恋は二度目のアネモネ -2ページ目


おなかがすくのは、
とても可愛い。
とても愛おしい。

おなかが、ぐーと鳴る。
健康に、生きているということ。

おなかがすいているのは、
不幸なことだけど、
もし人間が何も食べなくても生きていられるのなら、
それは幸福をひとつ失うということだ。

ひとつのものをわけあう。
家族や友人や恋人と食卓を囲む。
おいしいね、と言い合って、
胃袋と心が比例する。


あくまでも、
飽食な国の人間に限って、だけれど。

幸せとは、
満たされるということ。


今日のごはんは、何にしようか。





村山由佳の、ダブル・ファンタジー がすごい。

まだ途中だけど、
女という生き物を、
べったり貼り付けたような小説だ。

女なら少なからず、
この小説の主人公はわたしだ。
と、
思うことだろう。

仕事中に読むにはいささかスリリングな官能小説。
男なんてセックスのときにしか役に立たないって、
ビョークもいつか言ってたけど、
それは核心をついている。
女の人は本当は、
心のどこかで男をばかにしてる。
優しいから態度には出さないだけだよ。

男がもし滅びたら、
さみしいわねって言いながら、
女はみんな笑って暮らすだろう。

整然とした思いやりと秩序とコミュニケーションの中で。
男性器を模したキーホルダーを
ちゃらちゃらいわせたりしながら。


でもわたしはやっぱり、
男の人が可愛い。
馬鹿でも鬱陶しくても、
男の人と関わって生きているのが楽しいと思うのだ。





視覚を失って、
聴覚を失って、
大切な恋人や友人や子どもを失って、

そんな、
多くを失った人同士が、
古代ギリシャ語を通して、
また繋がる。
即物的な、意味や理解を超えたものの中で。
もう死に絶えた言語の中で。

適切な意味や五感が、
しんどくて、悲しいときがあること。
よくわかる。

そういうとき、
もう死んでしまったものの中で、
穏やかに息ができることがあるよね。


そんなふうに、
人を救うのは人ではないかもしれないけれど、
でもやっぱり、
人は人と生きていこうとするのだと思った。


問題が何ひとつ解決されていないとしても、
希望がないわけじゃない。
物事は側面だけではなく、
捉え方で形が変わっていく。
心の中だって、そういうものだから。


仕事からの帰り道。
空が黄昏ているのを見て、
とても、とても幸福な気持ちになる。








殺し屋に追いかけ回されるという、
ドラマチックな夢を見た。


ハンガンの、ギリシャ語の時間。
仕事中なのに、
もう少しで泣いてしまいそうだった。
体は悲しい。
まさにわたしもそう思ってきたから。
詩的な文だと思ったら、
詩を書く人らしい。
腑に落ちる。


何度もあなたの名前を呼ぶ。
返事が返ってくるのが、嬉しくてありがたいから。


今日が終わって、
明日にゆるゆると踏みだしている。
昨日より、
今日はもっと、
楽しく優しくしていよう。


眠くて仕方がない。
今日は、
誰が夢に出てきてくれるだろう。







丈夫な体と精神を持っていて、
何不自由なく生きさせてもらえたけれど、
子どもの頃からずっと、
生を信じてなどいなかったわたし。

近ごろは特に、
もう、すぐに人生が終わってしまうような気がしている。

そう書くと、
メンヘラちっくに聞こえてしまうが。
わたしはメンヘラではまったくない。

刹那主義ではあるけど、
そこにネガティブな感情などいっさいなく、
毎日とても楽しくて、
仕事もうまくいってて、
お給料も上がって、
しかも今モテ期で色んな男にちやほやされて、
恋人も家族もいて、
どうだ。
こんなもん、メンヘラになるわけない。
笑いがとまらんぜ。

ただ、単に。
ただ、純粋に、
人生がすぐに終わるなあと、
そういう気がしているだけなのだ。
子どもの頃からずっと。

ひとりでぽつんと家にいるとき、
今ここに生きていることが不思議で仕方がなくなる。
そしてあなたが生きていることはもっと不思議だ。
不思議だし、心配だ。
あなたはきっと、わたしより命が弱い。
だから自分の生より、
あなたの生を大切にして生きていこうと、
いつもそう決心する。
でもあなたが帰ってくると、
この不思議な感覚は雲散霧消して、
たちまち現実に切り替わるから、
何だか何もかもがよけいに見えなくなって、
いらいらしたり、どうでもよくなったりしてしまう。
愚かなのだ。
自分のことを、とてもばかだと思う。
あなたはわたしを賢いと言う。
自分のほうが比べようもないほど賢いのに。
あなたもばかだねえ。


刺々しい現実にのみこまれることなく、
わたしはばかのまま、
ふわふわ、地に足なんてつけずに、
あなたを死ぬまで笑わせてあげられたらいいなあ。