こんにちは
3つ前の大原野神社ブログですが…
ちょっと誤解を招く書き方をしたかも知れないので…補足させてください
九州電力のマークは、しめ縄などに付いている紙「しで」にとても良く似ていますが
「しで」をイメージした物ではなく
似ているのは偶然みたいです
電気、九州の形、九州各県の数を表しているそうです
↑さて今回の神社へ向かいましょう
こんな看板のある神社です!
アニメ「銀魂」(ぎんたま、ジャンプアニメ)のサブタイトルみたい!?
今回は、前回の料亭花月(長崎市丸山町)のすぐ近く
梅園身代天満宮
(うめぞのみがわりてんまんぐう)
…をさがし、
さがし求めて1人
1人さまよえば…
↑「金剛院の坂」と呼ばれる坂があります。
目的の神社はどこかなどこかな…
行けど切ない石畳…
↑昼の丸山訪ねても
涼しい風が身に沁みる、今日この頃…
国会議事堂の板垣退助像や、
平和公園の平和記念像などを手掛けた彫刻家、北村西望ゆかり(長崎県現南島原市出身)の
「料亭青柳(長崎ケーブルメディアの番組でお馴染み、山◯ヒ◯スケさんのお店)」や
去年位に軽くご紹介した大﨑神社を通り…
狭く、見通しの悪い坂道を心細く歩きます。
(私はよく道を間違えます
)
…目指す神社はどこに?
どこにあるのか…
↑あっ、住宅に埋もれるようにありました!
一の鳥居に到着です(^-^)
長崎ケーブルメディアの「長崎歴史さんぽ」と言う番組に出てくるセピア色のあの場所
↑小さな神社なのに鳥居は5基。
別の入り口の物も含みます。
↑昔、安田治右衛門と言う人が
「襲われたのに無傷だった。
代わりに天神さまが血を流して倒れていた。」
そうです。
こちらの神社にはその天神さまが
「身代り天神」としておまつりされています。
また、第二次世界大戦時には
(この神社の所在地)丸山町の出征者たちは
「身代り天神」のご利益により、全て無事に帰還したそうです。
命も恋も捨てたのに、
無事に帰還できたんですね
良かった。
↑「長崎ぶらぶら節」の(故)愛八さんを始め、丸山の芸者さんたちもよく参拝していたそう。
そして右の写真は長崎学の祖
(故)
古賀十二郎大先生です
↑境内を見渡すと、天満宮ではお馴染みの
撫で牛さん(こちらの物はぼけ封じにもなるとか)
また撫で忘れちゃった~
そして梅の種を集める梅塚です。
芸者さんたちが生活で苦労しないように、家で食べた梅干しの種を供養したそうです。
今回見てみると実が入っていました。
梅に恨みはないものを。
↑狛犬さま、おやつの時間でしたか…
いえいえこちらの狛犬さま、
「歯痛狛犬」と言ってお口に水飴を入れると…
歯の痛みを取ってくださると言われているそうです
私は歯ブラシを奉納したい
↑小規模な祠群と先代?の狛犬さま。
↑拝殿右に七力稲荷神社。
狛犬さまは向かって左だけです。小顔?
これが笑顔に見えると、身も心も美しくなれるのだとか!?
それにしても
風もあり、いい長崎丸山ぶらぶら日和でした