大雨と雷で早くに目が覚めてしまった。
我が家としては今の時期はとても気の張る時期で、今朝も問題児(犬)が忙しなく動き回っていた。
まだ起きたくない(二度寝したい)俺はベッドに貼り付き必死に抵抗するものの、
頭のなかでは『窓を全部閉めただろうか?またガラスを打ち破って出ていかないだろうか?』と不安で二度寝の夢を見ることは出来なかった。
『早く起きてしまったし勉強の続きをするか…』と机に座り、クウに見守られながら本とテキストブックを開く。
ビビりは寝室で、なぜこんなにも同じ犬でも違うのだろう?
その答えは簡単で、同じ虐待家庭で育った兄弟でも勿論被害の有無や度合いの差もあれば、
要領よく誰かを犠牲にして我先に逃げる人もおり、俺のようにバカ真面目に酒乱と向き合う人間もいる。
酷く繊細でビクビクする人間もいれば、部屋に戻って口を空けながら寝てる奴だっている。
依存症に罹る人間は不器用で素直で優しく繊細な人が多いが、
何事も表裏一体で、人が都合良く願う素直さとか繊細さだって時には自分自身を破壊する凶器となるし、
反対の頑固さや豪快、大雑把、大胆さが必要となることも多い。
人それぞれ(犬それぞれ)の個性なのだろう。
正にその部分を今日は感じている。
“飲むことは問題の一つの症候にすぎなかった”
(アルコホーリスク・アノニマスより)
これは依存症からの回復でとても重要なことであり、あくまでも“飲むこと(打つこと)”は症状のひとつであり、“依存症”という病気の部分をみることが重要だった。
ここに依存症には罰ではなく治療が必要であり、刑務所や内科ではなく“精神科”である理由を感じられるが、
あくまでも生きてきた経験によって歪んでしまった(多くは虐待などの対人トラウマ)自分の感じ方や考え方による生き辛さを、
何で折り合いを付けていたかが◯◯の部分であり、依存症=◯◯(例えばアルコール、ギャンブル)ではないのだ。
俺の場合で言えば、人間関係のスタートである親からの虐待という人生のスタートから歪みを経験しており、未だに人間に対する認知が修正しきれていない。
その影響でイジメ、イジメられ、就職しても仕事内容よりも人間関係に躓きを繰り返し、遂には引きこもるようになった。
そこで俺を助けてくれたのがアルコールと精神薬だった。
つまり、俺のトラウマが原因であり、アルコールや薬が悪ではない。
寧ろ、「あの時はありがとう」と言いたい程の存在である。
しかし、日本に蔓延している依存症の偏見はというと“飲むこと”しか見ようとしない。
先程も書いたことだが、
“飲むことは問題の一つの症候にすぎなかった”
訳なのに、呑むことばかりを見ては、一向に依存症が回復しないのは当たり前の話である。
また、奇跡的に“飲むこと”をやめれたとしても、折り合いを失った生き辛さは増し、
修正されていない認知の歪みは人間関係に問題を起こし続けることとなるだろう。
とは言え、
過去に私達が自分勝手な決断をした為に今、自分が傷付く立場に立たされていることに嫌でも気付かされる。
一文字、一文字と記入しながら、本当に反省させられる気持ちが溢れ、
俺を酷く裏切り、イジメ、俺を苦しめた同級生に謝罪したい気持ちで一杯になった。