「先読み」する能力の先に、もっと極端な「脳」の開花方法がある、それは? | 和のブログ

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今まで誰かに話そうという気にはなりませんでしたが、息子の死をきっかけに、ブログという手段で誰かに読んでもらうのもいいかと思い、はじめてみます。

 武道家の中で、相手の思考より先に行動を読んでしまう術。

 

 それが、合気道の中にもある、というお話しをしました。

 結局、合気道の「合気」とは、発案した出口王仁三郎が一体何の真意で付けたのかは不明のままです。

 しかし、武道にあって、この命名、これは「気が合う」を指していると感じます。

 気が合う、、、例えばこんな景色、見た事ありませんか?

 

 街を行き交う女子高生、仲良しの二人の友達は、服装もアクセサリーも一緒、そして、歩幅も一緒、足も、同じ動き

 これって、完全に同期していますよね、、、気が合う、つまり「合気」

 、、、私、書きましたよね、人間の意思もエネルギーなので引力があるって。

 

 それでは、その脳の先読み技術は、武道家に限った事なんでしょうか。

 一瞬の先読み、という点では、武道家に強く現れる現象、と言えますが、もっと、根本的に、この「脳」の持つ能力の探求をしてきた人たちが、武道家以外に居たと感じます。

 

 それが「修行僧」です。

 

 もっと極端に言ってしまえば「瞑想」がそれに該当しています。

 それは仏教に限ったことではなく、釈迦が荒行全盛の時代にスジャータの差し出したミルクを飲んだことで「中道」を理解したように、人類は、この荒行や瞑想と言った方法で、何とか自身の中にある神の領域である、このルールブックの外側にアクセスしようとしています。

 この瞑想を、外部の宇宙人とのチャネリングと考える人もいますが、私は根本的に、人間の中には普段覚醒しないようになっているルールブックの外側、つまり神の領域が存在していると考えます。

 

 、、、だから、サードアイが開いてしまうと、必ずしも幸福とは限らない、、、わけですが。

 

 それ故に、自身の五感を封じ、中にあるものをギリギリまで引き出すことが出来れば、それはルールブックの外側に触れる事が出来るはずです。

 しかし、そのためには、途方もない集中力が必要となるため、普通は瞑想しても、ルールブックの外側に出ることなんて出来ません。

 

 そのため、一部の宗教では、人間の五感を全て封じれば、神の声が聞くことが出来ると考えた団体もあったようですが、、、、案外、良い所を突いて来たと感じます。

 

 なぜなら、人間の五感以外に、この現世を認識する方法は無いからです。

 

 よく、この世界をゲームの世界に置き換える人がいますが、結局、それは人間の全ての感性、五感を移してしまえば、それは可能だと思いませんか?。

 

 そう言う意味で、とてもリアルな内容だったのが「ソードアート・オンライン」です。

©「ソードアート・オンライン」

 

 あれは、もう仮想現実を肯定するような内容に見えます。

 要するに、もしゲーム世界で、自分の五感が通用するようになり、逆に現世の五感が全て封じられたら、それはどちらが現実か、という事に少し似ています。

 

 この考え方の唯一の弱点は、現世の自分が、何かのトラブルで死んでしまった場合、ゲーム内の自分も死んでしまう訳で、それはゲームという現実には、死に至る理由がないのです。

 

 そう言う意味では、この世界が仮想現実であっても、それは目覚めが来なければ、仮想現実であろうと、単なる現実であろうと、それは全く同じであることを意味します。

 

 それ故に、この五感を封じる、という考え方は、今現在を、この世界を否定する唯一の方法、仮想現実であるこの世界を否定して、その上にある世界を垣間見る方法としては、ある意味合理的なのです。

 

 、、、一体、誰がこれ、考えたんでしょうか?。

 

 瞑想の修行拗らせて、行き着くところに行き着いた、結果なんでしょうか。

 

 なんでも、この実験をした老人は、神の意思に触れたようですが、真偽の程は解りません。

 

 でも、触れる可能性は低くは無いでしょう。

 よく、臨死体験をすると、三途の川が見えたり、雲の上の天使が見えたりと、それぞれの宗教観によって、体験内容が違うと言われています。

 

 それ故に、実験をした老人が見たものが何だったのかを証明する方法はありません。

 その実験に参加した老人は、五感を全て遮断したため、話すことは出来ても、もはや、この世界の人間とコンタクトする方法が無いのですから。

 

 どうですか?、この老人が感じていた世界、感覚も視力も聴覚も、嗅覚も味覚も、何も感じる事の出来ない人間は、この世界の住人と言えるでしょうか

 

 多分、言えないと思います。

 

 逆に、この世界の住人である証明は、単純に五感でこの世界を感じる、という事だけなのです。

 

 、、、、ほら、これでさっきの、ゲーム内に五感を全て移した場合、どちらが現実世界と言えるか、解りましたよね。

 あの小説の中では、ゲーム内が現実と同義になっているのです。

 

 すると、前にも書きましたが、この世界が仮想現実である、とするイーロンマスク氏の発想が、何処から来ているものかは、簡単ですね。