現実にお帰り | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

久し振りの仕事に向かおうと車に乗ると、


昨日まで乗ってた一人と二匹がそこには居なく、何か寂しい気持ちになった。


『現実に戻ってきたか…』


俺にとって宮崎県は地獄のようなところで、


今回の遍路中も『何故?』と何度も考えてたけど、


毎度のごとく浮かぶのは都城批判をしながら幼い俺を殴り付ける父の姿だった。


俺にとって都城(宮崎)は悪。


この刷り込みを取ろうと何年もチャレンジしてきたけど、どうしても上手くいかない。


中学時代に受けた苛めの最中もずっと『都城に引っ越してさえ来なければ!』と、


家では酒乱の父からの暴力、学校では同級生からの暴力の余りにもの苦しみに悩みながら、


当時飼っていた猫にずっと謝って、助けを求めていた時期があった。


そんな苦しみからの脱却もここ数年のチャレンジもあって、少しは楽になってきたのだけど、


「虐待育ちの生き辛さが楽になることはあっても完全に消えることは無い」


と、信頼している心理師の言葉通りに“昔よりは楽になった”だけで、


やはり超えられない壁はあるようだ。




今回、四国を旅して実際に移住候補地を訪ねて歩いたり、四国の母や兄弟達にも相談に乗って貰った。


四国に引っ越したところで人間はすぐに“普通が普通”となってしまうのは分かっているけど、


とても沢山旅をした思い出の残る土地に住み、旅人に接しながら生きることは悪いことではないと感じる。


それに“リセット”した先の世界を俺はまだ知らない。


思えば四国に接する生き方は、俺がアルコールや薬漬けだったころから模索していたことだった。


焦らず、いつか移住出来る日が来ますように。


それに向けて宮崎での役目も少しずつ卸して整理していきます。


そう思い、昨日は香川県の北東部に居ながら、宮崎県の南部まで帰ってきて、



そのまま俺が代表を務める会に出席してきました。


『休もうかな?』と思ったけど、「今月までじゃん」というビーニャさんの言葉に押されて、


今年度一杯で役職を降りる落とし前を付けて来たような感じです。




昨日、帰りのフェリーで突然ビーニャさんが泣き出した。


四国の母にLINEを打ちながら、その温もりを思い出したらしい。


四国に来た日は四国の両親と話すことも出来て、


四国から帰る日はタイミングよく遠方から帰ってきていた息子さんとも30分ほど話すことが出来た。


ビーニャさんは「今回の旅はとても満足」と言っていた。


俺もそれなりに満足だった。


犬と一緒に歩く関係で、どちらかが車を置きに行って戻って(取りに行って戻って)と、


なかなか交通機関にも恵まれず大変だったけど、


2人して話したのは、この車回収遍路になってから自由(便利)が増えた分、爆発的に増えた出費も四国にお金を落とせたと考えれば、


今までの様に背負っている中身が全て(量に限度がある)な限られた、お金がかけれない旅よりも、循環するものがあったような気がする。


俺は障がい者であり、前科もあり、パートタイマーでもあり経済的に恵まれている方ではないが、


賽銭箱だって、人に使うことだって、お陰様で躊躇なくお金を使えるようになってきた。


勿論、協力してくれる人の存在あってのことだけど。


毎回、四国を歩きながら、やはり俺は自分の“依存症”という病気について考えさせられる。


これはあくまでも“飲む動作”の話をしているわけではなく、


“精神科”つまり心理学の話について考えているという意味だ。


例えば歩きながら喉が渇いたり、疲れてきて『ビールが飲みたい、飲みたい』と思うのが依存症という話ではなく、


先に書いたような生き辛さ(心理)と向き合っているという意味です。


そのなかで断酒12年目に間も無く入る今、


一旦(または永遠)、依存症の分野(奉仕活動を含む自助関係)から距離を置いて“一般人”に戻っても良いのではないか?と感じました。


きっとこれを“病気の再発”と人は言うだろうけど、俺は何故か依存症の分野に関わって居ることが逆に自分をこれ以上飛び立てなくしている足枷のように今はとても感じます。


“卒業”という生き方があっても良いのではないか?


しかし、これもまた依存症の世界では「必ず再飲酒に至る」と言われる。


本当にずっと身動きが取れない自分がいる。


“距離感”というのも大切なのかもしれないと、それもまた今回、役職を降りる理由のひとつです。


大切なのは断酒によって俺が再び取り戻した“俺の人生の舵(生き方)”に飛び立って良いのではないか?


あくまでも俺の今いる世界(依存症)は高齢化が激しいだけに60代からの世界。


俺も今、自分が60代ならそこに楽しみも見つけられるだろうけど、俺はまだ42歳で、年齢の壁は超えられない。


この前も書いたけど、あなた達(断酒家)が飲んでいた頃に酒を断っている俺の生き方、


早くに気付いて取り戻した人生を、生きた時代の違う人達の“型”にハメるのもどうなのだろう。


本当に、未だにこうして、生き方に迷っています。


ちと、最近、背負っているものが重すぎて感じてます。


以上、昨日書いてた日記でした。




俺はふと思う。


自動車に初心者マークとか高齢者マークがあるのならば、


“運転が苦手ですマーク”を作れば良いのではないか?


歳を重ねながらも高齢者マークを付けることに抵抗を持つ可哀想な人達もいるんだ。


ならば、もっと柔らかいマークを作ってみてはどうだろうか?


少し話は変わるけど、日本のあちこちを車で走り回る俺の不思議として、


高速道路にちょこちょこ現れる“追い越されたくないマン”って精神科行った方がいいよね。


あれって明らかに性格がねじ曲がっとるわ。


追い越されたくないマン…ゆっくり走っていたのに、追い越されそうになると加速して張り合ってくるマン(結構多いマン)。



俺は今の悩みを手放したとしたら、

次はどんな悩みを自ら探し出すのだろう。

ならば今の悩みに感謝すべきか?