この夏1番熱かった僕らの日々 -メトロに乗って002- | Turtlewalk

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亀の歩み。遅てもええやん。自分のペースで歩いたらええやん。

ゴールデンウィークが過ぎた平日の深夜なんとなく、ほんとになんとなく東京行きの飛行機をチェックして、そのまんまホテルを調べて7月のデートを画策した。

それから早1ヵ月半。とても待ち望んだような一瞬のような、もどかしい梅雨を過ごして、ようやくこの日を迎えた

シンデレラエクスプレスのようにシンデレラフライトなる言葉があるのだろうか

今年2回目の深夜の成田に到着した。乗客以外は閑散としたターミナル。僕はアライバルのゲートを目指して走っていた。まっすぐな廊下を抜けてバゲージの広場を横目に自動ドアをくぐる短躯なのにやたら胸囲の大きい人がちょこんと腰掛けて待っていた。どういうわけかとても笑顔で僕を迎えてくれたので聞いてみると、僕の走ってきた姿を見てすぐわかったからだそうだ。

空港まで来てくれてもとんぼ返りするのがわかっているのに、またまた迎えに来てくれた。やっぱり嬉しい。都内に戻る切符も既に購入済みだと言う。前回とは違って普通の電車で帰ると言うことで汽車賃もさほどかからず、遠慮なく今回初のおもてなしを受けた。車内は同じタイミングで到着したいくつかの飛行機の乗客で、夜の深い時間でも混雑していた。5ヶ月ぶりではあるものの、普段からやりとりをしているので、取り立てて大きなニュースはなく、今日ここへ来るまでの1日の事や電車の路線図を見て他愛もない話をして過ごした。金曜の夜、お互い仕事を終えてから会うということなので少し疲れていたが、蔵前のホテルに荷物を置いてすぐさま夕飯を探して近所を散策した。11時を過ぎて街は時折すれ違う、スーツケースを持った外国人と、煌々と照らされた工事現場のおっちゃん達しかいないように見えた。少し歩くと僕の街でも見かける黄色い看板の牛丼屋があった。ホテルから歩いて来て初めての飲食店だった。2人とも酒を飲まないので、居酒屋と言う選択肢はまずない。せっかく来たのにいつでも食べられる牛丼はとりあえず保留にされた。ややあって明かりが消えた雷門を横切り浅草ロックスの方へ足を向けた。相方が気になっていたが、入ったことがないと言う中華屋のような飲食店へ入ることになった。実は関西空港でマクドナルドを食べてきたのだが、そんな事は全くなかったかのように、ラーメンとチャーハンを一杯ずつそれぞれに頼んだ。ようやく腹を満たした僕たちは何も買うつもりはないのに、ドンキホーテに吸い込まれた。そして手ぶらで出てきた。こういうとても無駄なような時間が普段できないこともあってかなんだか愛しい。夜も更けて僕らは昼間の熱で蒸せ返る大きな横断歩道をホテルへと戻った。

想像していただくような5ヶ月ぶりの濃厚な粘膜接触はさほどなく、2人はダブルベットの天井に大音声のいびきを轟かせて眠った。

齢50にもなると朝は得意と言うのだろうか。自然に目が覚めるのかはたまたたくさん寝る体力がもうないのか、いつも通り6時過ぎには目が覚めてしまった。隣のマッチョのいびきはとてもすごかった。ダラダラダラダラと惰眠をむさぼる。この時間は至極至上だった。

8時。そろそろ起きないかいと揺さぶるように起こしてみたが、岩の塊のようなその体はまだ遠いどこかで夢を見ていた。

10時。さすがにもういいんじゃない早く出かけようよ。そう思いまた揺さぶってみた。今度は上に乗って耳元で話しかけてみた。起きたような起きないような。結局起きなかった。

11時を過ぎていつの間にか覚醒していたけれど、微睡むこの時間がまた心地よくて、シーツの海から上がれずにいた

たっぷりと時間があったので僕はいびきを録画してみたり、足の裏が扁平足気味だなぁって観測したりしていたので、なんだかんだで起こさなかった。それは僕のせいということになり、2人はようやく着替えて出かけることとなった。

