(その世界が存続する期間)、壊劫(すべてのものが崩壊し無に帰していく期間)、空劫(それらが一切なくなった無の期間)という4つの期間を循環している。
なので今はそのサイクルの中の一つである悪人が幅を利かしている本当にクソみたいな汚濁の世になっている……
でもこの文明のいい所もあります。それは利他で善行を積めるということや悪業による業報が清算しやすいということ。また物質的肉体優位の時代なので過去から未来の時間の流れしかなく、過去に存在した如来の存在の法則の教えが現代にも聖典として書物で残っており、過去に涅槃した今は存在しない如来の教えを学ぶことが出来る。
それ故に過去世で仏に帰依し、修行して解脱と阿羅漢の覚りに到達したにもかかわらず涅槃しないで、衆生の救済と自らの如来の覚りを目指してまたサハー世界にやってくる菩薩といわれる存在も汚濁の悪世にしか転生してこない。
大乗非仏説がありますが、大乗経典はそれらの菩薩が編纂したと思っている。彼らは仏陀(お釈迦様の前の如来)に帰依し阿羅漢に到達しているので、仏陀をリスペクトしている為に新しい教義としてではなく、それらの教えをお釈迦様の仏教に組み込んだのだと思う。
今はお金で世界を支配している蝮の末やツイゲルビなどの悪人が悪さをしてこの世を地獄にしていますが、彼らのようなしょうもない連中がいるからこの世界は苦である低次元を維持して人々が仏陀の教えを学んだり、時間的に早く業報を清算したり、戒を守り苦を滅尽し三昧を修習して解脱しやすい環境になっています。なんとなれば、そのような連中がいなくなり、この世に善人しかいなくなると次元が上昇してしまい神々も見えるような善行も積みにくい天国になってしまうからです。
なので、無限に存在するどの末法の世界に生まれてきても必ずこのような悪人がその世界を支配していて悪世なのですが、やはり必ずその世界の過去にも如来が誕生していて、その経典が書物として残っておりその教えも広がっています。
人が生まれてきた時は過去世の記憶はなくなっていますが、過去で仏に縁があった者はその経典を因縁によりまた読む事になります。その人は過去に仏の教えへの疑いや五蘊を我とみなす見解、誤った戒律や修行への執着を絶った聖者への流れに入っている者(預流 )であり、もう退転することなくいつか悟りに達する。
ただ末法でも如来の教えは残っていますが、今日本にある仏教は本来の六道輪廻から抜け出して解脱し涅槃に至れというお釈迦様の教えが歪められて、仏を信じれば幸せになれるであるとか、お経の題名を唱えれば願いが叶うであるとか、願い事を仏に聞き届けてもらう加持祈祷など、全く教えが別物の外道になってしまっているので注意が必要です。
四無量心、すなわち相手に対する慈しみの心、憐れみの心、相手の幸福を喜ぶ心、誰に対しても愛憎なく平等である心があるかないかでその人が正しいかを判断出来ます。
この世界には沢山の人が住んでいますが、その中には一闡提といって仏典を読むことが出来ない成仏の素質を欠く、仏教に縁出来ない人々も多いです。
ほとんどの人は、この世界は何だろう?宇宙はなぜ存在するのか?何故自分は生まれてきたのだろうか?死んだらどうなるんだろう?自分は何者なのか?真我はどこに実在するのか?仏陀の悟りとは何か?など、考えることも探求することもなく人間の一生を終えてしまっている…
そんな中、この日本に人間として生まれて仏教に縁があり、貧しくとも仏陀の正しい教えを学んでいる人々はもうそれだけで正義の人であり人生の成功者だと思う。なぜならば、この仮想現実ともいえる現象世界はそれを学ぶ為だけに存在しているからです。それが人界受生の本懐です。
事業が成功して大金持ちになろうが、政治家になって権力を得ようが、世の人々の為に尽くすことなく、また仏教に縁がないのであれば、それらは何の価値もないです…
それらの価値観は地球をお金で支配している連中から植え付けられたものであって、私たちが描いている理想の幸せな人生というものは、仏の教えでは全否定されるものです。
この無常であり、苦であり、無我(非我)である世界から抜け出せ(解脱)というのが本来の仏教の正しい教えだと思います。
それを知れば、今世界で起こっているおかしなこと、政治家が国民を守るどころか不幸にしていたり、人の命や健康を守る医療従事者が変なものを人々に注射して病気にしたり殺していることは文明が終わる時に毎回起こるストーリーのようなものであり、大事なのはそんな汚濁な世界にあっても如来の残した存在の法則を学び解脱を目指すことだとわかり、それらに翻弄されたり悩まされることもなく私たちは生活出来ます。
なんかまとまりなく、自分でも何を言いたいのか途中でわからなくなってしまいましたが、以上が私の夢想です!
おわりです
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(夢想かよ!)
三世十方すべての如来と菩薩たち、独覚、聖なる声聞たちに敬礼したてまつる