母との確執続きの続き
母の住んでいるところにも実家にも何度電話しても出ず、私にかけたらしい。複数借りていたので、私は母を装って合計金額を出した。
妹はそれを返す為に水商売のバイトを始め、私も返済の為に何度も銀行に走った。
結局かれが半分以上貸してくれた。それを知った母は「どうせ結婚するんだからくれたっていい」と普通に言い、妹が水商売してることを恥じ、そこで出会った妹の彼氏を「高卒で大工なんか許さない」とまた騒いだ。
結局アパートも、また人間関係で仕事を辞めさせられ家賃を何ヶ月も滞納してることを知り、既に結婚していた私は1人で大家に頭を下げに行った。
…書ききれない。要するに、今も私は金銭的精神的に母をとても恐れていること、許して仲良くやりたいのにできず、罪悪感の虜になっていること、今後もしまた許そうものなら、また無心されるんじゃないかって、わざと冷たくしていることへの罪悪感…が、心を縛り付けているのです。
以上のようないきさつで「お母さん」と呼べなくなった。人に話す時は「おかん」本人呼ぶ必要がある時は「あなた」と言うのです。
妹はそれを返す為に水商売のバイトを始め、私も返済の為に何度も銀行に走った。
結局かれが半分以上貸してくれた。それを知った母は「どうせ結婚するんだからくれたっていい」と普通に言い、妹が水商売してることを恥じ、そこで出会った妹の彼氏を「高卒で大工なんか許さない」とまた騒いだ。
結局アパートも、また人間関係で仕事を辞めさせられ家賃を何ヶ月も滞納してることを知り、既に結婚していた私は1人で大家に頭を下げに行った。
…書ききれない。要するに、今も私は金銭的精神的に母をとても恐れていること、許して仲良くやりたいのにできず、罪悪感の虜になっていること、今後もしまた許そうものなら、また無心されるんじゃないかって、わざと冷たくしていることへの罪悪感…が、心を縛り付けているのです。
以上のようないきさつで「お母さん」と呼べなくなった。人に話す時は「おかん」本人呼ぶ必要がある時は「あなた」と言うのです。
母との確執続き
中学の時絵が大好きだった私は「アニメーターになりたい」と母に打ち明けた。「絵なんかいつでも描ける」と一蹴された。短大へ行って、初めは心細く、地元で就職したかったけど、慣れていったし、卒業間際に大好きな彼ができた。母に言うと「じゃあ(地元に帰るんだから別れてこなくちゃね。それに高卒は絶対許さない」と言われた。
諦めきれるはずはなく、自分の部屋に電話を引き、遠距離恋愛が始まった。電話していると後ろから「早く切れーっ!!」と叫ばれた。バイトから帰ると枕がズタズタにされていたこともある。泣きながら祖母に訴えたら「許してやれ」と言われた。
やっと一年経って、自分で荷造りして大阪に出た。
しばらくして地元の会社を人間関係で辞めた母が、大阪で働きたいから一緒に住ませろと言ってきた。怖くて断れなかった。
結局数ヶ月大阪で働いてまた人間関係で辞めた母は、今度は地元に近い町でアパート借りることになり、費用を全部負担した。
しばらくして消費者金融から督促の電話がかかるようになった。
諦めきれるはずはなく、自分の部屋に電話を引き、遠距離恋愛が始まった。電話していると後ろから「早く切れーっ!!」と叫ばれた。バイトから帰ると枕がズタズタにされていたこともある。泣きながら祖母に訴えたら「許してやれ」と言われた。
やっと一年経って、自分で荷造りして大阪に出た。
しばらくして地元の会社を人間関係で辞めた母が、大阪で働きたいから一緒に住ませろと言ってきた。怖くて断れなかった。
結局数ヶ月大阪で働いてまた人間関係で辞めた母は、今度は地元に近い町でアパート借りることになり、費用を全部負担した。
しばらくして消費者金融から督促の電話がかかるようになった。
母との確執
みなさんは、どうしてもウマがあわない、一緒にいると気が滅入ったりイライラする相手がいますか?
私にとってそれは母親だ。
こう書くことにも罪悪感を感じるけど、事実だ。
父を4歳の時自殺で失って、母と母方の祖父母は強引に私と妹を実家に連れ帰った。(母に言わせると彼らは保険金目当てだったらしいが、保険金は祖父の借金に消えた)
それからお金のない生活。それで祖父母と母はいつも私達の前で喧嘩していた。
もちろん学校行事もちゃんと参加してくれたし、遊びにも度々連れて行ってくれた。
けど家ではいつもビクビクしていた。お風呂に入っていると、茶の間で怒鳴り声がする。母が激昂して祖父に湯呑みを投げつける。
それでも小学生の頃はなんとか(あまり考えることもなく)過ぎていった。
中学に入ると、一部屋造りになっている離れをもらった。それからはご飯を食べると大抵部屋にこもった。
まだ小学生だった妹は、母と祖母(祖父はその頃亡くなっていた。今から考えると、本当に可哀想なことをした。けどその時は私も自分のことしか考えてなかった。
中学に入ると母は「いい職につくため勉強しろ」と言うようになり、テストの点が悪いと「こんな点取るな
私にとってそれは母親だ。
こう書くことにも罪悪感を感じるけど、事実だ。
父を4歳の時自殺で失って、母と母方の祖父母は強引に私と妹を実家に連れ帰った。(母に言わせると彼らは保険金目当てだったらしいが、保険金は祖父の借金に消えた)
それからお金のない生活。それで祖父母と母はいつも私達の前で喧嘩していた。
もちろん学校行事もちゃんと参加してくれたし、遊びにも度々連れて行ってくれた。
けど家ではいつもビクビクしていた。お風呂に入っていると、茶の間で怒鳴り声がする。母が激昂して祖父に湯呑みを投げつける。
それでも小学生の頃はなんとか(あまり考えることもなく)過ぎていった。
中学に入ると、一部屋造りになっている離れをもらった。それからはご飯を食べると大抵部屋にこもった。
まだ小学生だった妹は、母と祖母(祖父はその頃亡くなっていた。今から考えると、本当に可哀想なことをした。けどその時は私も自分のことしか考えてなかった。
中学に入ると母は「いい職につくため勉強しろ」と言うようになり、テストの点が悪いと「こんな点取るな