
↑前回の手崎川近くで、
道端でお喋りしていたセニアカーに乗ったおばあちゃんに近寄る怪しい影………



①水神さま
〈今回2社とも長崎市 長浦町〉

↑セニアカーのおばあちゃん、地の利を活かしその影を自分のテリトリーに誘導する


↑そこは水神さま
でした。

わ〜♪知らなかったので良かった

『影』大喜び(笑)
虚空蔵神社を探していたら、セニアカーに乗った地元のおばあちゃんがいて、わたしは目ざとくロックオン。
(田舎で通行人を探すのは大変。狙いはモチロン年配の方)
虚空蔵神社を尋ねたらご存知なく、とりあえずこちらに案内していただいたのでした

こちら、近くの国道206号線を挟んだホテルに水を供給していたポンプの水神さまだそうです。
その後わたしがしつこく虚空蔵神社の事を聞くので、セニアカーのおばあちゃんは、お祖父さまかお父さま※が虚空蔵神社を建立されたという方のお宅へ案内してくださいました☆
※義理の可能性もあり。
…って前回山の神さまを教えていただいた方のお宅だ!
「またあんた?」
と思われるかな〜と思ったら前回の方の母上と思われる方が対応してくださいました

最近は年配の方でも神社の場所をご存知ない方が多いです。ちょっと焦ります。
②虚空蔵(こくんぞ)さん
その母上のお宅のミカン畑の上にあると教えてもらいました♪
手崎川から西のお山の上〜の方まで送電線があるのですが、その鉄塔の奥です。と



車も行ける所まで行ってそこに停めて良いと言われ


↑ミカン畑の中も通って良いと許可をいただきました

感謝しかない

あ、もうセニアカーのおばあちゃんとはお別れしましたよ

色々一緒に行動してくれたおばあちゃん(恐らく90代)にも感謝

(短い距離をセニアカーのスピードでゆっくりゆっくり)

↑登り途中、いい香りがするなあ〜と良い気分♪それもそのはず、ミカンの花の季節でした

神社の場所も教えてもらえるし、いい香りだし、大村湾も見えるし気分は最高です


↑イノシシ避けの電気のワイヤーには気をつけてと言われました


でも少数(平成期で10軒ほど)でお祀りしているという事だったから、よそ者に分かる必要はないけど…。

↑あ、鳥居が見えました!
真ん中辺り。


↑実と言うともう廃神社でした。
ご神体は母上のお宅にすでにお移ししておられます。
でも鳥居があるからやってきました


琴海町史にはお移しする前の事が載っています。


↑鳥居には
昭和36年12月
石工さん(今もある業者さんで、元クラスメイトや、知り合いの一族)
建主(母上のご一族)
が彫られています。
身近過ぎて彫られているお名前を書くのがしのびない
そのうちアメンバー限定にします



↑こちらは江戸末期の光明院※が虚空蔵菩薩(こくんぞさん)として残ったとの事。
場所も同じかは不明です。
例祭は12月13日。
お題目を唱えダゴマキ(お団子を配る直会と思います)をする事となっていたようです。
※
江戸時代、琴海地区には現存の自證寺(日蓮宗)と、光明院というお寺がありました。

(他にもあったようです。)
(光明院:現長崎市長浦町に1801年建立。大村の片町にある真言宗 大峰派修験快行院(現存するかは未調査)の末寺。)
明治5年に、かねてよりの神仏分離令に引き続き、政府により修験道他は廃止され光明院も廃止となります。
(禁止とは違うようで、現在まで修験道は続いているようですね。)
【そして以下母上談】
現在は高齢化などでお山の上まで行くのが困難になり、神社は廃し(お坊さんにお祓いなり、供養なりお移しの儀を頼む)、御神体は前述した通り、母上のご自宅内でお祀りする事になりました。
うん!短いけど琴海町史の後日談が書けたぞ


↑と言いつつ自然石が立ててありました。

↑それに奉納年月が刻まれた何かしらの奉納物があり、確かに人の思いや営みがここにはあったんだな。
これに会いに廃神社でもわたしは来るんだ

刻字の4月は、もしかしたら虚空蔵菩薩の縁日


↑境内から鳥居を眺める

3本の木がイイ味出してる🌳🌲🌳
よし!
この木をそれぞれ『虚』『空』『蔵』と名付けよう

(ひとり遊びしてるだけです)

↑帰りのながめ
上の画像に大村湾の支湾が見えています。
右手前:長浦湾
左に小さく:形上湾
真ん中の海峡:大口瀬戸(パサージュ北
)

その奥:大村湾
です。いつか母上のお宅に虚空蔵さんを見に行けたらいいな〜