文月の東京はもう正午過ぎていた。昨日の夜、お寿司を食べたいねと言うことになり、本日の昼食は検索した結果、目的地の手前の駅でスシローに行こうと。青砥という駅。この辺にあるはずだがと歩いてみたが、最初わからなくてようやく見つけて看板に走り寄ってみたらテイクアウト専門店だった。仕方なく駅周辺を散策したが、これといってめぼしいものが見つからず、駅ビル2階の定食屋に入った。相方は、唐揚げのみぞれあんかけ定食を食べようと決めていたが、注文を取りに来たボーイがみぞれ南蛮ですねと隣にあったチキン南蛮を指差した。僕は一瞬「おや?」と思ったがみぞれと言っていたので、どういうことなのかよくわからずボーイが去った後にオーダー間違ったんじゃないの?と相方に言ってみたが、それでもいいよ。そっちも食べたかったからとあっさり答えた。そんなところはとても好きだ。

結局運ばれてきたのはチキン南蛮定食だった。「これもうまいよ」と美味しそうに相方が食べるのが僕も嬉しかった。腹ごしらえも終わり、初めての柴又。僕は去年から「男はつらいよ」の映画を順番に少しずつ見ている。毎回出てくる。柴又帝釈天の門前町を実際に見てみたかった。そこには寅さん記念館もあると言う。

到着した柴又の駅舎は、あちこちに寅さんの思い出が蘇るような仕掛けがあった。ホームの柱には名場面のパネル。駅入り口の広場には寅さんと妹のさくらの銅像が立っていた。参道をゆっくりと帝釈天へ進む。さほど道幅も広くない。参道は今でも賑わいを見せていた。右へゆるやかに曲がって信号を渡った。その先に寅さんの実家のモデルになった「とらや」という団子屋があった。映画の雰囲気よりも、店内は少し広めに見えた。まずはお参りが先と言うことで、買い食いもせずにそのまま店先を通り過ぎた。見えてきたのは古い立派な門。何度も映画で見たあの門だった。左手には鐘楼も見える。門を潜って手水を使い、お堂に上がらせていただく。今日は年に4回しかない庚申祭の日。それはたまたまでしたが、ありがたい御朱印も頂戴して2人でその懐かしい雰囲気を味わった。この寺の事は知らないのにこの景色の事は知ってるような。なんだか不思議な感覚だった。

寅さん記念館は江戸川の土手のすぐそばだった。題経寺からは歩いてしばらく。入場料500円土曜日のわりに人もなく、僕らはゆっくりゆっくりと寅さんの生涯を堪能した。相方の父親は寅さんが好きで一緒に映画館にも行ったことがあるらしい。2人とも、ちょっとした寅さんフリークということで懐かしい映像も片っ端から見ては「あーこれこれ知ってる知ってる」と、とても盛り上がった。団子屋よ「とらや」のセットも組まれているのでこんな狭いんだなぁと思いながら、記念写真を撮った。とてもゆっくりと見て回ったので、あっという間に閉館時間の5時がやってきた。外に出たら僕は江戸川を見てみたくて土手を登った。本当に映画のオープニングのようにジョギングをしている人や自転車で通る人、それに河原でスポーツしている人。それぞれがそれぞれの週末を楽しんでいた。雨の予報だったのに、この日は大して降られる事はなく、大して汗をかいているわけでもなかったが、ここから少しばかりの新小岩のレインボーと言うサウナに向かった。今やサウナハットは常識なのだろうか僕の地元じゃサウナハット使用率は2人位。ところがここにはサウナハットをかけておく壁掛けが湯船の側に用意されているほど、猫も杓子もカラフルなサウナハットを被っている。もちろん僕は持っていないし、頭皮をそのまま晒してサウナに入った。3回ほど出たり入ったりを繰り返してほどほどにレインボーを後にする。レインボーは2階。その1階には、かっぱ寿司。ようやくお寿司を味わうことができた。今回は京成線に大変お世話になっている。それで浅草橋まで戻り、乗り換えて浅草へ。ホテルで1時間仮眠する。次の目的はジムで合同トレーニングだった。今度はちゃんとアラームをセットして1時間後に起床。もう夜の11時。外は微妙に傘が要る程度の雨が降っていたが、ジムが近いので傘もささず徒歩でエニタイムフィットネス蔵前店を目指した。都会のジムは僕の行きつけとは全く違った様相を呈していた。蔵前店は4階建て。一つ一つのフロアはとても狭い。そしてエレベーターがない。それでも土曜の夜と言うのに利用客がまあまあいた。僕は肩と胸をすることにしてベンチを使って、ダンベルでトレーニングをした。2時間ほどすると雨は上がるどころかきつくなっていた。シャワーも浴びていないので、濡れる事は気にせず、帰路についた後、それぞれにシャワーを浴びて。明日は10時チェックアウトなので、しっかりと冷房をかけて早々に寝入った

