mikingこと永森美紀です。
 
 
2/1 
2月いっぴ
 
ということで、
今日は改めまして
「永森美紀」
の自己紹介について
わたしの人生を振り返りながら綴ってみます。
 
 
 
この自己紹介用撮影の為に1ヶ月以上ぶりにお化粧してみたw
やっぱりリアルタイムの私がいいかな、と思ってみたりして
 
 
 
なんかね、
これ、やろうやろうと
ずっと思っていたんだけど
なかなか出来ずに
自分の中での何かの「抵抗」があった。
 
 
まあ
単純に自分を振り返ることと
それを言葉に具現化する作業は
それなりのエネルギーと時間を要する、
ということ対しても
正直ちょっと面倒で
後回しになっていたことや
 
 
その作業エネルギー自体に
「オェっっ」
とする何かを感じていたみたい。
(色んなわたしを振り返るということで)
 
 
 
では。
 
 
まずは
出生地、現在住まいは
 
 
・神奈川県小田原市
 
 
生まれ育った実家に
2018年末に越してきて
現在一人暮らし
壁を漆喰で塗ったりと内装リノベーションがんばったのが既に懐かしい・・・
 
 
 
1978.4.3  生まれ
永遠の33歳キスマーク
 
 
太陽星座 牡羊座おひつじ座
月星座  水瓶座みずがめ座
 
 
血液型はO型
 
 
両親は2018年に二人共天国へと還り
 
 
現在家族は兄弟3人。
三つ上の兄と
二卵性双子の姉
 
 
私は末っ子です。
 
 
気質は
天真爛漫
自由きまま
 
 
芯の部分に対しては
根真面目ではあるけど
 
 
陽気なエネルギーで
周りを巻き込むパワーを発揮する時
そんな自分が大好きだったりします太陽
 
 
自分に対しても人に対しても
「愛」が結構奥深い
 
 
だから
それが吉と出る時と凶と出る時があるw
(人とのイイ距離感については
体当たりで色々学んできたんではないかと思ってます)
 
 
何かに「拘束」されるのが嫌で
とにかく「自由」をこよなく愛す
 
 
形の安心や安全ももちろん欲しいのだけど
それよりも何よりも
「自由」で在るために
常に冒険やチャレンジの繰り返し
 
 
つまり結構な
ジェットコースター人生
 
 
波乱万丈ともいうのかな波
 
 
じっとしてられないタイプで
思い立ったら
後先深く考えず
つい動いてしまう直感行動型
 
 
興味を持ったことは
一度は試してみるタイプ。
だけど、
一つのことに集中して深く掘り下げる
というより
広く沢山のことを経験したり吸収したりするタイプ
 
 
だから
飽きるのも割と早かったりもする
 
 
根っから興味があることに対しては
長く続いたりするけど
 
 
とりあえずやってみたけど
お蔵入りになってしまったことも
これまで結構あったかな・・・
 
 
何かを覚えたり飲み込み習得するまでには
人より時間がかかるんだけど
一度カラダが覚えたものに対しては
それなり、それ以上の
パフォーマンスを発揮する
 
 
手先を動かすことが小さい頃から好きで
何かを「自ら作る(生み出す)」ことは好き。
 
 
細かいことを丁寧にこなすことも
好きではまったりするのだけど
基本は大ざっぱ?!
 
 
適当=テキトウ
が好きだし憧れる
 
 
 
職人気質なのは
父方のおじいちゃんが
箱根寄木細工職人さんであったことの
血を引いてるんだと感じます
 
 
人をおもてなししたり
自分も楽しみながら
みんなと一緒に楽しめる空間作りが好きな器量は
母方の血を引いてるんだと感じます
 
 
 
