“自分がどこで利己的で、不正直で、身勝手だったのか。
何を恐れていたのか。
何もかもが自分だけのせいでそうなったのではないにしても、
他人を全く抜きにして考えてみようとした。
自分の非はどこにあるのか。
棚卸しは自分のためのものだあって、他人が責任を負うべきものではない”
(アルコホーリスク・アノニマスより)
厳しさというか、強さというか、
とにかく、決心が必要なのだろう。
大量飲酒、服薬時代、そして断酒3年頃までの俺はまだ心の何処かで、
親に自分の人生の責任(変わり)を求めていた。
それは通るべき道筋だったので、恐れずに徹底的に親を恨みきったことは間違ってはいなかったと思うが、
親がそもそも自分の人生すら手に負えなかったからこその虐待(教育、習い事)を行ったことは抜きにしても、
どんなに優れた人だろうが誰かが誰かの人生を変わりに生きることなど不可能なことでもあるし、
俺がなぜ今、自分の人生をイキイキと生きてれいるかのヒントがこの部分にある。
俺は自分の人生の舵を自分の手に取り戻したのだ。
常々言っているように、俺の認知では、
責任=選択肢の数(つまり自由の結果に責任は生じる)だ。
その大切な責任を親や他人に求めていては、当然だが生きている実感が持てるはずもなく、空虚感や生き辛さにより、いつまでも依存症の沼からの脱出は出来ない。
俺は上の文章を見ながら、多くの“自称被害者”達を思い浮かべていた。
俺は依存症の家族会というのに顔を出すことも多く、そこは勿論“自称被害者”からも相談を受けるし、医療関係者やマスコミからも受けることがある。
そして、依存症者本人よりもこの人達を回復させることが依存症治療(そもそもこの人達が依存症なのだが…)にとても有効なのだが、
この人達は“自分の非(欠点)”から目を背けるために依存症者という悪役を欲して育てているわけで、
アルコール依存症者がなかなか酒を手離さないのと同じく、この人達も依存症者(の世話と言うか依存症のままいてもらうこと=悪化)を手離してくれない。
この人達に上の文章を伝えたいと思う。
驚くのは、俺に今、この勉強を教えてくれているのは夫が依存症者であり、夫婦関係が破壊されている人達である。
一体、この人達は何故、自分の原因(つまり依存症)に気付くことが出来たのだろうか?
そして、この人達が何故、依存症者の回復プログラム(アルコール)を学ぶようになったのだろうか?
それは“旦那のため”や誰かのため(共依存症)ではなく、自分の依存症(問題)を解決しなくては、この生き辛さから解放されないと気付いたからである。
では、何を切っ掛けにこの人達は“自分が原因”だったことに気付いたのだろうか?
それは先程ヒントを残したが、旦那との離婚や別居が切っ掛けとなることが多い。
これを言い換えると依存対象を失った時とも言え、これは子供が巣立った時にも見られるが、
旦那や子供という依存対象(依存症)を失ったことにより、いよいよ自分の問題行動が表面化してしまったのだ。
そして、もう誰に悪役を求められることもなくなり、自分の依存症と嫌でも対峙しなくてはならなくなったのだ。
勿論、今まで通りに見て見ぬふりをして蓋をして人生を終えようが、意地でも八つ当たり出来る相手をみつけようも自由だ。
この時に多く見られるのが、全く飲酒、服薬、ギャンブルを必要としなかった自分(主に女)が、◯◯依存症へとどっぷりと浸かってしまうことだ。
あれ程までに悪としていた旦那や子供と全く同じ姿へと自分が落ちていき、女性ならではの臓器の小ささや、関係依存(男依存)により、男性よりも残酷なシーンを“自称被害者”が作ることになる。
そうなることなく、どうか回復(自分だけを見る)して欲しい。
先日、入院患者達へ向けた講話で俺はこう付け加えた。
「あなた達には断酒(薬、賭博)後にしなくてなならないことが沢山用意されているから心配しないで欲しい。その場所もちゃんと用意されているし、とても忙しくなる」
それは俺を見れば解ることかもしれないが、依存症からの回復者に求められる社会での役割は本当に、本当に重大で大切なものである。
その担い手(回復者)が中々現れないから本当に大変なのだが…。
