宮崎駿監督が児童文学について語った本。
友人から教えてもらって読んだところ、素晴らしい内容で、宮崎監督への尊敬と信頼をますます深くした思い。

2部構成で、第1部はスタジオジブリで非売品として作成された小冊子「岩波少年文庫の50冊」をもとに、宮崎監督の簡潔で愛情あふれる推薦文が、本の表紙や挿絵とともに50冊分まとめられている。第2部は宮崎監督への複数のインタビューを再構成したもの。

その第2部は、児童文学について語っているものではあっても、自然と内容は作家としての宮崎監督の考えや現代社会批判にも及ぶ。大人の読者としては、やはり第2部が興味深い。

本として決して長くはないが、内容は濃い。引用したくなる印象的な箇所がたくさんある。長くなるがいくつか紹介する。

宮崎監督は、「大人の小説」が読めないという。
「結局、僕は大人の小説には向いていない人間だということを思い知らされました。何でこんな残酷なもの を人は読めるのだろう、と疑問に思ってしまってね。児童文学のほうがずっと気質に合うんです。児童文学 は「やり直しがきく話」なんです。(中略)そういう児童文学のほうが、自分の脆弱な精神には合ったんです ね。そう思うしかない。それで、もう本当に小説は読まなくなりました。」(70頁)
宮崎監督は、児童文学を「やり直しがきく」文学と位置付ける。
「正確に言うと、もう今では、「やり直しがきかない」という児童文学もずいぶん生まれているんです。しかし少なくとも戦後岩波少年文庫がスタートしたころは、「人生は再生が可能だ」というのが児童書のいちばん大きな特徴だったと思うんです。何かうまくないことが起こっても、それを超えてもう一度やり直しがきくんだよ、と。たとえいま貧窮に苦しんでいても、君の努力で目の前がひらける、君を助けてくれる人間があらわれるよ、と。子どもたちにそういうことを伝えようと書かれたものが多かったと思うんです。そうじゃないでしょうか。」(162頁)
しかし、現実の社会は、ますますやり直しがきかないものになっている。宮崎監督は、どう感じているのだろう。

僕が最も感動したのは、次の箇所だ。
「子どもにむかって絶望を説くな」ということなんです。子どもの問題になったときに、僕らはそうならざるを得ません。ふだんどんなにニヒリズムとデカダンにあふれたことを口走っていても、目の前の子どもの存在を見たときに、「この子たちが生まれてきたのを無駄だと言いたくない」という気持ちが強く働くんです。子どもが周りにいないと、そういう気持ちをすぐ忘れてしまうんですが、僕の場合は隣に保育園があるから、ずっとそう思ってなきゃいけない(笑)。この時期に隣に保育園があってよかった、とほんとうに思います。子どもたちが正気にしてくれるんです。」(163頁)
歳をとってくると、自分ではどうにもできないことの多さを、否応なく思い知る経験も増える。諦めてしまいそうになるけれど、かろうじて、子どもたちの不幸だけは「許せない」「なんとかしなければ」という感情が働くのに気づく。だから、宮崎監督の上の文章にはとても共感する。

映画づくりについて。
「僕らの課題は、自分たちのなかに芽ばえる安っぽいニヒリズムの克服です。ニヒリズムにもいろいろあって、深いそれは生命への根源への問いに発していると思いますが、安っぽいそれは怠惰の言いのがれだったりします。僕らは、「この世は生きるに値するんだ」という映画をつくってきました。子どもたちや、ときどき中年相手にぶれたりもしましたが、その姿勢はこれからこそ問われるのだと思います。生活するために映画をつくるのではなく、映画をつくるために生活するんです。」(156頁)

「今ファンタジーを僕らはつくれません。子どもたちが楽しみに観るような、そういう幸せな映画を当面つくれないと思っています。風が吹き始めた時代の入口で、幸せな映画をつくろうとしても、どうも嘘くさくなってだめなんです。(中略)こういう時代でも、子どもたちが「ほんとうに観てよかった」と思えるファンタジーがあるはずですが、今の僕には分りません。それが分かるまでにあと数年はかかります。それまでスタジオは生き延びなければならない。いったい、僕はいくつになっているのか(笑)。生き延びるために「コクリコ坂から」後の次の映画にとりかかっていますが、スタジオの大きな墓穴を掘っている可能性はおおいにあるわけです(笑)。」(158頁)

こうして読んでみると、宮崎監督は、僕が思っていた以上に、自分の映画を子どもたちのために作っていたのだと分かった。アニメーション映画以外では大人向けのものも少なからずあるのだから(コミック版「ナウシカ」や「妄想ノート」など)、映画は子どものためのものとはっきり目的を定めているのだろう。

また、次の箇所からは、宮崎監督が個人的な動機や体験に基づく映画作りをしていないことがよく分かると思う。
「僕は、映画の未来とか、そういうことについてはあまり絶望などはしていない。そんなことよりも、お前が何をつくれるんだとこう、いつも問い詰められています。自分で自分を問い詰めなきゃいけないし、もうこの歳だし、出来ることと出来ないことがすでに明瞭になっていると思うので、力を尽くすしかありません。僕らはまあ、色々やってきました。でもそれは今から思うと、のんきなものなんです。きびしい時代にきたえられたものではありません。」(166頁)
この点が、宮崎監督の後の世代の押井守監督や庵野秀明監督とは大きく異なるところだと思う。

ところで、上で書かれていた「生き延びるための映画」が、この夏公開された「風立ちぬ」ということになる。先日、宮崎監督はこの作品を最後に引退することを発表されたが、生き延びた後に作られるべき新しいファンタジーは、どうなってしまうのだろう。後の世代に託すということなのかもしれないが、やはり宮崎監督の考える新しいファンタジーを観てみたかった。