 
では、
 
幼少期はちょっと省いて
学生時代の後からふり返ろうと思います。
 
 
ファッション服飾界隈では
メジャーな
文化女子大学を卒業後
 
 
とある
総合アパレルメーカーに就職。
その中の
インナー事業部に配属され
 
 
1年目は松戸の寮で憧れの一人暮らしを始め
「アクアシティーお台場」
の当時の直営店で下着の接客販売
 
 
2年目は
「京都」のインナー事業部、
商品開発室に転勤配属
いわゆるデザイナー・パタンナー業
 
 
憧れの素敵な職種に配属させてもらい
様々な経験をさせていただいたことは
本当に感謝でしかなかったんだけど
 
 
当時、精神疾患(うつ病)を患っていたのもあり
「仕事」の全てがプレッシャーとなり
薬の影響諸々もあり
 
 
教えてもらった仕事はうまく飲み込めない
物忘れは激しい
とっちらかって常に頭が真っ白状態
 
 
「出来ない自分」を責めまくり
不安が不安を招くという悪循環のサイクル
 
 
それでも、
私の直属の先輩はじめ
その周りの先輩方はとても親身に丁寧に接してくれたおかげで
なんとかかんとか与えられた業務をこなせていたんだと思う
 
 
だけどやはり
症状は悪化するばかりで
その後
一旦休職をさせてもらい
東京の北千住に引っ越し、療養し
 
 
休職半年後に復帰する際は、
「商品研究室」という
デザイナーが企画した商品の
試作サンプルや展示会サンプル等
工場発注する前段階の製品を
ミシンで縫製する
 
 
という部署へ
わがままにも移動させてもらった。
 
 
その時は東京に住んでいたので
東京のインナー事業部で
「ブラジャー」の試作のお手伝いを
見習いながら半年間させてもらった
 
 
その後、
長崎県の川棚町というところにある
当時の国内自社工場に
そこから半年間
「縫製工場研修」
に行くことになった。
 
 
縫製工場の現場の一員となり
おばちゃま方に囲まれながら
毎日ひたすら一日中ミシンを踏んでいた
 
 
インナーの脇や裾
ランジェーリーのパーツ合わせ
ショーツの接ぎ合わせ
ウエストゴムテープ付けなどなど
 
 
1日200~1000枚近く
縫っていた
 
 
当時の現場作業の経験は私のミシンスキルを
大幅にアップさせてくれたことに間違いない
 
 
そして
工場研修半年間の任務を終えた後
再び京都へ転勤。
 
 
工場での経験も生かしつつ
ショーツ・ガードル・ランジェリー
の師匠につきながら
それらのアイテムを担当させてもらった
 
 
工場での量産で学び経験することと
試作サンプル作りでの経験やはり全く違くて
 
 
その両方の側面から
実践経験させてもらったことは
本当に有難い経験でしかない
 
 
京都勤務を2年近くした後は
また精神状態が酷くなり
周りが見えなくなってしまって
5年半勤務したアパレルメーカーは退職した。
 
 
当時は、
鬱状態な自分自身にいっぱいいっぱいだった為
自分が不安定な中で
何度も何度も転勤があったことは
地に足がつかずに不安で仕方なかったことでも
あったんだけど
 
 
京都も長崎も
この経験をかりなければ
自分が住もうと思って
住みにいくような土地ではなかったと思うし
 
 
不安定な中でも
楽しく嬉しい経験や
素敵な人達とのご縁が沢山あったり
 
 
今の私を形成するにあたり
とても貴重な宝の経験の数々を
させてもらったんだと
本当に感謝の思いでいっぱいです
 
 
振り返ると、
下着を生産するにあたる一連の業務を
そのアパレルメーカーでは
一通り全て経験させてもらった
 
 
・接客販売
・デザイナー、パタンナー
(ほぼこなせなかったけど・・・)
・試作サンプル縫製
・工場現場縫製
・縫製明細書作成
 
 
この全てを経験できるって
なかなかないとことだと思うし
本当に貴重な宝の体験をさせていただいた
(沢山の土地に住めたことも含め)
 
 
それが今の私に全て生かされている。
 
 
 
 
退職後
再び東京に引っ越しをしたんだけど
その9ヶ月後に
生まれ育った
「神奈川県小田原市」
へ帰ってきた。
 
 
それがたしか28か29歳の時。
 
 
7〜8年間飲み続けていた
抗鬱剤や精神安定剤は
地元に戻ってきたのがきっかけとなり
自然と少しずつ手放せるようになり
1年足らずで全て手放すことができた。
 
 
当時、
たしか1日12〜3錠くらい飲んでいたかと
記憶していて
一生飲み続けることになるかと
不安や恐怖を抱いていたけれど
薬を全部手放せる日はちゃんときた
 
 
だからもし今、
当時の私と同じような境遇にいたりする方達が
もしもいたとしても
絶対大丈夫だから!
 
 
ということは自信を持って
伝えたいかな。
 
 
 
当時の職務経験や心情を綴ったのは
その先の
今現在の
わたしの人生に於いては欠かせない
「仕事」を
生み出す為に必要不可欠な経験であったから
 

だけど
綴り始めたら
まだまだ終わりそうにない・・・
 
 
長くなりそうなので
この後、
今現在のわたしへと繋がる経緯を
再び綴りたいと思います。
 
 
後編(その2)へ続きますハート
 
 
 
 

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代表 永森 美紀