機械化の波
⏬️✨️機械化のはしり
日本騎兵写真集より✨️⏬️

機械化
騎兵学校が初めて自動車や
戦車の研究を
始めたのは大正九年。
外国製の戦車や装甲車を
使って研究を重ねたが
昭和七年に九二式重装甲車
が騎兵用として制定された。
同年、騎兵第一旅団が
満州に出征するに際し
装甲車隊がその編成に
加わり、さらに昭和十年
二個中隊より成る
騎兵集団装甲車隊と
騎兵学校にも装甲車隊が
でき漸く機甲化の
素地ができ上った。
支那事変の初年度は
まだ乗馬の騎兵聯隊
だったが
十三年から新設された
各師団は乗車、装甲車を
主体とする師団捜索隊
または捜索隊であって
その後従来の騎兵聯隊も
大半は捜索聯隊に
改編された。
血の通わぬ四足共よ
と蔑む者もいた。
水馬も障害飛越もできぬ
情ない奴と、邪道扱にする
向もあった。
長靴と拍車に対する愛着は
なかなか捨て難かった。
しかし、道さえよければ
一日に一〇〇キロ以上も
楽々と行軍でき、馬繋場を
捜す必要もなく
負傷者や病人が出ても
連れて歩くのにさほど
苦しまなくてもよいのは
有難かった。
あの頃、新兵が入ってくると
馬の時代はこうだったと
古兵が苦労話を
聞かせたものだが
それは懐古の情でもあった。
あれもこれも
今となっては総て夢。
日本騎兵写真集より
騎兵機械化年表
大正7年
第1次大戦終結
大正9年
騎兵学校
仏国製ルノー6トン戦車
の交付を受け研究開始
次いで英国製装甲
自動車オースチン
カーテンロイド交付され研究
大正10以降
特別騎兵演習に騎兵学校で
編成した装甲車隊が参加
大正14年、(歩兵の一部
として戦車隊編成される)
仏国製ルノー6トン戦車
自動車オースチン
カーテンロイドを深掘り…
