この上無い“無知”なのに自分は人より優れていると他人を見下し、
それにより低すぎる自尊心を保ち、牢屋と精神病院まで落ちた俺ですので、
“知識”の大切さをとても感じています。
その事を精神病院のベッドの上で気付き、愚かな自分に直面させられ、その時たまたま開いた本の、
“無知の知”
という言葉に出会ったのは、今でも衝撃であり、それと出会うための失敗だったのかもしれませんし、
そこから俺の目に写る世界が様変わりしたのは言うまでもありません。
その世界を簡単に表すとしたら“常に疑っている”という表現が当てはまるかもしれません。
しかし、その知識の重要さを例えば100という数字で表すとしたら、せいぜい10程度だと思うのです。
と言うのも、知識とはその先に行動がないと、いつまで経っても“経験”にはならないと思うのです。
今はインターネットにより膨大な知識に簡単に触れることが出来ますが、
それと同時に他人と比べ、失敗を恐れる時代ですので、
早い話、知識に溢れた幸せな時代ではなく、
頭でっかち時代という不幸な時代に思えます。
知識に経験が伴うことにより、自分が『知っている』と思い込んでいたことが、
より奥深く、
更に奥深く、
もっと奥深い意味があったことを知り、
本当の知識へとなると思うのです。
資格に対してもそうであり、“資格を持っていること”が重要視されることは仕方がないことなのかもしれませんが、
実際、資格を持っているのは、良くてスタートラインに立った状態だと思うのです。
ネット上で調べのものをしてみても、その文章をよく見てみると、他サイトで書いてあることをそのまま書き写したものばかりで、書き手の経験が伴っていない。
言葉の独り歩き、実に間違った情報がまかり通り、書き手の利益が優先されております。
例えば“聞く”と言うことに関しても、多くの人が人の話を音として聞くことは出来ると思います。
聞き流すとか、適当に相づちをうつとか、そんな感じです。
しかし“聞く”と言うのは、心や頭で聞くとこと出来ますし、
その先に行動が伴うことも“聞く”と言えます。
歌にしてもそう、リズムや音色が好きなのか、歌詞が好きなのか、アーティストが好きなのか、それによって全く違うものとなります。
果たして自分が今、どの段階にいるのか。
まずは相手の話を聞ける人間なのか、
一応、音は拾うことを心がけているのか。
考え方が違う相手の話も一旦聞き入れて、自分の頭や心で精査して、取り入れたり、やっぱり『違う』と捨てたり取ったり出来るのか。
「バカになってやってみろ」と言われる通り、一旦、言われたことを経験してみようと行動を起こせるのか。
本当に痛感しているのは、
人の話や勧めを聞いたり行動してみたりすると言うことは、
自分の知らない世界(知識)を経験することだと思います。
「この本、凄く良いから是非とも読んでみて」と、
こう言われて本を読む人は殆んどいないと思います。
人から勧められた本ほど興味を惹かないものはない。
しかし、ここで既に自分に無意識の色眼鏡がかかっていることにすら気付いていない自分がそこにいる。
人が、自分の知らない世界(知識)を勧めてくれたのに、
井の中の蛙な自分が囚われた好み(自分だけの世界)で、その勧めを捨ててしまう。
結局、自分で選ぶ“好み”って自分の狭い世界の中のものなんですよね。
そこにいる限り、今の自分の枠の中しか生きれない。
言い方を変えると、その枠から出られない。
前置きがなげーよ。
さて、去年4台あったバイクの2台を処分して、
残る2台の内1台はビーニャさんので、
俺のバイクは去年3回も乗らなかったと思います。
とは言え、保険や税金も払っているのです。
俺は自動車保険は対人対物無制限が当たり前だと思ってます。
しかし、自分のボロい車(バイク)や、自分のボロいボディーには全く保険をかけないか、かけても雀の涙程度しかかけません。
今年40歳になり、身体の変化にとても苦しんだ一年、それは未だに現在進行形の話でありますが、
きっと来年もバイクに乗る元気は戻らないでしょう。
しかし、
それでも訪れる保険の更新日。
で、結論から言うと、