最近の不安。
わが琴海地区だけでこんなに小さな山の神があるということは、お隣の時津町や、長崎市郊外にもあるってことなのでは…

①塩神さま
〈長崎市 長浦町〉

↑今回の山の神の近くを流れる手崎川です
見てください
川面のリフレクションが素晴らしいでしょう
いつもこんなんじゃないんですよ
目的地は向かって左の小山に2か所あります。

↑こちらから登ります
こちらはお隣で畑仕事をされていた方に教わりました

↑少し登ります。ゴールは見えてる

↑わかんないってばもう、よそ者は
場所がね❣
塩神さまです。
塩釜大明神です。
江戸時代の大村藩の『郷村記』には9月9日が例祭と書かれていますが、わたしは郷村記は直接読んでおらず、琴海町史でその記述を読みました。
琴海町史は良い郷土誌です
長崎市の他の地域の郷土誌と読み比べても、内容が濃いと感じます。
琴海出身で、大阪で長年郷土研究をされた先生が執筆していて、琴海愛がこもっているし、補足情報の肉付けも充実しています。
印付きマップもついているし。(付いていない郷土誌もあります)
琴海町史はまさに上げ膳据え膳の郷土誌です。(たまに誤植もありますが、他の本にもたまにあるので
)
ですが琴海の人間と、それ以外の長崎の人が読むと『欲しい情報』が違うのかなと感じる発言を聞いた事もあります。それは仕方ないですけどね!
②手崎の山神と宝塔さま
長浦町の手崎川の辺りを手崎と言います。
〈長崎市 長浦町〉

↑塩神さまから一旦下りて、
先に別の方のお宅を突撃訪問して教えてもらっていた山の神さまへ
同じ小山でも登り口が違います…が、無理やりまっすぐ登ってもすぐ行けます

↑わぁ、苔がきれい


↑夕日を背にして宝塔さまと、向かって左奥に山の神さまがありました♪
宝塔さまがメインの配置です。昔の仏教優位を思わせます。
位置も左側(優位)です。
ちなみに関係あるのかわかりませんが、前回の山の神さまと宝塔さまは、山の神さまが左で、高さも上でした。

↑山の神さま

↑宝塔さま
お題目、
除其衰患(じょごすいげん。その衰えや病、悩み等を取り除く)、
令得安穏(りょうとくあんのん。穏やかさを得させる)、
明治九年孟春(陰暦1月)建
と彫られています。
※()内の意味はAIに教えてもらったので、誤りがあればご指摘ください☆


↑そして翌月(6月19日)
手崎川を通りすがると、山の神さまの鎮座するお山に向かって川を挟んでお供え物がしてありました。
あめ玉やマファールやカケグリ(お神酒を入れた細い竹の束)?など。
本当は神社も何度か来てみると新たな発見があって面白いんですよね。特に例祭の日。なかなか行けませんけど…。
お供え物は、山の神さまへの物なのか、川の神さまへの物なのかわかりません
今度また聞いてみないとな

