前回の日記から一週間も経過してしまっている・・・時が経つのは本当に早い。
今日は一番の悩み事である、社会不安障害について書きたい。
私は自分が社会不安障害だと思っている。
社会不安障害はSADと呼ばれることもある。大勢の人の前で話したり行動したりすると、動機や発汗など身体症状が強く現れ、それを他人に見られることで軽蔑されたと思い込み強い不安を覚え、避けるようになってしまう病である。大勢の人の前だけでなく、見知らぬ人や地位の高い人と接する場合に上記の症状が現れたり、身体症状も、書痙といって人の前で文字を書けない現象や、声が出なくなるなどの現象もあるという。確かに誰でも人前では緊張するものだが、そういった状況に対して過度の恐怖感を覚え、避けるようになり、社会生活に支障をきたすことに障害としての一つの基準があるようである。
私は身体症状こそそれほど強いものはでないのだが、上記のような状況に強い不安、恐怖を感じる。ゼミなど怖くて取れないし、大勢で話すのが苦手なのである。そういった状況を想像するだけでも心臓が高鳴る。
また、授業や試験の途中で入室することも怖く、遅刻した時点で出席を諦めることも多々ある。
そもそも私が社会不安障害だと感じたのは、就活で失敗したことだ。面接では志望動機をはじめ、自分の意見をまとめて話すことがうまくできなかった。文章がすぐに途切れてしまい、短くなってしまうことも多い。特にグループ面接で横の受験者と比較して、強く感じた事だった。
なぜ、自分が意見をまとめられないのか。それはそういった機会が少なかったからだ。正確に言うと、グループ討論など怖くて参加できず、避けていたからだった。仲間と集まっても5人以上になると極端に口数が少なくなる。グループワークなどでも積極的に参加できない。アルバイトも人との関わりができるだけ少ないものしかしてこなかった(できなかった)。サークルや部活なども組織というものになじめず全て途中で辞めている。
全ては社会不安が根本原因にあるのだ。
なぜ今まで気づかなかったのだろう。いや、気づいていたのだと思う。ただ自分で認めたくなかったのだ。単純に自分に根性が足りないだけだと思っていた。
しかし私には将来国際舞台で仕事したいという意欲はある。そうなると自分の意見を主張することは必ず必要となる。どこかの組織に属して仕事をするにしても、フリーで生きていくにしても、人とのつながりは絶対必要である。
つまり社会不安があっては常に強いストレスにさらされながら生きていかなければならないし、そもそも社会に溶け込めるかもわからない。
私は現在、学校に紹介してもらった臨床心理士の先生に月一回のカウンセリングをしていただいている。
本当に信頼できる先生で、心から感謝している。まだカウンセリングは始まったばかりであるが、とにかく好きなことを突破口にして徐々に治療していこうということだ。
社会不安がなくなり、積極的にグループの中で行動することに恐怖感を感じなくなれば、どれだけ幸せだろう。
いつか来るその日を夢見て、私の闘いは始まったばかりだ。