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maple8cinnamonのブログ

メープル・エイト・シナモンです。
テレビやWebで見たことをキッカケに、ふと昔のことを思い出したり、
今、自分のすべきことを思い付いたりする年金暮らしの日々。
お暇な方だけお付き合いいただければ幸いです。

前回の②に書いたが、妻はダメと言ったら絶対ダメ。一点の妥協も許さない。長年アパレル関係の製造工程で職人的な立場だったが、確かに職人気質といえばそれなのかもしれない。
一方の私は商店に生まれ、小学校に入る頃から「お客さん」という存在を常に意識して生きてきた。苦手な食べ物も、「世の中にはこれを好きな人がいるだろう。好かれる部分がきっと隠れているはず」と思って挑戦していた記憶がある。
妻とは真逆で、自分の思い通りにならないことは多く、周囲のものを極力受け容れようと、無意識に思っていた。

私は長く営業に携わってきたが、利害を異にする相手とやり合っていると
「ここの一点だけを押さえられれば、あとのことは概ね構わない」という思い切りが必要になってくる。互いが100%を主張していては、一向に仕事は進まない。
敵同士でも顔を突き合わせて、建設的な50%を追い求めた。そんな調整作業を経て、一緒に汗を流した方達とは同志に近い信頼関係が生まれる。組めば必ずいいものが出来る自信を共有できる幸せを味わった。

そんな職務上の経験を通じて、私は新婚時代からの30年でかなり成長できたと、自分自身思っている。前回書いたように妻と価値観を共有していると思い込みながら、私は必ずしも君子ではないが、かなり豹変した。

しかし、これまで常に24時間戦ってきて、64歳での病気ですっかり足を洗って、初めて妻のことをよく見たら「あれ、この人全然変わってない!」と気付いてしまったのだ。
広告代理店の営業部長として全てを忖度しようと駆けずり回っている私と違って、妻は周囲に少しも折れること無く、自分の価値観を守り切った人なのだ。言い換えると、まったく成長していないように見える。
時々身勝手な子供にも見える。

私もまったく放置していた訳ではない。
比較的新婚の頃で私も代理店に入りたてで、多忙を極めていたころだ。
家での小さい事だったが、妻と必ず相談したいことだったので、あえて妻に「〇時〇分に打ち合わせしよう」と、前もって言ったところ、返ってきた言葉が「そういうのいいから!」だった。

結局、我が家では落ち着いて何かを話し合う場面はなく、夕食後の食卓を挟んだ形で「〇〇はどうしようか」と妻が大体怒った口調で言い出し、いつも場当たり的な対応をしていたのである。

また既に20年位経ったある日、週末家にいると「夕食は何にしようか」といつもうるさいので、「じゃ、第三何曜日は〇〇って決めたら」というと「ルールは面倒くさい」と言って即座に拒否。
どっちが面倒くさいか解ってないのか?

これらはガッカリして忘れられない出来事なのだが、最近になって解ってきたことは、「やはり妻は0か100の一歩も譲れない人」だということ。
私は仕事で建設的な50を創り出す幸せを何度も経験しているが、これまで幾度か妻に寂しい思いをさせられてきたのは、彼女と幸せな50を生み出す望みを断たれたとその都度感じたからだと、理解した。



 

やはり、結婚するなら価値観が近い人に越したことはない。

 

結婚したら、夫婦は一つの経済単位として社会とうまく折り合っていかなくてはならない。

ご近所や自治体から大小様々な選択や届け出・申告を迫られる日常。勤め先からは転勤の辞令が下る適齢期。結婚した瞬間から別れるまで、夫婦一体としての判断が延々と繰り返し求められていく。

 

今思えば、私と妻はそれらについて、真剣に話し合うこともなく、あまりにも当時の社会通念的な価値観で直感的に処理してきたと思う。

私は業界紙の広告営業から広告代理店に転職して間もなく妻と出会い、結婚したので、忙しかったこともあり、生活上で外部との手続きがあれば私が片付けていた。それこそ仕事感覚で。

