オリンピック馬術競技


⏬️✨️中佐、城戸俊三と久軍号
インターネットより✨️⏬️

城戸 俊三

きど しゅんぞう

🌟生誕
1889年7月4日
宮城県仙台市

🌟死没
1986年10月3日(97歳没)

🌟所属組織
 大日本帝国陸軍

🌟軍歴
1909年 〜1934年

🌟兵科、騎兵

🌟最終階級、陸軍騎兵中佐

🌟出身校、陸軍士官学校

🌟除隊後宮内省職員

1889年(明治22年)7月4日
宮城県仙台市に生まる

旧制宮城縣立仙台第一中学校
(現在の宮城県仙台
第一高等学校)
13期生卒業後
陸軍士官学校へ入校

1910年(明治43年)
に陸軍士官学校(22期)
を卒業し、騎兵将校となる

城戸はフランスの
ソミュール騎兵学校への
留学などを経て
千葉県習志野市に所在した
陸軍騎兵学校の教官となった

1928年陸軍騎兵少佐時代には
陸軍教育総監部の下命により
騎兵学校訓練馬新規導入の為
に城戸がフランスへ出張して
外国産馬買付業務を行い
その詳細な報告を
白川義則陸軍大臣宛
行った記録が存在する

また馬術選手としても
国内外の大会に出場
1928年アムステルダム
オリンピック総合馬術に自ら
の愛馬たる久軍號と共に出場し 
21位という成績を残した

1932年ロサンゼルス
オリンピックでは
馬術日本代表主将を拝受し
総合馬術でも久軍號と共に
出場し、快調に競技を
進めていたかに見えた
最終盤に於いて
久軍號が異常発汗し
呼吸が荒くなったのを
察するや直ちに下馬し
競技を途中棄権した
この、『競技よりも馬の
健康を優先した』
城戸の行動に場内の
観衆が称賛の拍手を
送ったと伝えられる

⏬️✨️白川義則
1930年代 
インターネットより✨️⏬️

白川義則

しらかわよしのり

🌟生誕
1869年1月24日
(明治元年12月12日)
伊予国温泉郡松山城下千舟町
(現、愛媛県松山市)

🌟死没
1932年(昭和7年)
5月26日(63歳没)
中華民国・上海市租界平凉路
(上海派遣軍兵站病院)

🌟所属組織
 大日本帝国陸軍

🌟軍歴、1884年〜1932年

🌟最終階級、陸軍大将

🌟勲章
 勲一等旭日桐花大綬章
 功二級金鵄勲章

🌟墓所
松山市・鷺谷墓地
東京都・青山霊園

日本の政治家

🌟称号
従二位
勲一等旭日桐花大綬章
功二級金鵄勲章
男爵

🌟配偶者、白川タマ
子女、白川義正(長男)
白川元春(三男)

第18代 陸軍大臣

🌟内閣、田中義一内閣

🌟在任期間
1927年4月20日〜1929年7月2日

第9代 陸軍次官

🌟内閣、加藤友三郎内閣
第2次山本内閣

🌟在任期間
1922年10月20日
〜1923年10月10日

🌟同郷の先輩である
陸軍大将秋山好古は
白川を可愛がり
『白川、勉強しているか』
と、白川が陸軍大将に
なった後もいつも
声をかけていた
『白川、勉強しているか』
と、白川が陸軍大将に
なった後もいつも
声をかけていた

🌟また好古が糖尿病で
入院した時も見舞いに
行っている

🌟好古の弟・秋山真之とも
同郷で交流があった