今回は、
自殺に関して、
かなり踏み込んだ内容を書いております。
ご理解の上、
何卒ご了承ください。

京都 三条河原の夜桜 2024年2月23日撮影


Amebaから

『お知らせが良く来るな~』

などと思っておりましたら、

どうやら、

遺族側弁護士の会見があったそうで。


そうしましたら、

案の定、

友人からも『どう思う? 』

と連絡がありました。


どう思うも何も、

何とも思っていませんよ。

最初から

見る気がないんですから。


だってねぇ、

前回の会見で、

あれだけ口を滑らせる

弁護士さんですよ。

だいたいね、

『刑事裁判と民事裁判じゃ違うんです!』

なんてアホなことをいう時点で、

私個人の感覚で判断するなら

全く信用できない弁護士です。

そりゃ、違って当り前でしょう!

法律が違うんですから。

義務教育で習うことですよ。

あなた以外に、

違いがわからないと決めつけるのは、

おかしいでしょう?

一般人をバカにしていますか?


確かに、

立証の方法や、証拠の採用には、

違いがあります。

刑事裁判じゃ必要な証拠でも、

民事裁判だと重要視されないとか。


しかし、


証拠や論拠となる

客観的なものを提示するのは、

刑事でも民事でも同じです。


ご遺族が、

皮膚がめくれあがっていた

というなら、

その証拠を示すことです。

LINEで医師が処方したというなら、

処方より先に、

必ずあったはずの、

その医師の診断の内容

を出すのが

普通ではありませんか?

もしね、

病気で学校や会社を休んだ時に、

処方箋を証拠に持って行きます?

普通は診断書でしょう?

不思議に思わないですか?

診断もしないで、

処方をしたら、

医師法違反ですよ。

コロナなど、

やむを得ない事由があれば別ですが、

現実に、

劇場内か都内の医師から

薬をもらっているでしょう?

と言うことは、

その医師は診断しているはずなんです。

なぜ、

その医師の診断書は取り寄せないんです?


また、


どうして、

そのLINEの医師には証言させず、

あるいは

都内の医師にも証言させず、

弁護士が

知り合いの医師に尋ねた内容を、

会見で話したのですか?

さらにその、

弁護士の知り合いという医師は、

何を診て

『熱傷深度 Ⅱ』と判断したのですか?

あの色素沈着したようにしか

確認できない不鮮明な画像でですか?

それ以前に、

どうして会見の場で、

その医師が

診断内容を発言しないのですか?

ご本人の会見が無理なら、

しっかり

氏名を公表する必要があるでしょう?

どこのお医者さんか

知らないですけどね、

あなたの証言が、

違う目的で使われている、

悪用されている

可能性もありますよ。


弁護士が嘘を言っている

とは言いません。


が、


常識では考えられませんよ、

そんな内容。

それで、

記者会見をする意義がありますか?

公開の場である記者会見で、

証拠や論拠が提示できない内容を

発言することは、

意図的な世論誘導の疑い、

また

名誉毀損の可能性が発生します。

仮にも弁護士をしている者が、

知らない訳がないでしょう。


何らかの『別の意図』があって、

わざと発言したのか、

単純に、

軽率な発言であったのかは判りません。


どちらにしても、

聞いている一般人の私が

❓️❓️❓️

と思うような記者会見だったのですから、

また『見て、聞いてみよう』などとは、

微塵も思いませんでした。


私も何度か、

民事裁判に関わったことがありますが、

もし、何か事があっても、

彼らに依頼する気には、

到底なれません。


だってねぇ、

裁判をしないと言うなら、

より客観的で

確かな証拠が必要でしょう?

裁判官がいないんですからね。

裏付けのない証言は

と同じです。


と、

あくまでもこれらは、

前回の

記者会見を見せられた

個人的な感想です。


ところが……


やっぱり今回も、

友人から見せられたんですよ。

2時間も!

あんな中身のない記者会見を。

A4の紙1枚の半分くらいで済む内容を。


ようするに、

  • 合意内容に、未だ隔たりがある
  • 従って、現在も交渉継続中である
  • 合意内容の隔たりとは、具体的には文言の違い、劇団側の認否に対する姿勢である

これしかない。

正味の内容は、開始から10分ほど。

とにかく無駄な発言が多い。

ほぼ、

弁護士の所感=感想ばかりで、

それがさらに、聞き辛い。

言葉の選び方、誤用も多い。

例え方も、誤解を招く内容が多い。

本当に、

聞くに堪えない

弁護士感想発表会です。


これね、

報道するなら、

俺んとこを

通せ!

