観察と分析と発見
観察と分析と発見
を積み重ねていくことは重要
ただ、
自分の理想のレベルの
プロデュースを仕掛けるには
それだけでは不十分である
別の何かが必要である
次の次元に昇華させるだけの
何か
そのヒントは言語化
=思考のデフォルメ
にあるような気がする
もしかしたら大爆笑
じいちゃんが入院した
喉に食べ物が通らないから、鼻に入れた管から栄養を摂る
両脚が動かない。寝たきり。
ずっと前から視力もない。
耳も遠くなっている。
最近は喋れなくなってきてもいる。
ホントに元気がない時は、目も開けようとしない。
ただ、
「おはよう」と声をかけると、
「おはよう」と僅かに返事をする。
名前を呼べば、「おお」と答える。
ただ少しだけ。
きっと、思っていても身体的に喋れないことがたくさんあるんだと思う。
そう思うと、俺も辛い。泣きそうになる。
なかなか自分の声が出せない。なかなか相手の声が聞こえない
誰かが喜ぶ姿を見ることができず、自分の苦しみを伝えることもできない。
僕たちが実感する「繋がり」を
じいちゃんは何で成せばいいのだろうか。
僕たちはそばにいて、祈るしかないのだろうか。
そばにいて、話かける。何度でも。
結果的に何も伝わらなかったとしても。
もしかしたら大爆笑するかもしれないし。。
祭じゃ。
祭。
町内には
青年団と壮年団(と子供会)が
あって、
その日、
青年団は「獅子舞」を
踊り、
壮年団は「神輿」を
担ぐ。
(子供会は手作りの神輿を
台車で!?引っ張る)
普段、地元にいない人も
親戚も集まり、
小さな町でだが、
その祭が
なんとも言えない
一体感を生み出すのだ。
老若男女。
幸せな空気感。
学校でも、会社でも
できない。
この感じは、
一朝一夕で
できるものではない。
適度に限られた
「共通の場所」
で
「相当な時間」
の蓄積。
なおかつ、
そこがみんなの
「始まりの場所」で
「原風景」があり、
帰る場所であることも
関係している。
その懐かしさも
大きな要因。
変化の多い都会では
きっと生み出せない。
変化の多い場所があるから
生み出せるとも言えるが。
誰も帰ってこれない
平日に祭なんてのも
考えられない。
今日、思ったよ。
祭って
ほんとすごい。
神輿も獅子舞もすごいし(メカニズムも含め)。
みんな笑ってる!
なにより!