2050年に行ったバンギャさんの続きになります。
このお話し、前回まではジャニーズ解体について書いてきましたが、その他にも、少し気になる部分が多くありますので、書いてしまいます。
バンギャさんは、自分のことを「足し算から始めるレベルの高校」出身とご自身を語るほど、自分は頭が良くないと書いています。
私が読んでいて、なんとなく、そこまでではないかな、と感じるのです。
話し言葉で書いているので、キャラクターはそのような軽い印象を受けますが、彼女が本当に隠さなければならないことを、意外と上手に隠しているような書き方なんです。
以下、少しご紹介してゆきます。
最初の書き込みは、関東に地震が発生するので、どこに逃げたらいいか、という質問に対して、路線図を例にとって、どこに逃げても結果を変えることは出来ない、という趣旨のお話しです。
●Q:関東に住んでいるけど、九州が安全なら移住するのはあり?
14Q:貴方がこのスレ見て九州に住む事になった未来があるとして、もしも私が未来に行ってなくてこのスレも存在しなかったとしても、九州に住むって事が貴方や貴方の子供とかにとって大事な出来事なら、別の理由で九州に住む事になる!
●Q:「運命は変えることができない」ってこと?
14Q:そんな感じ! 言いたい事があるんだけど、何て言えばいいのかわからんw。
タイムマシンが今後絶対に作られるんだ、実際に。
て事は今自分がいる所だけが自分のいる所じゃないのよ。だけど自分は一人なの、わかってもらえるかな?、これで。
今後の人生とかについてだけどわかりやすく言うと、東京の電車の路線図みたいなもんだって(案内人に)言われたよ!
今やっと少し分かって来たからぼちぼち説明出来そうな気がするw。
普通にわかりにくかったからその時はへぇ~って(案内人に)言っといたけどw。
●Q:いろいろな乗り換えルート=選択肢があるけれど、どれを選らんでも「目的地」(人生の行き先、寿命、子孫の有無など)は変わらないってことかな?
14Q:頭良すぎワロタ。
まずは、これ、どう思います?
私は、これはとても未来な発想だと感じているんです。
もう、私のブログに何度も来て頂いている方なら、ピンと来たんじゃないでしょうか?
そうなんです、これは「平行世界」と、結果の帰結に関することを書いているんです。
私の理屈では、並行世界には何種類かあって、恒常的に分岐している小さな平行世界と、大きく分岐する平行世界。
それは「君の名は。」の回でも書いた通り、組紐の構成が、時間の流れに非常によく似ている、という話に近いのです。
ところがです、これは、今後書く予定だった内容なんですが、出て来てしまったので、ここで書いてしまいますが、並行世界の自分と、この世界の自分とは、別の自分か、という素朴な疑問についてなのです。
これまで、並行世界は並行ではない、と書いてきました。
それは、複数の平行世界は、同時に干渉し、しかも同時に複数の世界を「一つ」の世界として、私達は認識出来ている、ということなのです。
例えば、「私」という世界線「A」と、同僚の世界線「B」があったとして、彼と私の世界は、二人で行動している時などは、そのAとBの両方が存在している状態、ということなんです。
それ故に、強い引力を持った人物の近くに居ると、良かれ悪しかれ、何らかの影響を受けてしまうのです。
これが、人が人を引き寄せる仕組みな訳ですが、、、、
そうすると、A世界と、B世界には、自分が二人存在するのか?、という疑問が生じてしまいます。
結論から申しますと、、、、そういうことなんです。
A世界の自分と、B世界の自分は、二人で共有している世界では自己と認識できますが、離れている時には認識出来ない、それでも、二つの世界にいる自分は、どちらも自分なのです。
これを図示すると、こうなります ↓
最初に、あらゆる世界線にいる「自分」を図示すると、こんなイメージで考えてみてください。
(本来は、もっと立体的で複雑なのですが、今回の説明には、このくらい単純な図の方が説明しやすいので)
当然、多元宇宙には、複数の自分がいます。
それでは、貴方が現在「自分」と認識している自分とは、どれを指すのでしょうか?