って話なんですよ。

最初に話していますよね?

一部で報道されている内容の

表現が違うと。

まぁ、

言い換えれば

表現が気に食わない

から会見を開いたということです。


おそらく、

歌劇団側は個々の取材に対して、

あるいは

グループ企業全体の会見などで、

この件について回答しているのでしょう。

各企業の人事が動く時期ですから、

記者会見の時期でもあるんです。

で、

それを聞いた報道機関が、

各々の解釈を報道したことについて、

遺族側弁護士さんは注文をつけた訳です。

自分たちが

理解している内容とは違う!

ということです。


じゃぁ、

どれくらい違うのか?

ということに関しては、

最後まで口を濁しましたね。


総論ではどうか?

各論ではどうか?

という記者の質問に対しても、

15項目の何番と何番…… とか、

その内のいくつ…… と答えながら、

具体的な内容は

明言を避けていました。

変な話ですよね?

違う! って言いながら、

何がどう違うかは、

具体的には何も言わない。


そもそも、


交渉中なのに、

なぜ

記者会見をするのか?


友人にそう質問してみたんです。

そうしますとね

それは…… 

情報を隠蔽しないため?

などと答えました。


とんでもない

勘違いですね。

あの方々は、

交渉の具体的な内容について、

何一つ話していませんよ。

発言の内容は、

ご自分側の主張感想だけです。

あくまでも代理人ですからね。

依頼、委託をされているとは言え、

勝手に交渉内容を話すことは

倫理上できません。

場合によっては、訴えられます。

だから語尾に必ず

『~と考えています

『~だろうと思っています』

などと推論や推察の形にしている。

断言は出来る限り避けています。


本当に、

情報を隠蔽させないようにするなら、

裁判をすれば良いんです。

人権団体に救済を求めるなり、

何なり、

とっとと訴えるか、

告発するのが良いでしょう。

公判の内容は、

双方ともに公開されます。

むしろ劇団も、

その行動を望んでいるかもしれません。

白黒ハッキリしますしね。

問題がある団員のみ

対象にすれば良いでしょう?

 

そうすると友人は

他の団員のために、

裁判を回避しているんだ!

などと、頓珍漢なことを言い出しました。

これもまぁ勘違いですね。

すでに他組は公演しています。

宙組の他の団員のためにと言うなら、

なおさら人物を特定して、

裁判にするべきです。

そうなれば、

それ以外の宙組の団員は、

舞台に復帰することが可能でしょう。

ずっと前から書いていますが、

109期生なんて、全く関係ないでしょう?

人数が必要なら、

専科から出演してもらうなり、

抜擢するなり、

いくらでも方法があります。


あれだけ会見しておきながら、

そんな配慮のある発言が

一度でもありましたか?

『公演中止は望んでいない』なんて、

ことのついでに言っただけでしょう?

そもそも、

公演中止の原因には、

全く言及していないでしょう?


なのにどうして

裁判にしないのでしょう?


これは、

前回の記者会見の感想でも

書いた私の推測ですが、

裁判となれば、

自殺した彼女の

プライベートな部分も公開

しなければなりませんし、

ご遺族が

望まれる決着になる

とは限りません。

だから、

とりあえずは

裁判にはしたくない。

が、

週刊誌のネタになるなら、

おそらく

裁判にするでしょう。


結果的に、

裁判で負けたとしても、

弁護士さん的には、

ダメージにはなりませんからね。

不幸なのは、

ご息女の死をネタにされたご遺族と、

やはり、

週刊誌のネタにされた劇団員たちです。


今回の記者会見も、

週刊誌のネタのために開いたと

言えるんじゃないでしょうか。


数年前に、

電通の女子社員が自殺しましたね。

その時は、

会社=法人と、

女子社員の上司が、

パワハラで訴えられました。


裁判の結果、

法人のパワハラ=過重労働は

認定されましたが、

上司ら個人のパワハラについては、

刑事責任は起訴猶予処分、

つまり

問われませんでした。

まぁ普通に考えて、

そんなことで上司に、

一方的な刑事責任を問うのは、

無理な話です。


例えばね、

社員が10人いないと処理できない仕事を、

たった2人でやることになったとします。


そうなると、


会社には、

8人分の労働力を補充しなかった、

あるいは、

処理能力以上の仕事を受注したことに、

会社経営や管理の問題がある。

これが、

過重労働を強いることになった、

会社の経営上のパワハラです。


一方の

実際の職場では、

与えられた仕事をやり遂げるために、

上司が『しっかりやれ!』と

ハッパを掛けたり、高圧的に指示をした。

これも、

厚労省の指針に照らしてみれば、

パワハラの行為になるかもしれません。

しかしそれは、

職務上のことであって、

女子社員を窮地に追い込んだり、

うつ病にさせることが、

目的ではないでしょう?

