ぱんだランは普段神社記事が多いのですが…
長崎にあるなら、お寺でも教会でもシナゴーグ(ユダヤ教の施設)でも書きます
シナゴーグはもう無いけど…明治期にはありました。

↑「ルイス·デ·アルメイダ
この地に渡来 布教す」
現長崎県西海市の横瀬浦で布教していた
ルイス·デ·アルメイダが島原で布教の後、
長崎でキリスト教を布教したと言われています。 (1567年)
長崎では初めてのキリスト教布教。
さらにこの地(長崎市夫婦川町、ふうふがわまち)では
長崎で初めての教会
トードス·オス·サントス教会が建てられました。(建てたのは別の神父さん)
アルメイダは商人でしたが、医師でもあり、
大分で孤児院を建てたりもしました。
西洋医学を日本に初めて伝えたとも言われています
(島原と、五島や天草などでも布教していました。)
当時は乱世で
寡婦、孤児、貧困、病気などなど大変な時代
アルメイダ神父のような福祉の精神のあるキリスト教の神父さんがいたら、
人々は、それはすがりたくもなったでしょう。
そして自然にキリスト教にも…

↑境内のアジサイ




なので豊臣秀吉や、その後の幕府にとっては目障りだったのでしょう
☆当時の長崎は大村純忠の領地でした。
教会が建てられた後、
純忠によって長崎はイエズス会に寄進されました

長崎を治めていたのは純忠の家臣の
長崎甚左衛門純景(すみかげ)。
長崎甚左衛門の墓所は時津イオンのすぐ近くです。
(ちょっと前に書いた千々石ミゲル達は、
長崎がイエズス会領になった後ローマへ旅立ちました
)
(江戸時代初期)
この辺りは
たばこ栽培発祥の地とも言われています。
栽培の、です
たばこは1596年~1615年頃、やはり宣教師達によって伝えられたと言われています
製品は「長崎たばこ」「桜馬場たばこ」として売られていたそうです

↑春徳寺へ向かう途中、立派な大楠が
先ほどの絵にも描かれていた大楠です。

↑トードス·オス·サントス教会跡地の
華嶽山 春徳寺の山門。
↑さらに春徳寺の後山には、長崎の慣用句で有名な
「東海さんの墓普請」の
唐通事、東海家の中国風の墓所もありました

(物事が遅々として進まない様子の意)
東海さんが仕事が遅かった訳ではありません
東海さんの墓所が拡張を続けるので(家が繁栄して)、中々お墓の工事が竣工しないね

と言う故事から来ています
※写真の石仏は、墓所へ行く途中にあった物です。
…はっきり言って、
土屋駿河守の墓所よりスゴいです



…今回はテーマが長崎過ぎて、沢山削ったけど長文になってしまいました(^o^;)
読んでいただきありがとうございました