俺が今、こんなに貴重な勉強を教えて頂けるのも、自称被害者だった人達が自分の問題に気付いてくれて、そして、勉強を身につけてくれたからだ。
本当に感謝している。
俺はこれを学んで都城市に持ち帰りたいと強く感じているし、
こうして都城の社会資源となる宝を与えてくれたのはこの女性達なのだ。
こうして放射状に、不幸から幸せに変わったバトンを渡し続けられるのは、最低を経験した回復者だから出来ることなのかもしれない。
さて、俺はこの人達と読みあわせをしているなか、自分の恨みに強く残って消えない“養子”の姿が浮かんだ。
いよいよ彼と向き合う時が来たのだろう。
“養子”と呼ぶ姿からも解るように、俺に嘘八〇〇を並べて精神病院に閉じ込めたコイツに対する怒りがいつまでも消えてくれないのだ。
俺に無理矢理アルコール依存症の病名を付けて精神病院に幽閉し、断酒どころか自称被害者達の伝家の宝刀である“意味を取り違えた自立”すら求めながら、
自分は120kgもある摂食障害(過食、拒食依存症)を持ち、未だに痩せる気がないゴミだ。
要するに、他人に厳しく、自分には甘い、他罰的な男なのだ。
しかし、である。
文献を読みながら、俺の気付かないところで彼が傷付いていたのかもしれないと感じる部分があった。
俺は自分の傷と向き合うなか、俺の人生では多くの嫉妬を受けたことが俺の人間嫌いに影響していることに気付かされた。
俺を凄く虐めて、裏切り続けたが、俺が謝りたいと思っている同級生も嫉妬によるものだったし、
養子に関しても、いつも3歳年下の俺に劣等感なのか、嫉妬心なのかライバル魂のようなものを感じていたし、
そもそもよく考えてみたら、運命の悪戯とでも言おうか、俺の依存症の根っ子である父からの過剰な期待(身体、教育虐待)は、
俺が父にとっての長男だったから受けたことであり、今まで何度『アイツが長男だったら俺はこうならずに済んだのに!』と自分の運命を呪った日もあるが、
ここに“平等に扱われなかった(俺は記憶にない)養子”の悩みや嫉妬心があったのかもしれないと感じた。
俺の気付かないうちに、彼は彼で悩み、俺を恨んでいたのだろう。
そして、俺が逮捕され徹底的に弱ったとき、そして、自分が完璧なまでの大義名分を手にしたあの時に、
俺に徹底的な支配をして優越感を感じたかったのでは無いかと思う。
そこで俺の罪はというと、今から向き合わなくてはならないが、
周りの気持ちに鈍感だったことだろうか?
中学一年の時のリーダーシップの失敗もまた周りの気持ちに鈍感だったからだと思う。
周りの気持ちに鈍感ということは、利己的だったとも置き換えられるかもしれない。
そんな俺が行き着いた先が生活よりも、妻よりも、子供よりも酒と薬だったわけだから、
やっぱり俺は利己的な人間だったのだ。
その罰に徹底的に打ちのめされて今は人を凄く恐れ、何をするにも『めんどくさい』と感じてしまう。
その『めんどくさい』の本音の殆んどは、
人と会うのが『めんどくさい』である。
何かをすると言うことは人と会うこととも言えるから。
これだけ行動を起こしているつもりの俺の欠点のひとつは“怠惰”でもあるのだ。
断酒前はあんなにも自分が優れていると思っていたのに、随分と欠点の多いことで。
俺は一般人とは違って人に迷惑をかけながら生かされているのだと感じますので、その埋め合わせと言ったら何ですが、
これからも無償で依存症の支援活動や福祉活動に関わり、それを埋め合わせとさせていただきやす。
これ、きっと薬師如来の仕事。
向かう道はズレていないね。
3歳年上の養子よ。
君がもし父の長男として出会えたら、俺はこんなにも苦しまずに済んだと思う。
きっと君が今の俺のように病み、苦しんでいたと思う。
ただ↑に付け加えないといけないのは、
きっと君を、今、君がそうしているように、俺が君を嫉妬心から追い詰め、苦しめていたと思う。
だから俺はこれで良かったと思う。
俺は依存症から回復することは出来たとしても“自称被害者(被害者ポジション・下からのコントロール)”から回復することは難しかったかもしれないし、
もうこれ以上、エゴによって人を苦しめたくない。