① こ、これは、、久々の巨大な不可解「サトシ・ナカモト」の謎を考察する | 和のブログ

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今まで誰かに話そうという気にはなりませんでしたが、息子の死をきっかけに、ブログという手段で誰かに読んでもらうのもいいかと思い、はじめてみます。

 正直、今回のお話しは、初めて聞いた時、耳を疑うレベルの内容でした。

 

 皆さんは「ビット・コイン」をご存じですか?

 この名前を聞いて、なんだか胡散臭いと感じる方も多いのではないかと思います。

 私も正直同じで、最初は投資や詐欺の匂いが凄いな、と感じる単語でした。

 実際に、最初の頃は、このビットコインは価値が安定せず、良かれ悪しかれ価格の変動も凄まじく、投資には使えても通貨としてはどうなんだろうと感じるレベルでした。

 

 しかし、ちょっと職場の部下が、これに近い内容の詐欺にあってしまい、私も色々調べて行く内に、このビットコイン、なんだか凄まじいということに気付いて行きました。

 そもそも、仮想通過という概念は存在することは出来ないと考えられていました。

 それは、それが出来るなら、この世界に銀行が不必要となるからです。

 お金を適当に扱う事は出来ません、いくらでも詐欺行為に使えますし、何より担保がありません。

 それが出来るように考え出されたのが「銀行」や「経済」な訳ですから、それが出来てしまえばこの世から銀行は消滅るするでしょう。

 それが消滅していない、という時点で、私はこの「ビットコイン」は、不完全なもの、として勝手に決めつけていました。

 たしかに、安定性は若干弱いものの、現実として「仮想通過」として十分な安定性があるのです。

 では、どうして銀行は無くならないのか、それは、未だ出て来て10年少ししか経過していない概念だからでしょう。

 

 では、このビットコイン、どのようなものなのでしょうか?

 

 最初に脚光を浴びたのは、ギリシャの金融危機で波及した「キプロスの通貨危機」でした。

 キプロスの国民は、自国の通貨が破綻しかけている時に、このままでは自分の預金が消失してしまうと考え、当時のキプロス通貨を「ビットコイン」に換えたのです。

 すると、それは自国の通貨ではなく、国際的に通用する通過としてしっかりと換金することが出来ました。

 そして、世界は知ったのです、中央銀行を通さなくても、手軽に国際的な取引に使える新たな通貨の概念が誕生していたことに。

 

 これは凄い事です。

 今までなら、銀行で通過を下せなくなり、自身の預金は国家の財政破綻と心中するしかなかったものが、個人単位で通過を別のものに変換できるようになったのですから。

 私達は円安と聞いても、自分たちの生活に具体的な脅威を感じにくいですよね。

 でも、1ドル70円代だった時代から考えれば、純粋に自分の預金は半額になっているのですが、額面上の半額に気付いていないのです。

 逆に言えば、70円代だった時代に、この世界共通の仮想通過である「ビットコイン」に換金していれば、単純に円としての価値は倍になっていた訳です。

 実際に、このビットコインは当初価値が安かったため、1ビット(ビットコインの単位)価格が異常に値上がりし、当初買っていた人のビットコインはその資産価値を何倍にも増加させたのです。

 その頃の私の部下も何千万単位で得をしている者もいましたから、あれは凄まじいものでした。

 良かれ悪しかれ、価格の変動時には、損をする人と同じくらい徳をする人もいます。

 もちろん、それは個人の責任においてになりますが、このビットコイン、当初は皆、不安定な見たこともない仕組みで回している不可解なもの、として色目で見ていました。

 当然、価格は上がるだけではなく、下がりもします。

 それ故、おかしな投資話のように見られていましたよね。

 

 ところがです、この仮想通過、今まで中央を経由して行われていたお金のやり取りが、中央を通らなくても出来る仕組みを作ってしまったのです。

 

 これは驚きました。

 なぜなら、それが出来ないからお金はデータであっても「中央を通過する」必要があったのです。

 つまり、中央=銀行ということです。

 

 常識的に考えて、銀行を通さずお金をやり取りすると言うのは、あくまで個人から個人に限って、でしたが、それを複数の経路を通じて決済に使用した場合、どうなるでしょうか?。

 それは当然、その途中で不正があったり、間引かれたとしても誰にも解らず、痕跡も残らず、仮想通過の世界で通過が消失してしまうリスクがあります。

 だから出来なかったわけで、このビットコインも当然、そのようなリスクを持ったもの、と私も考えていましたし、多分世界中の人が、常識的にそうだと考えていたはずです。

 だから、この理論が出た時、みんな信じなかった訳です。

 

 ところがです、この仕組みが、とんでもなく先進的で斬新な仕組みで、絶対に不正が出来ない見事な発想だという事が解ってくるのです。