白身のお刺身は冷たくしっとりとして、かすかな脂が甘かった。醤油をちょこっとだけ付けて、ワサビをきかせて、食べた。
直樹の頼んだ日本酒をお猪口に注いで分けてもらった。
あたりめと、スパークリングワイン。
呑みながらの読書は、あぶない。
この文章で泣けて仕方がないわたしはうつけ者で、
おそらくだけど、幸せ者だ。
33歳。
誰にもわかってもらえないと思うけど、
わたしはこの年で、
もう余生を生きている気分なのだ。
シビアな感受性で、
理不尽や怒りや憤りや悲しみを
子どもの頃に消化してしまったから、
すべてを飲み込んで、納得した現在は、
もう、今生ではないように思えるのかもしれない。
でも、子どものときから、
人生を俯瞰で見ていたように思う。
小学3年生のときの担任の先生が、母に言った言葉。
この子はあまりにも大人びているけど、心配しないでください。
周りの子どもたちが、成長するごとにだんだん追いついてくるのを待ちましょう。
だって。
そりゃ大人びるよ。
子どもでいさせてもらえなかったんだもの。
恨んだりもしたけれど、
今となれば感謝している。
わたしの感受性は、
おそらく負の感情がなければ育たなかった。
でも、
そんなわたしが
孤独だ。
と、思いきや。
全然孤独じゃなかったのだ。
職場で運命的に出逢った同じ宇宙のお姉さんとはずっと仲良くしているし、
恋人にはもう10年以上、ときめきと愛が途切れない。
家族ともうまくやっている。
幸福だ。
幸福なのだ。
だけど、
わたしは人生を俯瞰で見ている。
なにもかもが、
かりそめにしか思えない。
そして、
かりそめだと思うからこそ、
こんな文章で泣けてしまうのだ。
わたしの人生の中で、
楽しくて嬉しくて素敵なこと。
それに似た文章に出逢うと、
心をざらっと、
片手で撫でられたような感覚になる。
わたしも温泉旅館で、
好きな人と過ごしたな、と思うだけで
有り難くて泣ける。
何で、このくらいのことで泣くほど感情的になるのかというと、
余生だから、というほかない。
好きな人が生きていてくれるだけでも有り難いのに、
素敵な時間を一緒に過ごせるなんて贅沢なことなのだ。
当たり前なんてない。
だから。
あなたが無事に帰ってきた今日に安堵する。
あなたの寝息は、
わたしにとって、神の寝息のように尊い。
大げさかもしれないが、
あなたがいなければ、
わたしは余生すら失って、ただの屍になってしまうのだから。
それでもわたし、
これ以上ないほど楽に生きている。
妻で母で女であることに縛られきっている母に比べて。
人生を楽に楽しく生きるには、
自分だけの哲学を持つことだ。
わたしは女でよかったわ。
生まれ変わっても女になりたい。
そしてろくでもないあなたの恋人に、
きっとまたなりたいな。