Road to Freedom -2ページ目

奉仕の心

ブログを書くのは、やはり体力、気力が要ることを実感している毎日である。

ところで、
私の部屋には、以下の「日常の五心」が書かれた紙が張ってある。

    ハイという素直な心
    スミマセンという反省の心
    オカゲサマという謙虚な心
    ワタシガシマスという奉仕の心
    アリガトウという感謝の心

この中で私に最も足りないのは、奉仕の心だ。

私は何をするにも見返りを求める人間だ。そのため他人に、他人のためだけにするボランティアを今までしようとも思わなかったし、実際してこなかった。そして自分は本当に冷たい人間なのだと考えていた。

しかしこれではいけないと最近思い始めた。精神が成熟してきたからだろうか、それとも就活を通して社会貢献という言葉を浴び続けてきたからだろうか。理由はわからないが、残された学生生活の中でボランティアを経験するのもいいいのではないかと考えた。その上で自分に奉仕の心があるのか確かめたい、なければそれを育んでみよう、と。

私が選んだボランティアは、大学に外国から来ている留学生と日本語で交流する、というものだ。1対1で会うのだがどんな活動をしても良く、二人で相談して決める。

そして今日は初顔合わせの日だった。

相手はベトナムから来ている工学研究科の学生で、少しシャイな人らしく最初はうつむいて話していたが、お互いの自己紹介をしたり、日本のことやベトナムのことを話しているうちにかなり打ち解けることができた。

これから週に一度のペースで会い、日本での生活をサポートしていくと共に友人としても関係を発展させたいと考えている。そして奉仕の経験を積むと同時にコミュニケーション力も付けることができればいいと思う。また日本のことを教えるためにも、自分自身が日本についてもっと深く学ぼうとも思う。

来週の活動は、美術展での絵画鑑賞だ。


たび

私は、海外を一人で旅するのが好きだ。

といってもキャリア(笑)はまだ浅い。今まで行ったことがあるのはまだ香港、上海、タイ、マレーシア、だけである。


そして今年の夏も、ある旅を計画中である。

それは、中央アジアのウズベキスタンやカザフスタン、タジキスタンなどを回った後、中国へ渡り、ウイグル自治区を経て上海などの沿岸都市まで行く、というものである。

この旅には私なりのこだわりがある。それは全て陸路(主に鉄道)を利用して連続的に移動することと、大陸内陸部から沿岸部へ海を求めて行くこと、の2つである。

陸路を利用すれば、他国との繋がりも実感できるし、連続的な景色の変化も楽しむことができる。景色だけでなく文化も連続的に変化していく様子を身をもって感じることができるだろう。また土地の距離感をつかむこともできると思う。タイとマレーシアへ行ったときも、バンコクからクアラルンプールまで鉄道で移動した。この経験で陸路で国境を越える醍醐味を知ったわけだが、この感覚は日本にいる限り、絶対にわからない。そういった意味でも貴重な経験になると思う。

そして海を求める旅である。海は自由を連想させてくれる。その海から遠く離れた大陸の奥深くから、自由を求めて疾走する旅路を、今の自分に重ね合わせてみようと考え中である。また沿岸部に行くにつれて都市の発展の度合いが高まっていく様子を眺めるのも興味深いものに違いない。


現在、地球の歩き方などガイドブックやネットで詳細を詰めている最中である。こうしているときが一番楽しいl。

実際に旅をするときは、この日記にも紀行文を載せたいと思うので、おたのしみに(笑)

社会不安障害について

前回の日記から一週間も経過してしまっている・・・時が経つのは本当に早い。

今日は一番の悩み事である、社会不安障害について書きたい。

私は自分が社会不安障害だと思っている。

社会不安障害はSADと呼ばれることもある。大勢の人の前で話したり行動したりすると、動機や発汗など身体症状が強く現れ、それを他人に見られることで軽蔑されたと思い込み強い不安を覚え、避けるようになってしまう病である。大勢の人の前だけでなく、見知らぬ人や地位の高い人と接する場合に上記の症状が現れたり、身体症状も、書痙といって人の前で文字を書けない現象や、声が出なくなるなどの現象もあるという。確かに誰でも人前では緊張するものだが、そういった状況に対して過度の恐怖感を覚え、避けるようになり、社会生活に支障をきたすことに障害としての一つの基準があるようである。

私は身体症状こそそれほど強いものはでないのだが、上記のような状況に強い不安、恐怖を感じる。ゼミなど怖くて取れないし、大勢で話すのが苦手なのである。そういった状況を想像するだけでも心臓が高鳴る。

また、授業や試験の途中で入室することも怖く、遅刻した時点で出席を諦めることも多々ある。

そもそも私が社会不安障害だと感じたのは、就活で失敗したことだ。面接では志望動機をはじめ、自分の意見をまとめて話すことがうまくできなかった。文章がすぐに途切れてしまい、短くなってしまうことも多い。特にグループ面接で横の受験者と比較して、強く感じた事だった。

なぜ、自分が意見をまとめられないのか。それはそういった機会が少なかったからだ。正確に言うと、グループ討論など怖くて参加できず、避けていたからだった。仲間と集まっても5人以上になると極端に口数が少なくなる。グループワークなどでも積極的に参加できない。アルバイトも人との関わりができるだけ少ないものしかしてこなかった(できなかった)。サークルや部活なども組織というものになじめず全て途中で辞めている。

全ては社会不安が根本原因にあるのだ。

なぜ今まで気づかなかったのだろう。いや、気づいていたのだと思う。ただ自分で認めたくなかったのだ。単純に自分に根性が足りないだけだと思っていた。

しかし私には将来国際舞台で仕事したいという意欲はある。そうなると自分の意見を主張することは必ず必要となる。どこかの組織に属して仕事をするにしても、フリーで生きていくにしても、人とのつながりは絶対必要である。
つまり社会不安があっては常に強いストレスにさらされながら生きていかなければならないし、そもそも社会に溶け込めるかもわからない。


私は現在、学校に紹介してもらった臨床心理士の先生に月一回のカウンセリングをしていただいている。
本当に信頼できる先生で、心から感謝している。まだカウンセリングは始まったばかりであるが、とにかく好きなことを突破口にして徐々に治療していこうということだ。

社会不安がなくなり、積極的にグループの中で行動することに恐怖感を感じなくなれば、どれだけ幸せだろう。

いつか来るその日を夢見て、私の闘いは始まったばかりだ。