それが自殺をさせる

直接の原因にはならない

言う訳です。


上司が

会社を経営している訳ではありません。

採用などの人事権も、

ほぼ持っていないでしょう。

上司には、

部下である社員を監督し、

時に応じて指示するのが仕事です。


言葉がどんなに悪く、

部下が不快に感じても、

それが自殺の直接の原因にはならない。

裁判所は、そう判断したんです。


もっと極端な言い方をしますとね、

冗談であれ、本気であれ、

『お前なんか死んでしまえ! 』

と罵倒されて、

本当に自殺する人がいるでしょうか?


そりゃね、

365日、

毎日執拗に『死ね!』と罵倒したり、

首を括るためのロープやナイフなどの

凶器を渡したと言うなら、

自殺教唆や

自殺幇助と言う犯罪です。

冗談でも、

毎日言うことじゃないでしょう?


でも、

罵った側にその意志がない。

結果として、

相手の不利益にもならない。

あるいはその言動が、

自殺教唆や

自殺幇助に当たらないのなら、

自殺を選んだのは

当人の意志であって、

他人の責任ではないと

いうことです。


もし、

これから自殺を考える方がおられるなら、

申し上げておきますが、

自殺で、

何かが変わることは

決してありません。

とにかく

死なないでください。

そして

誰かに相談してください。


自殺は、

自分で自分を殺す殺人罪です。

ただ、

犯人が死亡しているので、罪は問えない。

罪が問えないから、

日本では

自殺者に対する法律がないだけです。

個人の尊厳の解釈の一つとして、

自殺を罪としないという考え方もあります。

しかしそうなれば、

自殺を

何らかの手段に利用しようとする

怪しい人が、

多く出てくるかもしれません。


それ故に、


司法は

自殺に対して厳格です。

どんなに事情があろうとも、

自殺が

正当化されることは

ありません。


例えばね、

借金で、全ての財産を失い、

自殺した人がいたとしましょう。

取り立ても厳しくて、

借金している人が

『待って下さい』と懇願しても、

契約だからと、

貸している方は聞き入れなかった。

これで

『金を貸したヤツが悪い』

となるでしょうか?

自殺すれば、

借金は返さなくても良いでしょうか?


他にも、


例えば、

ある男性に振られた女性が、

『あの人に振られたので死にます』

と恨みを書いた遺書を残して

自殺をしたとします。


女性の友人たちは

『あんな酷い振り方はない! 』

『とんでもない罵声を浴びせた! 』

などと証言している。


ならその男性は、

女性を死に追いやったとして、

殺人罪に問われますか?

あるいは、

社会的に制裁を

受けなければなりませんか?


実は、

その女性が、

男性のストーカーであって、

2人の間には

全く恋愛関係がなかったとしたら……

友人たちは、

その実状を知らずに、

女性の言い分だけを信じて

証言をしていたとしたら……


それでも、

罵声を浴びせた男性が悪いでしょうか?

普通に考えてみて下さいね。

全く恋愛感情を持っていない男性に、

一方的に言い寄ったりするのは、

セクシャルハラスメントですよね?

それは無視するのですか?


その迷惑行為に堪えかね、

激昂した男性が、

友人たちのいる前で

『いい加減にしろ!』

『お前なんか好きでも何でもない!』

『目の前から消え失せろ! 』

と周囲がビックリするような口調で、

女性に罵声を浴びせたとしても、

それが

パワーハラスメントになるでしょうか?


同じような質問を、

友人にしてみました。

するとね

そんな事情があるなら、

話が違う

と答えました。


そうなんですよ。

双方の事情が判らなければ、

一方だけが悪いとは言えません。

命と引き換えたからと言って、

自殺者が正しいとは

限らないんです。


では、

皆さんは今までに、

団員から直接事情を聞かれたことが

ありますか?

