いじめで大切な命が… | 教育・受験のミカタ

教育・受験のミカタ

NEホールディングス(栄光学園・西塾・進学塾サンライズ・名古屋個別指導学院・コンパス)社長ブログ

名古屋市立中学の生徒がいじめを苦に自殺したという報道を目にしました。

 

(中京テレビより)

 

女子生徒は去年11月ごろからLINEグループ上で同じ学校の生徒から誹謗中傷のメッセージを送られ、今年1月以降、欠席や遅刻が多くなっていたとか。

 

女子生徒側は学校に対して去年11月ごろから担任に相談などをしていたものの、女子生徒の希望で加害生徒への直接の指導は行っていなかったと伝えられています。(真相は分かりませんが)

 

私自身は、小学生の頃のことですが、激しいいじめを受けた経験があります。

 

もう半世紀も生きていますが、未だに記憶に残っています。

 

そうした自身の経験もあって、いじめの問題には敏感に反応してしまうのかもしれません。

 

今回のケースで言えば、報復が怖くて加害生徒への指導を望まなかったと伝えられていますが、それでも勇気を振り絞って担任に相談したという女子生徒からのSOSが、結果としては最悪の結末となってしまったことを本当に悔しく残念に思います。

 

決して加害者側を追及したいわけではなく、学校や先生、大人が、大切な子供の命を守れなかったことが、繰り返しになりますが本当に残念でなりません。

 

大切な大切な人様の命を奪うようなことは何があっても許されるわけがない。尊厳を踏みにじり死に追いやるまで追い詰めるなんてことがあっていいわけがない。

 

自殺だけでなく、虐待や事件、事故で命が失われるようなことを見聞きするたびに、私は2015年の川崎市の中学1年生の事件のことを思い出します。以下、そのときの中日新聞の記事です。

 

中日春秋

少年の世界は「暴力」が支配している。過言ではない。大人の男は程度の差はあれ、経験しているはずなのだが、忘れてしまう。たぶん、記憶にとどめたくない経験なのだろう。忘れたがっている。自分はそんなことはなかったという方もいるか。それは運が良かっただけなのだ

▼川崎市の中学一年生の上村遼太君が殺された。上村君が付き合いをやめたがっていたグループの少年三人が逮捕された。事実解明を待たねばならないが、首を刺された揚げ句、寒空に衣服を脱がされ放置されたという新聞記事の文字が目に、胸に突き刺さる

▼現場となった河川敷。被害者とは縁もゆかりもない方も足を運んでいる。大人として救えなかったことが申し訳なく、苦しいのであろう

▼暴力があふれる少年期に、運の悪い子は餌食にされ、孤独な戦いを強いられる。誰にも相談できない。報復も怖い。勇気とは自分で解決することと勘違いもする。親や友人も心配させたくない。優しい子ほど、黙り込んでしまう

▼少年期の野蛮な行為にわれわれは寛容すぎたのではないか。「やんちゃな時期」などというふざけた言葉に免罪符は絶対にやれぬ

▼あらゆる暴力から子どもを守る。大人の責任である。少年期に誰かによって、殺されることなく生き延びた大人は暴力や脅迫に怯(おび)えた日を思い出すべきである。上村君はあの時の私やあなたである。

(2015年3月1日中日新聞)

 

この記事を読むと今もなお、言葉が突き刺さります。

 

ブログを書くというのは小さな発信に過ぎませんが、自分にできることを考え続けていきます。