鞆の浦ぶらぶら③日東第一形勝! | 小さな幸せと長崎♡

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長崎市の神社へ全部行こうとするブログです♪

それ以外にも行っています。

たまにほかの市も☆

❀ランニングもしています♪

ねぇ観てくださいよ~ルンルン
花崗岩ばかりの石垣やかいだん♪神社

お稲荷さんみたいです🌾。
〈広島県 福山市 鞆町〉
コントラストよすぎません?

真夏だったのもありますが、この花崗岩の柔らかい雰囲気の色の石垣に慣れていないので照れ

海もきれいキラキラ

ポニョとそうすけが出会った場所はこちらの崖がモデルだったと伺ったような!

この日は勉強じゃなくて楽しむためのガイドツアーだったので、メモ取ってなかったんですよねアセアセ

間違っていたらご指摘ください。


いくつかのお社。
周りの景色が美しいキラキラ

花崗岩花崗岩て言うけど、こちらの崖は砂岩?

実はたいして岩石の見分けがつかないわたしもやもや
↑落ちているグリも見てみる

いろんな種類ですよ♪
↑昔の船着き場の階段が広範囲で残っています。
それはとても珍しいとのこと。
↑うわーチュー何だか!何だかです!

模様がわからなくなってる!
初めて見ました!潮風の影響かな!?

ガイドさん
「マンホールとかも好きですか?」

「ハイ!」

わたしは自分もガイドであることを打ち明ける。

ガイドさん
「鞆は干満の差が約4メートルなんですよ。(その景色の違いも楽しめる)長崎はどうですか?」


あー…
わかりません(^^;)

恥ずかしい…わたしもガイドって言うんじゃなかった…
海からの恩恵を享受してきた長崎のガイドが、干満の差も知らないでどうする~

その後ちゃーんと調べましたよキョロキョロ
長崎港『約3m』
大村湾『約90cm』
橘湾『約2m』

季節、時間によって違いがありました波

↑そして歩いていると石垣に△マークが。

石垣にはこういったマークが彫られている石材が沢山ありました。
↑こんな石を切り出す時の矢(クサビ)穴の跡も、隠すべきか残して思いにふけるか。

わたしが石工なら悩むところ!?

↑そんな石垣を進むと
↑右から、對潮楼(たいちょうろう)と読む額が。

↑扁額の説明。


建物の全体像を撮り忘れてしまいましたが福善寺です。

いろは丸事件の際に、海援隊や紀州藩が談判を行ったところ。

&朝鮮通信使の迎賓館になったところ。


↑テラスのような、開放的な畳のお部屋で海や、

(前のブログの「対仙酔楼」からもこちらの風景が観られます。)
↑沢山掲げてある額などを眺め、ガイドさんのお話を聞く。おねがい

日東第一形勝とは「日本で一番美しい景勝地」と朝鮮通信使の李 邦彦(イ パンオン)が称賛したのだそうです。
↑こちらの建物の設計図。

對潮楼は天文学的に
季節によって太陽や月の出入りが楽しめるように計算されて設計されているんだそうです!
(たしかそうでしたアセアセ)
↑いろは丸と明光丸(紀州藩)の衝突事故現場についての説明も。

↑事故はこの近海で起こったそうです。
↑望遠鏡みたいなものもありました。
↑望遠鏡は旧陸軍で使われていたようです。

↑望遠鏡では海の向こうの島まで見えました。
↑何か金銭絡みの文書など(^^;)
わが長崎県対馬と関わりの深い朝鮮通信使の説明も。


ほかにも沢山歴代的資料が多くあり、勉強になりました(^^)

また行きたくてたまりませんねニコニコ