西野亮廣さんが依存症について書いた記事を読んで驚いた話 | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ



かつては依存症を誤解して差別していた人でも、勉強(経験)することによって理解できるのだと感じた記事。

全ての人がこうであってくれたら良いのに、私達の多くは自分の狭く古い考えにしがみつく人が殆んどで、

いつになってもそこ(底)から抜け出そうとしないものです。

俺は彼を知らないけど、彼は頭が良くて有名な人のようで、

彼が書いた中の一部分である、

”ここから言えることは、たとえば同じだけお酒を呑んだとしても、「依存症」になる人と、ならない人がいて、それは幼少期の経験や環境も一つの要因になっている…ということです。“


これが俺が何年も何年もこの場で訴えていることです。


それを一人でも理解してくれたことが嬉しいし、


早くても三十年はかかると思っていた知識の進化が思ったより早まりそうな気配を感じています。


是非とも上の記事を読んでみてください。




彼の言う、


“「依存症」は脳の病気で、そして、その病気は今に始まったことじゃなくて、「発症したのが今」というだけの話で、ずっと昔から始まっている場合がある。

 
家庭環境が崩壊していたり、学校でイジメられたり…子供の頃の、そういった時間が要因になっている場合があるので、「あいつは意志が弱い!」「自己管理がなっていない!」という言葉を浴びせるのは大きな間違いであり、暴力であることを僕らは自覚しなくちゃいけないと思います。”


俺の言う、我が子(長男)を見て自分の生い立ちに起きていたこと(※)に気付いてしまった瞬間に俺は発病したと言う部分がここ。


(※)暴力を受けていた自覚はずっとあったが、それが“虐待”であることに気付いていなかった。自分を作り出した存在から自分の存在を消そうとする行為を受けた矛盾によって俺は“生きる”という人間の自然な本能に対して今でも混乱している。


父から受けた“何故なのか”全く理解できなかった突然の暴力(酒乱)の毎日。


中学2年から20歳まで続いたイジメと裏切りの毎日。


俺には依存症になる条件が揃いすぎていた。


とは言え、これも輪廻転生であり、


心理学もだけど、目には見えないスピリチュアルとでも言うのか霊的な世界の知識もまた、


俺の“生き直し(依存症からの回復)”にはとても有効でした。




ただ彼も、ほぼ全ての専門医も言う“脳の病気”と言うのがどうしてもしっくり来ない。


そして、専門医達のいう「誰もが罹る可能性のある病気」にもしっくり来ない。


俺は依存症になるには“幼い頃のトラウマ”や、戦争などの悲惨な経験が絶対条件だと思っている(災害は除くがその後のケアによる)。




脳と心の違いは何か?と聞かれても、俺にはハッキリと違うそれを言葉では証明しにくくて、


確かに脳は俺の頭の中に感じるが、


俺の心は胸の辺りにハッキリと存在していて、


俺の傷は心にあり、飲酒や服薬時代に癒していたのも頭ではなく胸の辺りだった。


勿論、鬱や虐待、長引いた大量飲酒や服薬の後遺症としての前頭葉の違和感には、とくに鬱時期に悩むので具体的に場所すら感じるが、


脳の不調と心の不調は全くの別物で、俺はハッキリと自分の心に、目には見えない存在を感じるから、


死後も肉体を離れて俺は生き続けることが理解できている。


死の話題ついでと言ってはあれだけど、


幼い頃から自衛官(一般人よりは身体を鍛える職種の大人)である父に頻繁に殴られた俺にとって、


死とは特別なもので、凄く身近なものだった。


台風が過ぎ去ったばかりの川に投げられたこともあったし、父は暴力とは別に生命を脅かすような拷問(訓練)を俺に行い、自衛官になり戦死することを求めていた。


多分、ここ(死に対する思い)の感覚は一般人とは大きく違っていると思う。


死を意識できるから生を濃くしてくれたような気もしているが、何より早くあの世に帰りたい。


今世は本当に満足したし、やり残したことも思い付かないほどに色んなことを経験できた。


今はまるで老後(余生)を生きてるかのようで、


そう言う意味では色々ありすぎた40年間の後半戦は神様の力によってゆっくりさせて貰えてるのかもと感じている。


俺は“ゆっくり”したいわけでは無く、もう“やりきって”することが殆ど無いのでクリア(死)で構わないのだ。


嫌味に聞こえるかもしれないし、


そう聞こえて貰って構わないけど、


皆さんはこれから頑張って欲しいと思う。


俺が虐待を受けてた3~16歳の時期、


それによって上手く生きれなかった13歳から23歳の時期、


後遺症によって酒と煙草と薬に振り回された23歳から31歳までの時期、


全てを俺の人格の問題として、親も兄弟も元嫁も、世間も、友人だったはずの人達も、


全て去って(棄てて)くれて回復にまるまる充てれた30代。


そして、やっと落ち着いた今。


俺のそんな時間を“一般人”はどんな“一般的”な時間として送っていたのだろう。


そして、そんな人達はどんな後半戦を迎えるのだろう。



捕捉

アルコール依存症者が“アルコールを飲むこと”をやめようとすること自体が間違っている。

見ている所が全然違う。

最近、“精神疾患は出世魚”と表現された方がいて『まさにこれ!』と感じたが、

俺達に付いた○○依存症はブリのようなもので、

それに至るまでに幾つもの精神疾患または人格障害や発達障がいなどの原因を重ねている。

その根っ子は必ず幼少期の親子関係に至るだろう。

だからそこを癒さずに“アルコールをやめよう”としたって、やっていることが間違っており、

ブリしか見ていない精神科医のところに行ったところで薬漬けにされるか、

そもそも全く治療の実績を上げられないのも当たり前の話。

こんなにも色んな形で依存症と係わっている俺でもこの10年間で回復者を数名しか知らない。