 

宅内のことは、成りゆき上、妻に一任だった。

私たちの頃は、男は仕事でほとんど家にいないので、宅内のことについてあれこれ言ったところで、意味のないことだった。

思えば、我々夫婦は互いの価値観をぶつけ合う貴重な機会を自ら棄てていた。

些細なことでは意見というか、嗜好が合わないことも時々あったが、妻の強く感情的に拒む姿勢を見て、「可愛いワガママ」と受け容れていたのだが、それら全てが一点の妥協も許さない絶対的な拒否の態度だったのが何となく気になったし、悲しかった。

 

そして、今になってようやく肩から人生の重い荷を下ろして、妻を初めて真正面から見ている私がいる。

 

「自分は価値観の近い女性と結婚したのだろうか。」

振り返ってみると、答えは完全に『否』だった。

 

妻との年齢差は5歳で、極めて一般的だ。

互いの実家は車で10分以内の距離で成育環境も理解し合えただろう。また夫婦ともに高校までは公立を出ていることも心身の成長過程での経験に共通項が多いと思われた。

結婚まで急いでしまったことが致命的だったかもしれないが、しばらく付き合ったとして私が妻の何を見出せたのかは甚だ心許ない。

とにかくすべて外形的な要因からの思い込みで結婚に踏み切ってしまった。

 
30年以上掛かって解ったことは、上記のように成育環境が近くても、価値観は別の物差しで形作られる、ということだ。
 
それが解った今、私はこれからどうしたらいいのだろうか?
また、どうすれば良かったのだろうか?
 
 

昔は似たもの同士じゃなくて、「多少価値観や性格が離れた相手とうまく付き合うことが互いの成長に繋がる」というような理由で、国際結婚も含めて、あえて困難な生き方を薦めるような論調が、特に若者雑誌などで多く見られた。

恐らく、占いなんかで相性がよろしくないというような結果が出た男女に向けた、詭弁に近いアドバイスがルーツなのではないか。

 

若かった私も何度もこの説に触れ、『なるほど』と賛同していたものだ。

 

当時の日本人は、総じて生産的指向が強く、多少生い立ちに差があっても、「成長」という果実の下に一つになれる可能性は、確かに少なくなかった。

だから、こんな屈折した主張がまかり通っていたのだろう。

今にして思えば、一体誰がこんないい加減なことを書いていたのか、出来ることなら教えてもらいたい!!

 

東京マラソンの表彰式で、小池都知事がコートのポケットに手を入れていたとネットで、また都議会でも非難された。


私もテレビを観ていてすぐそれに気が付いたが、表彰式自体がまったく形式に拘ってなく、あまりに緩く、軽く、早く、コンパクトに処理されていたので小池都知事の振る舞いもあまり違和感や不快感を覚えなかった。

それに知事はコートのポケットにずっと手を入れてた訳ではない。

基本的には常にすぐそばにいる関係者と継続的にやりとりしており、手を出した状態だった。むしろステージに上がったことで周囲からの指示・確認から少し解放されたので時々ポケットに手を入れるようになった。それも入れたり出したりだった。ステージ上に限って見ても入れてた時間の方が短かっただろう。

しかも表彰されたのは優勝した外国人選手一人で、2位以下は見当たらず。優勝が日本人選手ならともかくそういう結果なのだから、そそくさと表彰式が終わっても不思議ではない。

さらに場所は当然屋外、路上でこれ以上無いくらいに簡易なステージで超フランクにやっていて、まだ後続選手が次々にゴールインしている中、小池都知事が優勝選手にスッとトロフィーを渡してからツーショットでポーズして降壇するまで10秒位。
ポケットに手を入れていたのは、ステージ袖で待機している僅かな時間だ。

それでもこんなご時世なので何か文句言われるかなと思ったが、案の定だ。
いいじゃないか。
見た目は若いけど私よりひとつ先輩、66歳のおばあちゃんだよ。
寒いんだから。。。
若いとき確実に感じた体内のカロリーが出ない!