おそらく、

文春などの記事や、

遺族側弁護士の感想だけしか、

ご存知ないでしょう?

文春や遺族側弁護士の言う内容を、

検証されたことがありますか?

一方的に

報道されている内容だけを聞いて、

全てを知っていると

勘違いしていませんか?

情報の足りない部分や、

理解できない部分を、

想像妄想で補っていませんか?


そう友人をたしなめますとね、

友人が

『妹さんの訴えは凄いね』

『あれは本物だね』

などと軽々しく言うものですから、

私は面と向かって

あんたは

おめでたい

人だね

と言ってやりました。


今回の会見で、

私が吐き気を催すほど

嫌悪に感じたところです。


そりゃね、

妹さんは、姉上と同じ劇団員として

活躍している人です。

姉上がいらした環境も良くご存知でしょう。

双子という育った時間を思えば、

常の姉妹以上の繋がりや

感情もあるでしょう。

だから、

何か行動したいというお気持ちに、

偽りはないと、

私も信じています。


しかし、


私が嫌悪感を持つのは、

妹さんの

お気持ちを利用した

遺族側弁護士です。


お気持ちは嘘ではない。

しかし、

あの『訴え』という内容は、

弁護士の指示、

または

指導を受けたものでしょう。

そう推察するのは、

『訴え』の冒頭に登場する

誓約書という内容です。


文章の構成を考えた時、

必ずしも

この誓約書の件を入れる

必要はありません。

無くったって、

文章としては問題がない。


なのにナゼ入れたのか?


自殺をした彼女は、

昨年の時点で、

個別の

タレント契約を結んでいる学年でした。

つまり、

阪急阪神ホールディングスの社員

=サラリーマンではありません。

そういう立場なら、

過重労働の対象にはならない。


そこで、


遺族側弁護士さんは、

この『誓約書』を書かせている行為が、

労働契約に当たると主張して、

歌劇団が

『過重労働など安全義務違反をした』

と訴えました。


つまり、

この誓約書の存在が、

遺族側弁護士の主張の

基礎になっているんです。


もう半年近く前のことですしね。

誓約書のことなど

すっかり忘れていた人もいるでしょう。

もし裁判となれば、

この誓約書の存在を

いの一番に認めてもらわなくては、

最も困ることなんです。

だから念のため、

再び

この誓約書を持ち出して

きたのでしょう。

問題なのは、

わざわざそのことを、

妹さんを使って

提示してきたことです。

仮に裁判となっても、

わざわざ妹さんが証言することでは

ありません。

劇団員全員が書いている

誓約書なんですから。


実はね、

この誓約書が、

遺族側弁護士さんが主張する

労働契約の証拠というのは、

とても

微妙なところなんです。


タレント契約=義務委託の契約は、

別にありますし、

その契約金も受け取っているでしょう。

個人事業主として、

申告もしていたはずです。

そうなれば、

どちらが実際の契約内容になるのか?

という問題になるでしょう。


アクセサリー作りは残業

なんてアホなことを、

どっかのワイドショーが

弁護士を使って話させていましたが、

厳密に言えば、

必ずしも劇団員が作る必要はありません。

使い回しても、

市販のものを利用しても、

アクセサリーを付けなくても、

全く問題がない。


役作りや表現方法の一環として、

アクセサリー類や小物類、

舞台出演に必要な、

身形を整えることなどは、

役者が自前ですることです。

これは

宝塚以外でも、

当然のことなんです。

そこまでを含めた契約をするのが、

ほぼ世界共通の認識です。


そりゃそうでしょう?

『俺は散髪代を貰ってない!』

と言って髪の毛もセットしないで、

寝癖頭のボーボーのまま

舞台に出てくる役者はいないでしょう?

