に引き続き【その3】を綴ります。
今日も家メイクしてみた
【その2】では
夜のバイトを繰り返しながら
人生最大の痛みとなった社会勉強をしたことを
赤裸々に綴りました。
全て失った人生再スタートから
現在のわたしに至るまで
今回は綴ってみようと思います。
人生再スタートした数年間は
地元小田原からほとんど出なかった
しばらくは
夜バイトを転々としながら
借金を返す生活をしていたと記憶する
夜バイトは
「宴会コンパニオン」一つに絞り
(お店は向いてなかった)
コンパニオンは通算7〜8年働いたのかな
光を浴びた時間にも働きたいと
地元の
「フレッシュネスバーガー」
でもバイトを始めた
フレッシュネスバーガーでは5〜6年
働いたのかな
コンパニオンと
フレッシュネスバーガーの
二足わらじ生活がしばらく続いた
ヨガに通ったり
発酵料理にはまったり
バイク旅をしたり
ソロ登山をしたり
興味があるイベントへ行ったり
その時くらいから少しづつ
自分がやりたいことを
楽しむ生活にもなっていった
2008年と
2012年には
中型バイクで北海道一周ライダー旅もした
(また行きたい!)
そんな自由な生活にも
まんざらでもなかった反面、
夜の仕事は賞味期限があることの
自覚もあったし
安定収入でないことへのプレッシャーや
先々将来の不安等が
少しづつわいてくるようになった
ある時
「再就職をしよう!」
と思い立って
職安に行き、可能な限り
履歴書を送り面接しまくった
ただわたしの希望する職種は
前職での職務経験のような
「縫製内勤職」
だったので、
地元小田原での募集はない他
都内までエリアをひろげても
希望する職を募集しているところはほぼなく
エントリーしたところは
敷居が高すぎて落ちたり
なかなか就職先が決まらずにいた・・・
当時のわたしは
自分には才能も器量も自信もないしと
「仕事は雇われてするもの以外はない!」
と思いこんでいた。
しかし、
そんな就職困窮のタイミングで
その私を覆すきっかけをくれたのが
このお方で
そのご縁を繋いでくれたのが
このお方。
とあるイベントへ出かけた時
そのお方の
「メディスンカード」(タロット)
というのを初めて受け
・遊び(仕事も)
・自由
・無邪気
・ワクワク
・ラブ&ピース
・自分から発信
・自分がトップになって築いていく
当時そんなようなことをアドアイスもらい
「えぇぇぇぇーーー!」
てドキドキしながらも
そこで思い切って、
保険で受かったけど
あまり魅力を感じていなかった
縫製工場の仕事を直前で蹴って
「自分で仕事をやっていこう」
と決意し、
そこで、そこから
「今」へのわたしへと続く
「わたし」がスタートした。
振り返り、ああ懐かしいなぁ。
ただ、そうは言っても
いきなり稼げる訳でもないので
・コンパニオン
・フレッシュネスバーガー
はしばらく並行してバイトしていた
そこからの私は
自分の手作りの小物やアクセサリーを
思いつくままに作りはじめ
ご縁のあるイベントに出店したり
ご縁ある方達に細々と販売していった
ただ、
ハンドメイドの小物やアクセサリーは
バカバカ売れるものでもないし
「ものづくり」で生計を立てることは
安易ではないこともやってみてわかった
なんかパンチがある
定番となる商品を作りたいな・・・
そんな想いは募っていった。
作家生活をはじめてしばらくして
その時はきた。
当時
「自然療法」のお手当にもはまっていたりもして
それを学べるところに
「自然料理教室」もあったので、母にそれを進め
母がその料理教室に通うことになった。
料理教室初日、
付き添いでわたしも都内の現地まで同行した。
その敷地内には
自然食品や自然療法グッツ等も取り扱っていて
その売店で
「とある商材」
に出逢ってしまった。
料理教室も無事終え
付き添いのお礼にと母がその
「商材」を買ってプレゼントしてくれた。
その商材とは
良質遠赤外線を放射する
「天然火山鉱石」が練りこんである繊維シート
それを帰りの電車で眺めながら
「何を作ろうかな〜」
って妄想してみた
しばらく眺めていたら
「あ!これ!おりものシートに挟んでみよう」
ってとっさにインスピレーションが沸いてきた
そうなんです。
「子宮ほっかりんパット®」の原型が
そこで誕生したのです。
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