大林宇吉✨
(一八六〇〜一九三三)
🗺渥美郡寺沢村(現市内寺沢町)🗺
✨三遠玉糸製造同業組合設立に 
尽力した製糸家✨
宇吉は、細谷小学校に学び
同校助教を務めるかたわら🏫
夜は宮路宗海に漢学を学んだ
進取性に富んだ宇吉は
明治初期写真に 興味をもって
単身横浜へ行き、西洋文明を体感
したことがあるという📸
明治十五年、朝倉仁右衛門
細谷製糸工場を設立すると
翌年株主として入社し
金子仁左衛門等と原料購入係に
従事した🏭
そして、宇吉が玉糸製糸に注目
したのはその創始者小淵志より
早い時期で、のち志ちから
玉糸繰糸法を修得 した工女六名を
雇い、玉糸製糸の専業工場を
寺沢村に建設した🏭
当時、玉糸製糸業は技術的に
困難をともなっていたが、反面競争
相手が少ないという利点があった…
宇吉の工場は、創業当時は
八釜であったが、 二十六年蒸気機関
の応用に成功し三八釜に拡張した
また、四十四年には寺沢から
現在の花中町に工場を移転し
一〇八釜に拡張した!!さらに
大正二年(一九一三)玉糸の経糸利用
九年煮繭装置の改良等玉糸製糸の
発展に努めた👏こうした宇吉等
努力により、全国の玉糸の八割が
豊橋で生産されるに至ったので
ある!!宇吉の功績に対し
十四年愛知県は産業功労者表彰を
行ない、昭和二年(一九二七)には
今上天皇拝謁が許された!!
宇吉は、また製糸業のかたわら
小沢村・渥美郡・二川町
・豊橋市会議員を歴任し
八年十二月八日に没した!!

大林宇吉さんも小淵志ちも

朝倉仁右衛門さんも製糸業発展の

為に頑張りました👏