個人で税務申告をする時は、

散髪代も化粧品を買う費用も、

それらが経費として認められています。


つまり、

本当に裁判となって、

細かく細かく一つ一つを精査して行くと、

この誓約書だけで

労働契約が成立しているとは、

言い難いんです。


そういう根拠としての弱さを、

妹さんの『訴え』という形を使って、

補ってきた訳です。


だってねぇ、

記者会見を開いた大前提の

『表現の仕方が違う! 』ってだけでは、

どこの報道機関も、記事にはしません。

それは、

報道機関の各自の解釈と判断ですから。

なので、

言葉は悪いですが、

各報道機関に記事にしてもらうため、

妹さんの『訴え』を、

お土産に付けたということです。


本当にね、

妹さんのお気持ちを、

一体何だと思っているのでしょう。

私は許せませんね。

こんな策略に、

純粋な人の心を利用するなんて。


この

遺族側弁護士さんたちが

していることは、

一種の人民裁判です。

しかも相手に

全く反論の余地を与えない、

かなり偏った、

公平とは決して言えない

独善的な人民裁判です。


『訴え』の内容の中にも、

そういう独善的な表現がありましたね。

あの内容でいうなら、

歌劇団側の主張は、

全て否定されています。

報道もされず、

本人たちが

直接主張や証言をすることもなく、

さらには、

全く検証すらされていないのに、

何を根拠に否定されるのか、

それさえも、

遺族側弁護士さんは提示していません。

これが平等と言えますか?

例えば、

ヘアアイロンの件についても、

全く検証がされていません。

どこかの記者さんからも

質問が出ていましたが、

それに対して

遺族側弁護士さんは

それ以前に

パワハラなんです!

の一点張りでしょう?


これね、

本当に悪質に感じるんです。

言葉を巧みに使って、

全く論点がすり替えられています。


厚労省が示している

『パワハラの指針』は、

あくまでも

基準となる一種のサンプル

であって、

実際にその行為が、

処罰の対象となるかどうかを

判断するのは裁判所です。

弁護士が一方的に、

パワハラだと断言することは、

ありえません。


公衆の面前で、

堂々と人を殺した現行犯の者でさえ、

逮捕起訴されて、

裁判が開かれるまでは容疑者です。

にも関わらず、

天彩峰里の証言を否定できるだけの

証拠も提示されていません。


今回の記者会見では、

『新たな証拠』と言って、

自殺した彼女の後援者に送ったとされる

またもや

LINEの画像が出されたそうですが、

これは、

自殺した彼女が話していた内容を

裏付ける証拠であって、

天彩と彼女が、

具体的にどのような会話をしていたかを、

立証する証拠にはなっていません。


そりゃね、

天彩が何も言わずに、

彼女が1人でいる楽屋に入って来て、

ヘアアイロンを奪い、

額に押し付けて出て行ったのなら、

これはもう暴行罪です。

彼女が断ったというのなら、

どんな断り方をしたのか?

そもそも、

どうして彼女と天彩が

2人っきりだったのか?

弁護士さんは

そんな説明したことありますか?

いつだったか

『(天彩が)いきなり入って来て』

みたいな表現もしていましたね。

どうやって見たんです?

2人っきりの楽屋だったんでしょう?

