最近、名古屋市や旭川市などのいじめ事件についての報道を見聞きしました。
このブログでも「いじめ」については何回も書いてきたような気がします。
そのうちのごく一部ですが
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私は、卑劣で下劣で醜い「いじめ」は存在し続けると思っています。
どれだけ時間をかけて啓蒙しようとも「いじめ」はなくならない。
これまでも、子供たちが多くの時間を過ごす学校を中心に、卑劣な「いじめ」が繰り返されてきました。
「いじめ」の首謀者、実行者と学校などで一緒になってしまったがゆえに、わずか10年や15年くらいしか生きていない子供たちが、人生に絶望をしなければいけない理由などあるわけがない。
最近になって、「いじめ」という行為の醜さや情けなさがピックアップされることも増えました。(ただし、それはいじめの事件などがあるから話題になるわけで喜ばしいことではありません)
多くの場合、いじめの加害者と被害者は年齢が近くて、被害者が加害者に正論を言ったところで事態は解決しません。
そもそも、「いじめ」をしている子供の多くは、そんな想像力や理解力、思いやりの気持ちなんて残念なことに持ち合わせていません。
一方、被害者の多くは「親にはいじめられていることを知られたくない。心配かけたくない」といった想像力や優しい気持ちをもった子が多く、そこに無神経で軽薄な加害者がつけこんでくる・・・。
これは決して加害者を攻撃しているわけではなく、そういう前提で「いじめ」というものに向き合うべきだということです。
ではどうするか?
私は、子供の「いじめ」には大人が干渉するべきだと思います。
ひどければひどいほど、子供同士で解決などできない。
学校の先生、ときに我々のような民間人、そしてもちろん親が前に出ていくべきです。
「子供の喧嘩に親が出ていくのは・・・」という考えもありますが、喧嘩といじめは別物です。
大人が、親が、強い覚悟をもって無知なる加害者と対峙すべきだと思います。
きっと、いじめをしている子供の多くは大人の登場に一瞬たじろいだ後、自分を守ろうとします。
相手への加害に思いを馳せて反省するのではなく、自分を正当化しようとします。
本当に卑怯で醜いさまですが、これも先ほどと同じで、そういう前提で対応するということです。
後は、加害者側の親の対応にかかってくると思います。
我が子に卑劣な行為を理解させ、反省させ、相手に心からお詫びができる親も存在します。
逆に、我が子を守ることに躍起になる親がいます。
この場合、我が子を正当化しようとしたり、被害者側にも非があるなどと見当違いなことを言い始めたりすることがあります。
こうした場合はまともに相手をしないことです。賠償などの交渉は弁護士に任せた方がいい。
そんな加害者と被害者の間に入ることが多いのが学校の先生です。ときには私たちも。
間に入る人間の調整力や対応によって結論は大きく変わりますから責任重大です。
自分の人生の主人公は自分自身です。
醜いのっぺらぼうが道をふさぐなら、別の楽しいルートをスキップして歩いたっていい。
徹底的にやりあうならそれも方法ですが、正攻法では組み合えないし噛み合わないと思います。
夏休み明け、9月、新学期は「いじめ」を苦にしてしまう子がいる時期です。
もし、いじめられて苦しんでいる子供たちがいるなら、加害者なんかと直接向き合う必要も意味もありません。(それは逃げではなく自分を守ることなんだから、親や周りの大人に話したり、相談窓口に相談したっていい。自分だけで真正面から受け止める必要も価値もない。)
「いじめ」の話題になると、どうしても言葉が強くなってしまうのはご容赦ください。
私、いじめはなくならないと思っていますが、悲しいニュースはなくせると信じています。