前回の
観音寺で知り合った年配女性のお願いとは
(彼女の氏神様の)
「日山(ひのやま)神社へ連れていってください。」
でした

お安いご用すぎる

こちらの女性、なんて相応しい人(わたし☆)に頼んだんでしょう

わたしも遅かれ早かれ来るつもりでしたからね

それにわたしは観光ガイド

人をご案内する生き物(笑)
だけど…
人見知りなのに観光ガイドをしているわたし

結構、心に負担がかかるんですよね…

…だから、練習も兼ねて

〈長崎市 野母町(のもまち)〉

↑入り口は別にもあるらしいのですが、最近では荒れているそうです…。
ご祭神:イザナギノミコト
創建:871年…えっこれもふるい

旧長崎市域には…こんなに古いの無いですよ…?


神社へゆっくりゆっくり登りながら
彼女のいろんなお話を聞く。
今のお話、昔のお話…
彼女「屋敷の広ぅして庭の手入れも(諸事情あって)大変になってきて。」
………屋敷

豪邸なのかな!?
それとも家屋と敷地をこの年代の方はこう言うのかな


女性「昔はうっ達が手入ればしよった時分はこがん草1本生えとらんかったもんねぇ
」

…草1本

それはすごい


ぱんだランは普段から薮を相手にしていますから
これくらいなら大満足なんですけどね

そして…彼女のネイティブ長崎弁が…聞き取るのが超絶難しい



油断すると全然わかんない!




↑女性は勝手知ったる、我が(普通の「我が」とイントネーションが違います。)日山大神(ひのやまたいしん)の拝殿へ
わたしを招き入れてくれました。
彼女はロウソクに火を灯し、わたしにも灯すことを勧めてくれました🕯️

↑もう1つの入り口への道。
女性の祈り方には心を打たれました。
諸事情あってこれまでの事のお詫び、家族や子孫の安泰…
口に出して祈るんです。
(その諸事情のため、彼女はわたしに頼んだのです。)

そういえば観音寺でも小声で祈っていました。
たぶん今と同じ事だ…
お経かなとその時思いましたが、リズムが違う気がしていたんでした!

↑角力灘(東シナ海方面)が少し見えます。
わたしは日本人家庭において多く見られる、お寺も神社もクリスマスも…と言う家庭に育ちませんでしたから
(くんちも無し、鳥居もくぐってはいけない。シスターの話を聞いたら仏壇の前でお経を1時間唱えなければいけない
)

年配の方がどれ程、神社へ信仰を持っているのか肌で感じた事がないんですよ。

↑手水舎。
でも知れて良かった。

↑もう1つの入り口の鳥居(^^;)
女性によると台風で壊れて、参道も崩れたらしいです。
確かにこの
長崎市の南部も南部!野母崎は、台風の威力が強い!
同じ長崎市でも北部のぱんだラン宅近辺とは地形も海も違う


↑笠木の残がいもありました。
わたしは数年前に、
台風直撃なのに予約していた野母崎のホテル「Arega軍艦島」に泊りに行って
その車からも出られない風の威力の恐ろしさを体感したのでした!
停電、断水、暗闇での夕食…
台風シーズンの夕方~チェックアウトまでのそれはかなりこたえました

特にクーラーが無くて暑い!
だけどホテルのスタッフさんが色々頑張ってくださり、なんとか乗り越え
笑顔でチェックアウトすることができたんですよ♪
帰りは信号機も点いていない無法地帯を運転した事を覚えています。
と言っても走ってる車がいる訳ないんですけど

でも一連のこの出来事、すごく良い経験になったんですよね。
もちろん無事だったからこそですけどね


↑鳥居の先は通行止めロープ。
昭和15年11月奉納。