― 映画と詩の論理 ―

「映画で私をなによりも魅了するのは、詩的関連、詩の論理である。詩の論理こそ、芸術のなかでもっとも正当で、詩的なものである映画の可能性に答えるものだと、私は思う。

この詩の論理は伝統的なドラマトゥルギーよりも、私に近い。伝統的なドラマトゥルギーは線的で、論理的に首尾一貫したプロットの展開によってイメージを関連づけるが、出来事のそのような、こやかましいほど<正確な>関連づけは、普通、独断的な見込みと、抽象的な、ときに教訓的な判断に強制されて生まれる。登場人物の性格がプロットを決定している場合でも、そのような関連づけの論理は、人生の複雑さを単純化することに依拠して組み立てられている。」


― 映画と音楽 ―

「映画的映像を真に音楽的なものにするために、音楽は捨てなければならないのかもしれない。というのは、厳密に言えば、映画によって変形された世界と、音楽によって変形された世界はパラレルな存在であり、お互いに衝突しあうからだ。よく響く世界は、映画のなかに適切に組織されたとき、本質的に音楽的である。そして、それこそ映画の真の音楽なのだ。」


― 俳句と短歌 ―

「日本の古典詩が、つねに私を驚かせるのは、それがイメージの最終的意味を暗示することさえ原理的に拒絶していることです。(中略)俳句や短歌は、それ自体のほかにはなにも意味していません。にもかかわらず、非常に多くのことを意味しています。」


― 映画の特殊性 ―

「映画はなによりもまず、刻みこまれた時間である。(中略)ここにこそ、映画芸術の特殊性を見出すべきであろう。他の芸術のなかで、映画と比較的近いのは音楽である。しかし音楽において、時間は全く別の形で解決される。音楽において、生きた素材は、完全に消滅する一歩手前のところに存在している。映画の力は、時間が、絶えず日常的にわれわれを取り囲んでいる現実の素材それ自体との現実的で分かち難い関係のなかで捉えられているという、まさにそのことにある。」


アンドレイ・タルコフスキー(1932-86)
新宿溝口クリニックで2回目の受診へ行ってきた。前回の検査の解析結果をもらい、医師による説明と、栄養士によるカウンセリングを受けた。

検査の結果は、なんだかありとあらゆる栄養素が不足しているというような感じで(まあ、なんとなくそんな感じはしていたが・・・)、特にビタミンB群、亜鉛、鉄、たんぱく質、コレステロール、ビタミンDが足りないということで、まんべんなくサプリメントを処方してもらった場合の月額なんと約9万円。

いや、無理でしょう普通は。
払える人いるの?という感じ。検討しますということで帰ってきました。

ただ誤解のないように言っておくと、クリニックの説明はとても丁寧で、押し付けがましい(サプリを買うことを迫られるような雰囲気)は全くなく、どんなに少量でも意味がないわけではないので、予算の範囲でご相談下さい、ということだった。

なおサプリメントではなく、健康保険が適用になるビタミン製剤等を代わりに処方してもらう場合、月額6,000円から8,000円くらいで済むらしい。ただ、ビタミン製剤には補助的な栄養素が含まれていなかったり、そもそも処方できない栄養素もあるのとのこと。

今回不満に思ったのは、サプリの価格ではなく、なぜ僕がそんな栄養障害に陥っているのかという点について、何も説明や解釈がなかったこと。こんな大量のサプリを投与してやっと栄養状態を保てる僕の身体って、一体どういう状況なのか?って、普通の人なら当然疑問に思うはず。

その点を解決できないなら、栄養療法も単なる対症療法にすぎないのでは・・・。
今回の悪化で症状が特に激しく長いのは、手のひらと脚のアトピーだ。

昔は、手のひらは、他の部分の症状がどんなにひどくても、手のひらだけは安全地帯のように何も炎症が出ないのが普通だった。脱ステロイドの時、手の甲は赤黒く籠手をつけたようにひどい炎症に覆われていた時でさえ、手のひらはしわにそって少し皮がむけたり赤くなったりした程度だった。

2005年ころから、症状がひどくなった時に手のひらに炎症が出るようになった。はじめはしわに沿って皮膚がガサガサに乾燥して赤くなる程度だったのが、気がつくと手のひらの中央にコイン大の炎症が。症状が出るのはいつも決まって右手。

それでも、今までは炎症といっても乾燥して切れるくらいのものだった。それが今回は、炎症部分の皮膚の表面が溶けたようになり、浸出液が出続けている。患部を洗ってよく見てみると、皮膚の表面が斑に迷彩塗装のようにはがれて、そこから浸出液が出ている。なんなのだろう、これ。皮膚がもう皮膚であることを放棄したような感じ。

そんななので、患部に5、6センチ四方に切ったサランラップを貼り、その上に包帯をして暮らす状態で、もう4ヶ月だ。いろいろ試した結果、ガーゼや救急絆創膏だと、浸出液が固まって患部に張り付いて痛かったり、患部の大きさに合わなかったりで、結局サランラップが患部に食い込まず、大きさも自由で安価なので、それを使っている。

会う人会う人に「手、どうしたんですか?」と聞かれるので面倒だ。「アトピーがひどくて・・・」と言ってもだいたい「はあそうなんですか・・・」と相手はイマイチ合点のいかない様子。

いったいこの手のひらで、何が起こっているのだろう。患部のすぐ隣の皮膚は至って健康なのに。