⑪ その後の運命を知らなければ、ハルを仲間にしなかった、つまり、、、! ビットコイン誕生は | 和のブログ

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今まで誰かに話そうという気にはなりませんでしたが、息子の死をきっかけに、ブログという手段で誰かに読んでもらうのもいいかと思い、はじめてみます。

 サトシ・ナカモトと、ほぼ当初から共同で進めたと言えるほどビットコインとの関係が深い人物ハル・フィニー

 しかし、彼は2014年8月28日に不治の病とされている筋萎縮性側索硬化症(略称: ALS)により、亡くなっているのです。
 この病、感染性の物ではありませんから、誰かが作為によってこの病気を発症させた、という線は考えにくいのですが、サトシ・ナカモトが未〇人だったと仮定して、、、、ハルが何年に亡くなるのか、当然知っているわけですよね。
 もっとも、ALSは遺伝性のものですので、遺伝情報により事前に察知できるかもしれませんが、、本人より先に、それを知り得るって事は無いはずです。

 ビットコイン、この概念がいかに危険な考えかについては、散々書いてきました。
 金融というシステムが始まって以来と言えるほどに、現行金融システムを破壊し、平等に富を分散しかねないこの大発明、その開発者は、かなりの確率で消されるでしょう、という私の見解。
 それ故に、サトシ・ナカモトは完璧なまでの人物像の秘匿がされています。(若干、完璧ではない部分もありますが、、後述予定)
 これにより、サトシ・ナカモトが誰なのかについては、未だに何ら手掛かりがありません。


 こんな事って、有り得るのでしょうか?。


 これほどまでに完璧な秘匿であるにも関わらず、ハルの存在は、いかにも雑に感じられます。
 もう個人情報なんて丸裸状態です。
 当然、サトシ・ナカモトと同様に危険な存在となるはずです。
 実際に、ハルが病気治療のために多額のビットコインを現金化した時には、匿名の脅迫電話や犯罪が行われたと言われています。
 そう、ハルは実名を公表しただけではなく、ビットコインの現金化もしているのです。
 それによって、奥さんの元へ脅迫電話がされたのですから、現金化した後の運命というものも、概ね予想通りです。
 
 さて、これだけ自身の人物像を綺麗に秘匿しているサトシ・ナカモトが、ハルの身に起こるであろう危険について、未処置だとは考えにくいのです。
 そこで私は、ハルが筋萎縮性側索硬化症(略称: ALS)により、2014年にこの世を去る事を、2008年時点でサトシ・ナカモトが知っていたのでは?、との仮説を立てました。
 そして、それは偶然を装って、サトシ・ナカモトとハル・フィニーはネット上で接触したのではないか、と。

 

 以前、サトシ・ナカモトは、イギリス時間とイギリス英語を使っているため、それは世界標準の物を使う事により、人物像、特に地域による個性を消そうとしていたのではないか、と書きました。

 厳密の厳密を言ってしまえば、サトシが寝起きをしていた時間を適正に評価するのであれば、イギリスより少し西側の地域に居れば、それは正常かもしれません。

 それは、丁度南米の東端付近、イギリスよりも少し西側辺りです。

 
 上記地図の中央赤線よりも、少し左側。

 それ故に、サトシが南米の麻薬密売人ではないか、との憶測も出たほどです。

 もし、この僅かな差異が、何かを目的としたのであえば、・・・・

 ハル・フィニーの寝起きの時間帯に、サトシはわざわざ時間を合わせた可能性もあります。

 そう、ハル・フィニーとビットコインを作り上げるのに、偶然を装うには丁度良い時間差でもあるのです。

 現時点で、筋萎縮性側索硬化症(略称: ALS)を感染させることは出来ません、感染症ではありませんし、遺伝性の病気です。

 

 つまり、作為によって、ハルを病気にさせる事は不可能ということです。
 しかし、未〇人であれば、当然ハルが病で亡くなることも知っていますし、それにより、ビットコインの開発者の一人、ということの危険性をかなり軽減できる人物と判断できるのです。

 

 これは、サトシがビットコインの共同開発者として、必要な条件だったはずです。

 それではここで、これまで書いて来た、ビットコインとそれに関係するものの時系列を整理してみましょう、そこから見えてくるものは、一体何なんでしょうか?

 
2008年9月10日
CERNのハドロン加速機(LHC)稼働開始

2008年10月31日
ビットコイン論文公開

2009年1月1日~
マンデラ効果(集団的な記憶違い)が報告されはじめたのは2009年から。

2009年1月11日
初めてサトシからハルへ、10BTCのビットコインが送られる

2009年9月
ハルの病気判明、ビットコインから撤退

2009年10月10日
サトシからハルへメールが送信されている

2010年2月4日
ハルが未来に向けたビデオを残す

2011年4月23日1540
サトシが、ビットコインから離れる、新しい事をすると言い残し

2013年7月6日
Winnyの開発者 金子勇が、急性心筋梗塞で死去、(43)

2014年3月14日
ニューズウィークが、ドリアン・ナカモトを掲載

2014年3月7日
私は、ドリアンではない」と、サトシから、三年ぶりのメッセージ

2014年8月28日
 ハル・フィニー没(58)


 このようになります。
 私は、この時系列を見ただけでも、かなりの違和感を感じます。
 このような謎解きをする際に、私は情報を一度整理して考察します。

 上記は、それに使用した、私の取材メモのようなものです。
 こうして見ると解りますが、サトシが初めて理論をネット公開した時点から、ハルが病を発症するまで、1年にも満たないのです。
 これは、ハルがサトシ本人である仮説を除けば、タイミング的には考えにくいほどの偶然に見えます。

 最近になって、ハル=サトシという構図を否定する証言が多く出て来ています。
 例えば、ハルとは別の人物がサトシとメールをしていた時、ハルはマラソン大会に出ていた、や、マイニング作業をしていた時や、複雑なメールや打ち込みをしていた時期に、ハルは既にキーボードを打てる状況にはなかった、など、様々です。
 それ故に、ハルが複数の人間でグループを構成し、サトシ・ナカモトは一人ではない、とする憶測も出て来るのです。
 
 私は、その発想自体は否定はしないのですが、とても大きな見落としがあると感じています。
 
 そこには、「謎のタイムスタンプ」と呼ばれる、不可解な現象の痕跡が残されていたのです。