普通なら、こう考えると思うのです。↓
複数いる自分が白い線、自分を認識しているのが赤線です。
これは、並行世界の自分は、常に平行的であり、それが過去から未来への時間の流れの中で、出会う事がない状態を表しています。
しかし、それですと、自分は一人でも変わらないんですよね。
そこで、バンギャさんの証言による「自分」を見直してみましょう。
「タイムマシンが今後絶対に作られるんだ、実際に。 て事は今自分がいる所だけが自分のいる所じゃないのよ。だけど自分は一人なの、わかってもらえるかな?」
これは、複数いる自分という存在に、「自我」という差別化が成されている事を指しています。
つまり、自分は複数いる、でも、認識出来る自分の数には限界がある。
ここで私が、「限界がある」と、どうして書いたのでしょうか?
単純に、「一つしか認識出来ない」とすべきなのですが、、、、
思い出して頂きたいのですが、この世界の構成は、複数の世界が「相互干渉」しているわけです。
すると、自分で自分を認識出来る数が「一つ」だと、辻褄が合わなくなるのです。
そうすると、複数の自分が、同時に「一人」として認識されていることになるのでは?、と思われると思います。
そして、その答えは「yes」です。
今現在の「あなた」や「私」とは、複数の自分で構成されています。
良い自分も居れば、悪い自分も居る。
それら複数の自分が同じ「自我」の中に居て、一番強く出ている自分が未来を選択している。
時間とは、この連続体である、ということなんです。
自分自身で鬩ぎ合うって、ありますよね。
私達は、日常的に何人もの「自分」を、既に認識出来ているんです。
、、、自分と自分とで鬩ぎ合うイメージ、、、(合っているかは微妙な図ですが)
また、厳密には、世界も自分も複数あるものの、「在る」と「無い」の二極化ではない、と言うことなんです。
要するに、在ると無いの間が存在する、ということです。
思い出してください、「二重スリット実験」の、縞模様を。
この模様は、並行世界の概念にとても近いものです。
可能性の「濃い」部分が中央にあり、恐らくはこちらに行くであろう世界線。
端になればなるほど、確率は低く、光の粒が当たる可能性も低くなって行く。
ただ「可能性」が低いだけで、選択肢としては「在る」になるのです。
そして、その間にも、可能性としての世界が存在している、つまり、「在る」と「無い」の間も、薄っすらとあることになります。
そうなると、「自分」という存在は、どこまでが自分か、という素朴な疑問に突き当たるわけなんですが、
そうです、自分を「自分」と認識出来る範囲が存在します。
多分、これは元々、それほど広くはないのだと思います。
いや、この広さが、人によって大きさが異なるのではないか、と。
世界線移動をしてしまった人は、自分だけが世界を移動したのではなく、自分の「認識」出来る世界を、横に少し移動した、という事になります。 ↓
何らかの要因により、自分が意図しているよりも大きく横にズレることもあります。
すると、過去では「自分」だと認識出来ていなかった自分が、急に「自分」と認識出来てしまうため、既知の自分が認識できなくなり、代わりに未知の自分を「自分」と認識出来るようになってしまいます。
すると、、、、昨日まで無かったものが急に現れたり、逆に無くなったりという事に繋がります。
もちろん、それまでの自分との接点が切れた訳ではなく、多くの場合は、過去の自分と何等かの方法で繋がっています。
そのため、自分の周りで、「一部」変化が起こる、と認識してしまうのです。
これもまた「マンデラエフェクト」の要因でもありますが、、、、これが同時多発的に起こる、という事が大問題なわけでして。
それでも、大きく異なる世界には行きません、というか、本来のルートでは、「可能性」の低い世界線に移動するという事が極めて難しい、と言えます。
図のように、斜めに関連している世界に移動する場合、真横に大きくズレるという行為は危険なことです、自我が消えかねませんから。
、、、、バンギャさん、そう言えばこんなことも書いていますね。↓
「行った時期によっては未来の自分とかがいるかもしれないけど会ったらダメ。会ったら向こうの自分がいなくなる。2050年の決まりではそうだった。」
この辺が、ジョン・タイター氏と2062年さんの差でもありましたが、、、。
続いて、第三次世界大戦などの戦争についての部分になります。