写真は日本の石像コーナーの武人像と、もやい通り。
 
筑豊線(福北ゆたか線)の電車。
 
中間駅駅舎。
駅前の香月線跡の石碑。
 
 
もやい通りの「屋根のない博物館」を抜けると、左前方に中間駅が見えてきました。
ちょうど近くの高校の下校時間、高校生たちが集まっています。
 
筑豊線開通時の開業なので明治半ばからの歴史ある駅ですが、駅前はあまり開けてないんです。
中間の旧市街地は旧新手駅付近、現在は筑豊電鉄通谷辺りが栄えています。
 
やはり筑豊線の成り立ち
つまり石炭輸送が第一で、炭坑に近いところや貨物の引き込み線用の敷地が十分取れるところに、駅が出来る傾向があったからでは、と推測します。
飯塚も、最初に出来た飯塚駅は中心市街地から1㎞南の町外れでしたし。
 
さて、ここまで来てやっと香月線の記念碑を発見しました。小さな石碑ですが、香月線の存在した証です
 
高校生たちにとっては、産まれるはるか前の話。目にも入らないでしょうね。
私は、少年時代古い気動車に揺られた香月線十数分の旅路を思いだし、少しセンチメンタルなまま彼らとメタリック電車に乗り込んだのでした
(=゜-゜)
 
<おわり>
 
 
写真は香月線新手~中間(なかま)間の廃線跡の道路。愛称は「もやい通り」。
もやい通りの東側は「屋根のない博物館」。
もやい通りの由来とも言える、モアイ像。昔ながらの住宅が背景という、不思議な光景。
最後の立像は、韓国済州島のトルハルバン。
 
 
中間市内循環のバスに乗車後、再び新手駅跡に戻り廃線跡走りを再開します。
 
北九州市の隣町ながら、めったに行く機会のない中間市。市在住の方から自嘲気味に「他所の人から、なかなか正しく読んでもらえないんですよ」との声を聞いたことがあります。
確かに一般的な名詞なら「ちゅうかん」ですね。
 
「筑豊線中間駅」なんて、極めて紛らわしい。
起点か終点以外の、どこと思われそう
(>_<)
 
誤解を恐れずに言えばそんな無名の、八幡西区の続きみたいな街に
「なにか名所を
との発想で産まれたのが、もやい通りだったのです。
 
屋根のない博物館を名乗っているのは、世界各地の石像や石造りの建築物のレプリカをズラリと展示しているから。
ここはどうしても駆け抜けてしまう訳にはいかなくなりました
f^_^;
新手~中間間の北半分は、のんびり石像見物とあいなりました
 
一番南、新手側にはモアイ像が鎮座。
実は当初、モアイ像がズラリと並ぶ異次元の光景となる可能性もあったそうです
もやい通りの「もやい」とは、こちらの方言で分けるとか、絆の意味。「おもやいする」は「シェアする」と同義です。
その、いい響きの言葉に良く似たモアイが採用されたんですね。
 
しかし、その光景を想像した担当者が難色を示し、世界各地の石像展示を提案。
細長過ぎて公園や建物には不向きだった廃線跡を、石像博物館にしてしまったのです。
 
石像たちは20年以上野ざらしにされ、いい感じでくたびれていました。ピカピカよりもリアリティがあって、私は悪くないと思いました。
写真に掲載したのはほんの一部。もし興味のある方は、屋根のない博物館で検索かけたらヒットしますので、どうぞ
m(_ _)m
 
かなり陽も傾いてきました。廃線跡の博物館と平行し、筑豊線の電車が通り過ぎてゆきます。
2両編成の817系、筑豊のイメージにほど遠いメタリックなボディの水戸岡デザイン車両です。
 
私のプチ旅も終わりが近づいてきました
( ̄∀ ̄)
 
 
 
前回の記事ではかなり細かい説明になってしまい、地元の人でないと文章だけではイメージしづらいと反省しまして…
 
手書きの北九州市と中間(なかま)市の地図を付けてみました
(^_^;)
あと、ちょっと分かりづらいですが、香月線周辺の地形図も。
 
これで何となくイメージしていただければ
 
さて、岩崎~新手間は完全に県道61号線と化しており、鉄道の匂いは全くありません。
写真は筑豊電鉄がオーバークロスする地点ですが、単なる架道橋です。
 
普通廃線跡を流用した道路は、住宅の玄関が逆を向いていたり、脇に平行する道があったりして独特の雰囲気があるものです。しかし、この道は歩道や街路樹が整備され、住宅地に完全に溶け込んでいます。
鉄道の廃線跡と言われても、全然ピンと来ないですね
 
岩崎駅跡から1.5㎞ほど。新手駅跡に到着です。
現在は中間三丁目バス停。こちらも岩崎バス停同様、高速バス乗車専用となっています。
 
そこから100mほど先の本町交差点から左折すると、新手というバス停を発見。
この辺り、JR中間駅や筑豊電鉄の電停からは離れていますが、中間市の旧市街地といった風情です。
昔ながらの商店街が見受けられます。また、市役所や郵便局、NTTの建物も付近にありました。
 
さて、新手バス停に記されたダイヤと路線図を見ると…
1日7本(@_@)
 
まあ、過疎地ならあり得る話しですが、北九州市のベッドタウンとして住宅地が広がる街としては、ちょっと寂しいダイヤです
路線はどうやら中間市内循環みたいです。
 
クルマの通行量は結構ありますね。
やはりこの辺りの交通は、マイカーに依存しているようです。
西鉄バスは近年、赤字路線が増えて採算が厳しい路線を切り捨てる傾向にあります。自治体もてこ入れはしていますが、利用者減少→路線・本数の削減→更なる利用者減少の負のスパイラル解消は、なかなか厳しいようです。
 
石炭輸送に大活躍、部分的に複線化もされた香月線でしたが、炭坑が消え晩年は1日数往復の気動車が行き交うだけのローカル線になってしまいました。
 
廃止の背景には、もちろん国鉄の無策や民営化対策と言った内部事情があったのは言うまでもありません。しかし「あの線路を道路に転用して、クルマにとって便利な街にしたい」という地元の強い意向があったのではないか、と推測できます。
だから鉄道の痕跡を徹底的に無くしてしまえたのではないか。
 
また中間市の場合、北九州市に出る鉄道路線が筑豊本線と筑豊電鉄によって確保されているという事情もあるので、香月線の存在意義はかなり薄かったんですね
(ノ△T)
 
廃線跡走りはここで中断。せっかくですから、新手駅跡にほど近い筑豊中間電停まで、中間市内をぐるりと廻るバスに乗ってみましょう。運良く10分ほどの待ち時間で2時間に一本のバスがやってきました