宮崎駿監督が児童文学について語った本。
友人から教えてもらって読んだところ、素晴らしい内容で、宮崎監督への尊敬と信頼をますます深くした思い。
2部構成で、第1部はスタジオジブリで非売品として作成された小冊子「岩波少年文庫の50冊」をもとに、宮崎監督の簡潔で愛情あふれる推薦文が、本の表紙や挿絵とともに50冊分まとめられている。第2部は宮崎監督への複数のインタビューを再構成したもの。
その第2部は、児童文学について語っているものではあっても、自然と内容は作家としての宮崎監督の考えや現代社会批判にも及ぶ。大人の読者としては、やはり第2部が興味深い。
本として決して長くはないが、内容は濃い。引用したくなる印象的な箇所がたくさんある。長くなるがいくつか紹介する。
宮崎監督は、「大人の小説」が読めないという。
僕が最も感動したのは、次の箇所だ。
映画づくりについて。
また、次の箇所からは、宮崎監督が個人的な動機や体験に基づく映画作りをしていないことがよく分かると思う。
ところで、上で書かれていた「生き延びるための映画」が、この夏公開された「風立ちぬ」ということになる。先日、宮崎監督はこの作品を最後に引退することを発表されたが、生き延びた後に作られるべき新しいファンタジーは、どうなってしまうのだろう。後の世代に託すということなのかもしれないが、やはり宮崎監督の考える新しいファンタジーを観てみたかった。
この本を読んだ人はみんなそうだと思うけれど、児童文学をとても読んでみたくなって、早速図書館で「クマのプーさん」、「イワンのばか」、「ニーベルンゲンの宝」を借りてきて読んだ。全部とても面白かった。いずれその話はまた書くつもり。
友人から教えてもらって読んだところ、素晴らしい内容で、宮崎監督への尊敬と信頼をますます深くした思い。
2部構成で、第1部はスタジオジブリで非売品として作成された小冊子「岩波少年文庫の50冊」をもとに、宮崎監督の簡潔で愛情あふれる推薦文が、本の表紙や挿絵とともに50冊分まとめられている。第2部は宮崎監督への複数のインタビューを再構成したもの。
その第2部は、児童文学について語っているものではあっても、自然と内容は作家としての宮崎監督の考えや現代社会批判にも及ぶ。大人の読者としては、やはり第2部が興味深い。
本として決して長くはないが、内容は濃い。引用したくなる印象的な箇所がたくさんある。長くなるがいくつか紹介する。
宮崎監督は、「大人の小説」が読めないという。
「結局、僕は大人の小説には向いていない人間だということを思い知らされました。何でこんな残酷なもの を人は読めるのだろう、と疑問に思ってしまってね。児童文学のほうがずっと気質に合うんです。児童文学 は「やり直しがきく話」なんです。(中略)そういう児童文学のほうが、自分の脆弱な精神には合ったんです ね。そう思うしかない。それで、もう本当に小説は読まなくなりました。」(70頁)宮崎監督は、児童文学を「やり直しがきく」文学と位置付ける。
「正確に言うと、もう今では、「やり直しがきかない」という児童文学もずいぶん生まれているんです。しかし少なくとも戦後岩波少年文庫がスタートしたころは、「人生は再生が可能だ」というのが児童書のいちばん大きな特徴だったと思うんです。何かうまくないことが起こっても、それを超えてもう一度やり直しがきくんだよ、と。たとえいま貧窮に苦しんでいても、君の努力で目の前がひらける、君を助けてくれる人間があらわれるよ、と。子どもたちにそういうことを伝えようと書かれたものが多かったと思うんです。そうじゃないでしょうか。」(162頁)しかし、現実の社会は、ますますやり直しがきかないものになっている。宮崎監督は、どう感じているのだろう。
僕が最も感動したのは、次の箇所だ。
「子どもにむかって絶望を説くな」ということなんです。子どもの問題になったときに、僕らはそうならざるを得ません。ふだんどんなにニヒリズムとデカダンにあふれたことを口走っていても、目の前の子どもの存在を見たときに、「この子たちが生まれてきたのを無駄だと言いたくない」という気持ちが強く働くんです。子どもが周りにいないと、そういう気持ちをすぐ忘れてしまうんですが、僕の場合は隣に保育園があるから、ずっとそう思ってなきゃいけない(笑)。この時期に隣に保育園があってよかった、とほんとうに思います。子どもたちが正気にしてくれるんです。」(163頁)歳をとってくると、自分ではどうにもできないことの多さを、否応なく思い知る経験も増える。諦めてしまいそうになるけれど、かろうじて、子どもたちの不幸だけは「許せない」「なんとかしなければ」という感情が働くのに気づく。だから、宮崎監督の上の文章にはとても共感する。
映画づくりについて。
「僕らの課題は、自分たちのなかに芽ばえる安っぽいニヒリズムの克服です。ニヒリズムにもいろいろあって、深いそれは生命への根源への問いに発していると思いますが、安っぽいそれは怠惰の言いのがれだったりします。僕らは、「この世は生きるに値するんだ」という映画をつくってきました。子どもたちや、ときどき中年相手にぶれたりもしましたが、その姿勢はこれからこそ問われるのだと思います。生活するために映画をつくるのではなく、映画をつくるために生活するんです。」(156頁)こうして読んでみると、宮崎監督は、僕が思っていた以上に、自分の映画を子どもたちのために作っていたのだと分かった。アニメーション映画以外では大人向けのものも少なからずあるのだから(コミック版「ナウシカ」や「妄想ノート」など)、映画は子どものためのものとはっきり目的を定めているのだろう。
「今ファンタジーを僕らはつくれません。子どもたちが楽しみに観るような、そういう幸せな映画を当面つくれないと思っています。風が吹き始めた時代の入口で、幸せな映画をつくろうとしても、どうも嘘くさくなってだめなんです。(中略)こういう時代でも、子どもたちが「ほんとうに観てよかった」と思えるファンタジーがあるはずですが、今の僕には分りません。それが分かるまでにあと数年はかかります。それまでスタジオは生き延びなければならない。いったい、僕はいくつになっているのか(笑)。生き延びるために「コクリコ坂から」後の次の映画にとりかかっていますが、スタジオの大きな墓穴を掘っている可能性はおおいにあるわけです(笑)。」(158頁)
また、次の箇所からは、宮崎監督が個人的な動機や体験に基づく映画作りをしていないことがよく分かると思う。
「僕は、映画の未来とか、そういうことについてはあまり絶望などはしていない。そんなことよりも、お前が何をつくれるんだとこう、いつも問い詰められています。自分で自分を問い詰めなきゃいけないし、もうこの歳だし、出来ることと出来ないことがすでに明瞭になっていると思うので、力を尽くすしかありません。僕らはまあ、色々やってきました。でもそれは今から思うと、のんきなものなんです。きびしい時代にきたえられたものではありません。」(166頁)この点が、宮崎監督の後の世代の押井守監督や庵野秀明監督とは大きく異なるところだと思う。
ところで、上で書かれていた「生き延びるための映画」が、この夏公開された「風立ちぬ」ということになる。先日、宮崎監督はこの作品を最後に引退することを発表されたが、生き延びた後に作られるべき新しいファンタジーは、どうなってしまうのだろう。後の世代に託すということなのかもしれないが、やはり宮崎監督の考える新しいファンタジーを観てみたかった。
この本を読んだ人はみんなそうだと思うけれど、児童文学をとても読んでみたくなって、早速図書館で「クマのプーさん」、「イワンのばか」、「ニーベルンゲンの宝」を借りてきて読んだ。全部とても面白かった。いずれその話はまた書くつもり。