前田伝次郎
明治15年6月
これら派遣した人たちの帰郷を
待って、この年秋創設されたのが
豊橋最初の本格的な製糸工場 
である細谷製糸工場であった!!
会社の経営は、仁右衛門が社長
となり、伝次郎は支配人に
前田桂次郎広田辰次郎が工場の
監督にあたり、河合程平
河合常次朗大林宇吉
金子仁左衛門等が繭買を担当した
工場も当初は水車動力であったが
明治16年6月からは蒸気機械を
導入した!!はじめは 十分な成績
を上げることができなかったが
次第に順調に向かい、他工場でも
細谷製糸工場を模範とするよう
になった!!そして、明治 29年
伝次郎は会社を辞職し
以後監査役となった!!
これより先、伝次郎
明治26年自ら『前田合名会社』
を設立して取締役兼支配人に
就任したこの会社は、親族子弟を
糾合して設立したもので
資本金2万円74人繰で年々7千斥
(4.2トン)以上の生糸を
生産するようになった
製品の主な販売先はフランスで
横浜生糸合名会社を介して
直輸出していた!!以後
同社は29年に100人繰となり
32年には120人繰に増設し
優等な生糸を生産する会社
として知られた!!
伝次郎の功績に対する褒賞は
数知れず、愛知県知事、三河農会
渥美郡長、農商務大臣、 各共進会
大日本蚕糸会等より表彰
賞金を受けた💐💐
この地方へ養蚕、製糸技術を
普及させた業績は高い評価を
受けたが、32年5月3日突然没した
生前、三男喜市の協力を得て
自叙伝執筆に 取りかかったが
果たせなかった!!後年
前田家ではこれを追補して
『前田伝次郎略歴』として
出版したなお、翌33年知友
厚志で建碑が企図され
35年3月9日
東細谷町医王寺境内に
『前田伝次郎君碑』が建設された
⇩✨郷土豊橋を築いた
先覚者たちより✨⇩