結局チェックアウトはギリギリだった。外は梅雨の晴れ間。ご機嫌なスカイツリーが抜けるような青空に刺さっていた。

飛行機の背もたれにあった小冊子そこに紹介されていた根津神社へと向かった。相方も地元だと言うのに、幼い頃は全然知らなかったようで、僕はとても気にいった。空気もいいし、国宝である門も良かったし、ちょうど夏越しの払いで茅の輪潜りもできた、そしてまたここには千本鳥居もあるので素敵な撮影ができた。そうそう、参道の店店の中にストーンのお店があった。実は昨日サウナで水晶の数珠を落としてしまい、糸がはじけて切れて困っていた。店先には修理も承ると書いてあったので帰り道寄ってみたら500円で見事復活させてもらった。これもやっぱり縁なのかなぁとほっこりした。根津には小さなカフェやお店がたくさんあった、込み入った路地を抜けて結局、降りたバス停のところに戻った。夏メンチと書かれた幟に僕は惹かれて2つ購入した。その間に相方はランチの見当をつけた店の前で待機していた。ところがそこのパスタ屋は少し混雑していた。もう少し坂を上ったところに「ご飯がすすむ食堂」と言う名の食堂があって、僕らはここでハンバーグのランチをいただいた。いい雰囲気の美味しいお店だった。そして次なるは谷中銀座の「ひみつ堂」。何度かインスタのフォロワーさんが行ってるのを見かけたのできっとおいしいのかなと単純に行ってみたいと思った、かき氷の店である。まぁメニューは見ていないのでどんなものがあるか全く知らなかったが、前回も来た谷中銀座に到着。通りを抜けて有名な階段下を右へ曲がるや否や何やら行列が見えた。嫌な気がした。行列は3度折れてひみつ堂へと続いていた。とたんに帰ろうと思った。結局僕らはあっさりとかき氷を諦めて、またまたまた雷門近く吾妻橋へと向かった。およそ20年ぶり位に浜離宮へ行きたかったからだ。そしたら相方が水上バスで行ったらどう?と教えてくれたのでそれに乗ることになった。水上バス乗り場まで歩く間に相方お気に入りのお芋のきんつばを売っているお店がちょうどあったので、1つずつ購入して食べ歩いた。水上バスは小さな国連会議のように様々な国の人で溢れていた。大盛況でソールドアウトも出ていたが、僕たちが乗りたい浜離宮行きにはまだ空きがあった。時間が来て、船は隅田川を降り始めた。いくつもの橋をくぐる。相方は一つ一つ橋の名前を説明してくれる。風が心地よい。別のルートの水上バス、屋形船、岸辺で涼む人。みんな手を振ってくれる。なんだか嬉しくて、僕は目も合っていないのに手を振り返していた。30分少々で水上バスは浜離宮に到着した。そこには何があると言うわけではない。昔の将軍のお庭があって、客をもてなすために海を見ながらお茶を立てる場所や、深い緑、池の亀、水鳥。ここは東京ということを忘れていたが、後に聳える、近代的なビルが僕をそうさせてくれなかった、それにしても穏やかな空間でこの空間や間をを楽しめる2人が僕は好きだった。陽も傾き始めて、そこから歩いて新橋へ。最後の予定はカラオケを歌うこと。歌いたい曲を僕は何曲もメモしてあった。でも1番歌わないといけないのは、東京デートのテーマ曲「斉藤和義のメトロに乗って」だった。それを動画に収めて、3時間はあっという間に過ぎた。帰りは羽田からのフライト。羽田空港はもう何年ぶりだろうか。チェックインを済ませて浅草で有名だと言う洋食屋のハヤシライスをパクついた。

暮れてしまった夏を惜しむように僕は人目は気にせず、相方を強くハグした。

ありがとう。またねと言う気持ちを込めて。

1時間と少しのフライトで僕の体は関西へと運ばれた。

肌に残った今日の日差しがこの夏の僕の思い出となった。