知覚心理学的お話その2 | 猫に牡丹

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あしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあと

 

❀Gat con Peonía(ガトー コン ペオーニア)❀

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【知覚心理学的お話その2】

 

以前「その1」の記事をブログに書きました下矢印
 

 

 

今回は「その2」を書きたいと思います。
 
 
まず
タイトルになっている言葉の
「知覚」に
ついて
少し書いてみます。
 
 
知覚には、
視覚(色・光)、聴覚、味覚、嗅覚、触覚などがあります。
 
ここは、看護・医療分野ではないので
簡単に上記の5つ。
いわゆる「五感」ですね。
 
もっと簡単に分ける場合には
「視覚・聴覚・体感覚」
の3つで扱います。
 
カラダを守るのにとても大切な機能です。
 
と同時に
これらの感覚は
私達のココロに大きな大きな影響があります。
 
そして
その人それぞれの「癖」があります。
 
病気などの症状としてあらわれるものではなく
あくまでも「癖」です。
 
複数の人間の間に
同じ出来事が
同時に起こっても
まず最初にそれを
「視覚」で感じる人もいれば
「聴覚」で感じる人もいれば
「体感覚」で感じる人もいます。
 
どこが自分には優位であるか
自分の特徴を知っておくのもいいかもしれませんね。
 
 
心理において
知覚とは
単に、感覚の程度(強弱や正確性など)を区別するだけのもの、
としては扱っていません。
 
 
知覚は
感情や行動を伴った、
体験・経験となり
記憶となります。
 
知覚されたものが何であるのか判断したり解釈したりする、
プロセス(認知)の中で
その人それぞれの癖が
生まれます。
 
癖がある、違いがある、というのはどういうことか
というと・・・
 
例えば
視力が違えば
見え方が違うことは想像出来ますね。
 
更に
カレーライスを思い浮かべましょう!
と言ったときに
・匂いが浮かんだ人
・カレー皿の上にカレーとご飯が乗っている映像が浮かんだ人
・口の中がカレーの辛さでいっぱいになった人
それぞれ違う人が存在する、ということを
想像することが出来るでしょう。
 
 
癖があるということ
それは個性でもあります。
まざに
「誰一人この感覚が同じ人間はいない」
ということなのです。
 
 
その癖(個性)によって
私達は
何かを見る時・聞く時・感じる時
実は
自分の見たいように見て
聞きたいように聞いて
感じたいように感じている
のです。
 
ですから
個性豊かに知覚したものを解釈する・考える・思う・その段階では
更に個性豊かになってくるわけです。
 
知覚が「ココロ」に与える影響が違う、
ということがお伝え出来たでしょうか。
 
 
「その1」から
”違う””違う”とばかり書いていますが・・・
 
「違う」から残念とか「違う」から悲しいとかではなく
 
みんな違う、
というところから出発したい、というお話なのです。
 
 
 
「見たいように見る」ということは
「見たくないものは見ていない」とも言えます。
 
「見たいようにしか見ていない」と知れば
「見たくないことも、見えたものは見れるようになる」と言えないでしょうか。
 
この時
見たくなかった(見るのが苦手だった)ものも
見れるようになった自分を
より信頼するようになり
同時に
視野も広くなっていることに気がつくことでしょう。
 
 
今まで気が付かなかったこと
身近な人の変化に
職場の人の変化に
街の変化に
自然の変化に
 
そして そう、
家族動物の変化に
気が付くようになるかもしれません。
 
今までは気付けなかった何かに
気が付くようになっているかもしれません。
 
 
 
こうして
私達は
自分を見つめ
自分を認め・信じ
学び知ったことから
自分を成長させると
その先に
必ず
自分の幸せとともに
周りの幸せも連れてきます。
 
もちろん家族動物の幸せも、です^^
 
 
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