本当に、

そういう細かい表現に、

悪質さを感じます。


でね、

今回サラッと、

その彼女の

後援者さんらしい人の証拠、

正確に言えば証言ですが、

その

新たな証拠とやらが紹介されました。

これは大問題ですね。


先ほども書きましたが、

ヘアアイロンの事象は、

彼女と天彩が2人っきりの時に

起こったことです。

知っていたのは、

限られた内部の人だけのはず。

でも、

彼女が話した内容と、

同じ内容を知る人物が、

彼女が自殺するずっと以前に、

外部にいたことを

証明することになりました。

つまり、

文春にネタを売った可能性のある人物が、

他にもいるということです。

重要なのは、

彼女が家族に話した内容を、

外部の人も知っていたということです。


こんな内容の

記者会見が繰り返されると、

もはやこれは、

公開の場での

モラル

ハラスメント

です。

本当に酷かったですね。

特に最後の、

調査報告書を書いた弁護士さんに対する

言動は、懲戒請求しなければならない

大暴言でしょう。


と、

またまた長い文章を書き連ねました。

何しろ2時間もある会見について、

書かなくてはなりませんから、

どうぞご容赦ください。

これでも、

うわべだけのことしか書いていないんです。


とにもかくにも、

長文を読んで頂き、

ありがとうございます。



毎度、

御贔屓を賜りまして

ありがとうございます。


近畿地方では、

1月15日までが松の内。

小豆粥を食べる小正月までが、

お正月期間です。

東京やら一部の地域では、

七草粥の人日の節句までがお正月。


根っからのボンヤリ者の私は、

松の内は

さらに輪をかけて

ボンヤリ、のんびりと

お屠蘇気分を楽しませて頂きました。


2回目の星組観劇は、

1月17日。


そう言えば、

あの時のあの日の公演は、

安寿ミラの

サヨナラ公演真っ最中だったなぁ……  と、

もう29年前と言う歳月に、

ただ、ただ、

驚くばかりです。


改めて、

能登の方々のご息災を、

ひたすらお祈り申し上げます。



さて、


1月17日の席に着きますと、

なんだか、どっかで、

見たような後頭部が目に入りまして…… 


休憩時間になって

高橋英樹 御夫妻だったと気付きました。

御両人とも、

お元気そうで何よりのことです。


で、


そんな話を友人にしておりましたら、

VIOLETOPIAが難しい…… 

と話題を変えられまして


まぁねぇ、

見てもないことを、

自慢気に『見た! 見た! 』と

話されてもねぇ……

確かに、

私が悪うございました(笑)


そうしますと、

似たような内容のメールを

頂戴しましたので、

千穐楽まで一週間となりましたし、

それならまた

『わたくし流』の解釈を書いてみるかと、

筆を取った次第です。


と言う訳で、

盛大に

ネタバレのオンパレードを致します。

何とぞご了承下さい。


念のため、

解釈は

あくまでも『あさじ流』でございます。

真意のほどは、

指田珠子をムチ打ちにでもして、

跪かせ、白状させて下さい。


では、

指田珠子 作・演出

  レビュー・シンドローム

VIOLETOPIA

について。



『VIOLETOPIA』とは、

ヴィオレット=すみれ と、

トピア=場所や郷、一種の国や地域。

という意味のラテン語を

組合わせた造語です。


場所や郷、

一種の国や地域と書きましたが、

まぁどちらかと言えば、

具体的な、存在する場所ではなく、

思い描く場所 = 風景や情景

と理解した方が良いかもしれません。


なので

VIOLETOPIA

=みれで思い浮かべる場所

=宝塚歌劇団

という『連想』をするなら、

かなりストレートな

タイトルになっています。


そして内容は、

『レビューの源流をたどる』by 指田珠子

とでも言えば良いでしょうかね。

宝塚歌劇団110年を振り返り、

『指田珠子なら、こうアレンジする』

という、

こだわり野心に満ちた作品です。


なので、

『レビューとは? 』を知っていないと、

これは理解するより、

感じろ!なのか?

などと、

異次元の感想を言う人になってしまうので、

とにかく、

『レビューの源流』

を知らなくてはなりません。


『レビューのお話』という
とんでもなく長い内容を書いていました。
お時間のある方は、
ちょいと覗いてみて下さい。
ご参考になれば幸いです。

ただ、
このクソ忙しい時に、
読んでられっか! 

という方もいらっしゃるでしょうから、
掻い摘まんで説明しておきますね。


レビューは、
1855年第1回パリ万博を機に誕生しました。

イギリスの産業、工業に対し、
フランス皇帝 ナポレオン3世は、
文化、芸術で対抗しようとしたんですね。
そのために、
世界各国から、
様々な文物、文化、芸術を、
万博のため一堂に集めたんです。

レビューと言えば、
『巻き戻す』『振り返る』という
意味だと思ってらっしゃる方が
多いんです。
専門家の人でも
勘違いしてたりするんですよ。

でも当時は
『検証する』『じっくり見る』という
意味で使われていました。

レビューが、
『一年を振り返る…… 』
という意味合いのショーになるのは、
かなり時代が下がってからなんです。

そりゃそうですよね、
万博で、
初めて見る異国の文化や芸術を
『昔見たことあったなぁ~ 』なんて
懐かしがってたら、少々危ない人です。

パリ万博は、
この1855年から、
約10年周期で
世紀末の1900年まで5回開催されました。
その約50年間で、
現在まで続く、ほぼ全ての
エンターテイメントの基礎が完成します。

それまでの
エンターテイメントと言えば、
王公貴族や特権階級だけが楽しめる
限られた娯楽でした。

それが19世紀末になって、
ようやく、
誰でも、いつでも、
自由に楽しめる環境と内容が、
日常生活に浸透しました。

それ以前に、
定期的な公演なんてありませんし、
夜の外出も、危険過ぎて不可能でした。

イギリスが産業革命で、
大量生産を可能にするまで、
庶民が、
季節ごとの衣服のお洒落を楽しむ……
そんな文化さえ無かったんです。

その状況が一変したのが、
19世紀末のヨーロッパでした。

オペラからオペレッタが誕生し、
アメリカではさらに発展して
ミュージカルとなり、
バラバラで興行していた見世物や曲芸が、
1つにまとまってサーカスになり、
モダンバレエ、モダンダンス、
フレンチカンカンなどの
新たな舞踊が生まれ、
ボードビルなどの既成の芸能が、
大きく変化しました。