それにしても、確かに手を入れてるより出してた方が良かったかな…その程度のこと。
ただ都議会の最中だったし、その辺は小池さんも珍しく気を緩めてしまったのかな。

 

来週1月13日(日)から、東京・両国国技館において初場所が始まる。

 

昨年は何と言っても元・貴乃花親方と日本相撲協会の攻防戦が拡大し過ぎた。

厳密に言えば一昨年11月に発覚した日馬富士暴行事件から端を発した、足掛け2年に及ぶ消耗戦であった。

その間マスコミでは土俵上の勝負より多くの時間を割いて報じられ、相撲ファンにとっては忸怩たる思いの続く日々だった。

そのマスコミも今は「花田家騒動」にすっかりシフトしてしまい、最大の当事者であった元・貴乃花親方も突然「花田光司氏」に回帰し、完全に第三者の立ち位置にワープしている。

 

我々相撲ファンがふと我に返ると、相撲界一面がれきの山というか、大きな台風が通った被災地のように今までずっとそこにあったものが無くなったり、はるか遠くに飛んでいってしまったり、すべての物事が白日夢のようにあっけなく激変していたのだ。

 

昨年10月20日には当ブログで「貴乃花親方の問題」として、やや親方の肩を持つ記事を書いたが、ここまで遠大なスケールのすったもんだが続くとは思っていなかった。

今は、いったい何だったんだろう?という「戦後の焼け野原」感に似た気持ちだ。

 

今回の初場所には三横綱が帰ってきて、特に稀勢の里の進退を賭けた土俵が注目されるが、少しでもそこに集中できるように、いわゆる「貴乃花騒動」を以下のように総括してみた。

 

 

「貴乃花騒動」まとめ

●2017年

10月25日 日馬富士が貴ノ岩に暴行。
11月29日 日馬富士引退、福岡県太宰府市内で記者会見。
12月20日 協会の理事会において日馬富士の師匠の伊勢ヶ濱親方は理事から2階級降格で役員待遇委員となった。

 

●2018年

1月4日 協会は上記暴行事件の被害者貴ノ岩の師匠である貴乃花親方のその後の対応を問題視し、臨時評議員会において貴乃花親方の理事職を解任した。
2月2日 貴乃花親方が一門の親方衆の反対を押し切り、理事候補選挙に立候補。落選。
2月7日 テレビ朝日系「独占緊急特報!!貴乃花105日間の沈黙を破りすべてを語る」の中で協会批判を展開、執行部への対決姿勢を鮮明にする。
3月9日 貴乃花部屋のホームページ上で元横綱日馬富士の傷害事件における協会の対応に問題があったとして、内閣府の公益認定等委員会に告発状を提出したことを公表。
3月18日 三月場所8日目新十両の貴公俊が付き人に暴行。1場所(2018年五月場所)の出場停止処分。
3月28日 貴乃花親方は理事候補選挙落選による慣例で役員待遇から委員に降格となり、翌29日の理事会では三月場所中の無断欠勤と弟子の貴公俊の暴行事件の監督責任から平年寄に降格された。
6月20日 自身が代表であった貴乃花一門から離脱し、無所属になることを表明。貴乃花一門が消滅。
9月25日 貴乃花親方が日本相撲協会を退職すると表明。
10月1日 貴乃花部屋が消滅し、部屋力士・呼出・世話人は千賀の浦部屋に移籍した。
12月4日 貴ノ岩による付き人への暴行事件が発生。
12月7日 貴ノ岩、引退表明。

 


正直、私の長期的な番付予想では、貴ノ岩が、もし日馬富士から暴行を受けるようなことが無かったら、今頃大関を張っているはずなのだ。

あの事件までは、一場所毎に着実に力を付けていることがこの目に見えていたからだ。

そんなモンゴル青年の夢物語が、諸々の事件の真相も解らないまま潰えてしまったのは誠に残念である。