写真は日本の石像コーナーの武人像と、もやい通り。
筑豊線(福北ゆたか線)の電車。
中間駅駅舎。
駅前の香月線跡の石碑。
もやい通りの「屋根のない博物館」を抜けると、左前方に中間駅が見えてきました。
ちょうど近くの高校の下校時間、高校生たちが集まっています。
筑豊線開通時の開業なので明治半ばからの歴史ある駅ですが、駅前はあまり開けてないんです。
中間の旧市街地は旧新手駅付近、現在は筑豊電鉄通谷辺りが栄えています。
やはり筑豊線の成り立ち
つまり石炭輸送が第一で、炭坑に近いところや貨物の引き込み線用の敷地が十分取れるところに、駅が出来る傾向があったからでは、と推測します。
飯塚も、最初に出来た飯塚駅は中心市街地から1㎞南の町外れでしたし。
さて、ここまで来てやっと香月線の記念碑を発見しました。小さな石碑ですが、香月線の存在した証です
高校生たちにとっては、産まれるはるか前の話。目にも入らないでしょうね。
私は、少年時代古い気動車に揺られた香月線十数分の旅路を思いだし、少しセンチメンタルなまま彼らとメタリック電車に乗り込んだのでした
(=゜-゜)
<おわり>