映画や舞台照明など
電気を使う技術が出来たのも、
この時代からでした。

そして、
これら全てを詰め込んだ演し物を、
レビューと呼びました。

レビューのレパートリーに、
『世界巡り』があるのは、
レビューが、
万博に因んだアトラクションから
発展したものだったからなんですね。

この『何でもアリ!』のレビューが、
アメリカに渡ると、
『バラエティショー』と呼ばれました。

今回の『VIOLETOPIA』にも、
ボードビル、
モダンバレエ、
サーカス(モダンダンス)、
オペレッタ、
フレンチカンカンが誕生した
キャバレー 、
という順番で登場します。

しかし、

『バラエティショー』と聞けば、
私達に馴染みのある宝塚のレビューとは、
全く違うように感じますよね?

実は、
この『何でもアリ! 』のショーは、
パリ万博に参加した日本の芸能者によって、
宝塚よりも早く、
大正時代初頭には、
日本に紹介されていました。
『浅草オペラ』って言葉を、
聞かれたことはありませんか?

実際には、
純粋なオペラの上演はほとんど無く、
内容的には、
有名なオペラをアレンジしたものや、
オペレッタやレビューが
公演されていました。

でもね、
そのレビューの内容が、
世紀末のヨーロッパを真似た
エログロナンセンスなものだったために、
ごく一部にしか、
受け入れられなかったんです。

この猥雑なショーを、
老若男女、家族で楽しめる
スペクタクルなショーに仕立てたのが、
本格的な
日本初のレビュー『モン・パリ』
演出家 岸田辰彌 でした。

そして、
それをさらに進化させ、
宝塚レビューを完成させたと言われるのが、
岸田の弟子である、
演出家 白井鐵造 です。

宝塚歌劇団が、
後発のOSKやSKDなどと大きく違ったのは、
演じる役者だけでなく、
作家や演出家などの裏方スタッフを、
劇団内で養成したことでした。

そう言うスタッフのことも、
『VIOLETOPIA』の中では、
ショーの重要な要素として扱われています。

またもや、
前置きが長くなりました。
以上のことを、
頭の片隅に留めて置いて下さい。

それでは、
幕開きから順に観て行きましょう。


第1場 追憶の劇場

緞帳が開くと、
そこは廃墟となった劇場。
礼 真琴演じる青年が、
何かに、
吸い寄せられるようにやって来る。

廃墟は、
プロセニアムアーチが装飾された
見るからに西欧の劇場。

パリのフォリー・ベルジェール
舞台稽古の様子。銀橋と同じ、オーケストラピットを囲むエプロンステージが見える。

レビュー発祥の場の1つ、
パリのフォリー・ベルジェール劇場。
元々は、
1869年にオペラ劇場として開場。
その後は、
サーカスや見世物小屋になり、
併設されていた劇場内のバーは、
一時期、娼婦の溜り場になっていた。
マネ作『フォリー・ベルジェールのバー』描かれている女性は、給仕係であり娼婦を兼ねている。

やがて経営に行き詰まり、
1886年、
経営者が変わって、
新たにレビュー劇場としてオープン。
19世紀末から第二次世界大戦まで、
この
フォリー・ベルジェールのような劇場が、
パリには沢山ありました。
因みにフォリー・ベルジェールは、
現在も営業中です。

数奇な運命を辿ってきた様々な劇場たち……

この作品に登場する劇場
『テアトル ヴィオレトピア』
どんな110年を過ごして来たのか?

これから繰り広げられる世界は、
歴史の事実なのか?
誰かの空想の産物なのか?
人々の記憶なのか?
そんな
区別も曖昧な、幻想的な幕開きです。

礼が演じる青年は、
ある場面では役者であり、
また別の場面では、
作品作りに悩む作家、そして演出家…… 
と、
舞台に携わる人々の象徴として、
どんどん変身して行きます。

青年が、
舞台の柱に咲く花=スミレに触れると、
みるみる内に劇場が甦り、
レビュー全盛期の舞台となります。
そこへ、
レビューの美女が妖しく現れ、
青年をレビューの世界へと招きます。