この本を読んだ人はみんなそうだと思うけれど、児童文学をとても読んでみたくなって、早速図書館で「クマのプーさん」、「イワンのばか」、「ニーベルンゲンの宝」を借りてきて読んだ。全部とても面白かった。いずれその話はまた書くつもり。
著者のピエール・テイヤール・ド・シャルダン(1881-1955)は、フランス人のカトリック司祭(イエズス会士)で、古生物学者・地質学者、さらには、思想家・哲学者。イエズス会士でありながら、進化論を支持し、科学者として人間の進化の研究で大きな業績をあげたため、教会からは国を追われ、生前は著作の出版も許されなかった。

私がシャルダンを知ったきっかけは、友人が教えてくれたサン=テグジュペリの『人間の大地』という本の訳者あとがきで、シャルダンのことがとても私の興味をひくような書きぶりで紹介されていたからだった。肝心のその紹介の内容については、忘れてしまった。確認しようと思って本棚から引っ張り出してみたところ、それは堀口大学訳の『人間の土地』新潮文庫版で、確認できなかった。私は図書館でみすず書房の『人間の大地』を読んで、その後新潮文庫版(これはこれで宮崎駿監督の短文が読めるので、貴重)を買い求めたらしい。

さて、シャルダンの主著は『現象としての人間』(1955)で、だいぶ昔読んだときにはかなり難解に感じた。本書は、訳者あとがきによるとソルボンヌ大学での講義のためにまとめられたものとのこと。『現象としての人間』よりも簡潔で読みやすい。本書の末尾には「パリ、1949年8月4日」との記載がある。

本書で主張されている科学者としてのシャルダンの思想は、およそ次のようにまとめられると思う。
宇宙は本来的にそれ自体進化するものであり、それにともなって「複雑化」する。極めて均一の原始的宇宙が、原子や分子を生み、惑星を生み、ついには生命を生むのは宇宙の進化の現れである。人間はその宇宙の進化の最先端にあり、いまだ進化を続けている。しかしそれはもはや生物学的なものではなく、精神的なものであり、最終的には惑星全体を覆う「精神圏」を生む。

シャルダンのイメージは鮮烈で、壮大。私という存在は、宇宙が組織化・複雑化した結果、必然的に現れたものだという考えには、大きく影響を受けた(関連記事「意識の元素」 )。

ただ、自然科学上の主張として考えると、現在ではもちろんのこと、当時でもやはり厳密な検証に耐える性格のものではなかったように思う。

私が一番問題があると感じたのは、宇宙を進化させる力とは、一体何かということ。力というからには、物質に現実に働きかける何かでなくてはならないが、シャルダンはその点特に説明していないし、無論そういった力は現在見つかっていない。

もうひとつは、宇宙が複雑化=進化し続ける、という主張。しかし、地球上で私達が観察できる進化は、宇宙が極端な低エントロピー状態から始まって「熱的な死」へ向かう途中の状態に過ぎないのであって、いつまでも宇宙が複雑化し、システム化し続けると考えることは、できないだろう。

シャルダンは、こうした人間の未来を、希望に溢れたものととらえたと思う。この点は、私とは大きく違う。私は、自分が死んだ後、どんなに人間が進化しようと、私自身が何も知ることができないまま死ぬなら、何にも意味がないと感じる。それが結局、神を持つ人と、持たない人の違いなのかもしれない。私にとっては、私が死んだ後の世界が存在しているのかどうか、それすら疑問だ。

いかに人間の可能性が大きく、未来が明るくとも、私を含むほとんどの人間はそれに与ることなく死んでしまう。シャルダンのような思想においては、そうした人間たちの生命は、どのようにして報われると考えるのだろう?他の著書には書いてあるのだろうか。

シャルダンはそうした破天荒な主張をしたために、怪しげな疑似科学のような扱いを受けることもあるようだ。しかし、シャルダンと北京原人の発見を描いた『神父と頭蓋骨』(アミール・D・アクゼル著、2010)のような本を読むと、シャルダンがいかにプロフェッショナルな科学者で、厳しい鍛錬を受けた人だったかということが分る。単なる偶然の堆積とは到底考えられない進化のエネルギーを、シャルダンは膨大なフィールドワークのなかで実感していたのだろう。

<関連記事> 「意識の元素」
最近、左手を前人に伸ばしたときに、左脇の下から左手肘内側にかけてつっぱるような痛みを感じるようになった。
アトピーで掻いたた時のかき傷が痛んでいるのだろうと思って大して気にしていなかったのだが、日が経っても痛みが消えない。おかしいと思って痛む部分をさわってびっくりし た。

左脇から左肘へ向かってピーンとワイヤーのように何かが皮膚の下を通っているのが指に触れる。肘を伸ばすとそれがつっぱって痛む。無理に伸ばそうとす るとその何かがブチンと切れそうで怖い。

ここのところ身体の異常が続いているのでヘンな病気でないかと心配になってネットで調べていたら、まさにぴったり の症状が見つかった。

モンドール病というらしい。
治療はというと、放っておくと1ヶ月くらいで自然に治癒するらしい。
ほんとかなと心配しながら放置した ら、確かにいつのまにか消えてしまった。不思議な病気だ。あの硬いワイヤーのようなものは何だったのだろう。血管?筋?

モンドールという医師が発見したの でモンドール病というそうだが、かなり珍しい症状のうえ、放っておくと治ってしまうので、あまり研究が進まず、はっきりした原因は不明とのこと。

まあ治ってよかったけれど、身体というのはいろんなことが起こるものだ。