続く場面は、
ボードビル=歌やダンスを取り入れた軽喜劇
使われている曲は、
1966年に
セルジュ・ゲンズブールが作った
『La gadoueぬかるみ』というシャンソン。
今回は、
可愛らしい詞が付けられていますが、
原曲の歌詞も可愛らしいんです(笑)


原曲の歌詞は、
恋に落ちた男女が、
自分たちの様子のことを、
身動きの取れない
『ぬかるみ』にはまった状態だと
自嘲気味に歌っているんですよ。

大地に雨が降り注いで
『ぬかるみ』になるように、
私たちは
恋と水で出来ていて、離れられない…… 

そんな男女の機微が、
原曲では描かれています。

今回のこの場面で、
さらに『こと・なこ』コンビの沼に、
ズブズブと深く沈んだ人が
多くいるでしょう。

第2場 バックステージは虚構

1900年のパリ万博で、
モダンダンスの祖と言われる
イサドラ・ダンカンが
ヨーロッパにデビューしました。

彼女のダンスに触発された
パリのバレエダンサーたちが、
クラシックバレエの枠に囚われない
新しいダンス表現を求めて
始めたのがモダンバレエです。

今や、
どんなショーやミュージカルでも、
ダンスと言えば、
モダンダンス、
モダンバレエが主流ですよね。
そんな歴史を振り返り、
往年の
MGMのミュージカル映画を彷彿とさせる
ロマンチックな場面です。

第3場 サーカス小屋の宿命

先述の通り、
サーカスはレビューの誕生に
大きく関わっています。

どこか不安と、
郷愁を誘うサーカスの一座。
世紀末の雰囲気が濃厚に漂う場面です。

その雰囲気を、
礼がモダンダンスで表現しています。

ムーラン・ルージュのレビューにも、
水槽に放ったニシキヘビと
美女が戯れるというショーがあります。

宝塚のモダンダンスと言えば、
古いファンなら、
アキコ カンダを思い出す方も多いでしょう。
彼女は、宝塚だけでなく、
日本のモダンダンスの第一人者でした。
旧宝塚大劇場閉場の
記念公演で見せた彼女のダンスは、
今も語り草ですよね。

第4場 宮廷と役者と青春

ここからが中詰め。

パンフレットを読むと、
登場人物たちを
『田舎からやって来た役者』
わざわざ書いてあります。

1855年7月。
ドイツ出身の作曲家
ジャック・オッフェンバックが、
シャンゼリゼ通りに
ブフ・パリジャン座をオープンさせました。

オペレッタの歴史は、
この時から始まったと言われています。

やがてオペレッタは、
ボードビルなどの要素も吸収して、
アメリカに渡り、
バラエティショーや
ミュージカルへと発展して行きました。

この中詰め始まりに使われている曲
『Ça balance pas mal à paris』は、
ミッシェル・ベルジェ と
フランス・ギャルが
1976年に歌ったものです。

タイトルは
『パリで当ててやる!』
『パリでノリノリ!』
とでも訳せば良いでしょうか?

オッフェンバックは、
この曲の通り、
パリで一旗を揚げ、
ドイツからフランスに帰化しました。

岸田辰彌や白井鐵造も、
極東の島国から、
はるばる海を越えて、
パリにレビューを学びに来ました。
その2人も、
元は、
岸田が浅草オペラの役者。
白井はオペラの役者に憧れて、
宝塚にやって来た役者志望の青年でした。

そして、
今現実に舞台に立っている
歌劇団の団員たちも、
日本各地から、
スターを夢見て
宝塚にやって来ています。

ここからは、
指田珠子の野心溢れるところ。
レビューの源流をたどるだけでなく、
役者や作家、演出家、
舞台に関わる全ての人の内面をも
描こうとしています。

客席降りに使われている曲
『Lisztomania』リストマニアは、
フランスのバンド Phoenixの2009年の曲。

リストマニアとは、
熱狂的なファンのことを意味する造語です。
原曲の歌詞は、
ポップな曲調に対して、
かなり皮肉です。

熱狂的なファンがいるから、
今の自分たちが存在している。
そんなことは判ってる。
でも、もううんざりなんだ。
一時も気を安められない。
今の状況は、
何時だって手放すことはできる。
でも、そんなことは許してもらえない。
ただ演じ続けるだけだ。
自分たちには『やる』しかない。
ファンに殺されたって良い。
演じ切ることを見せつけてやるだけだ!

と言った内容なんです。
もちろん、
この原曲の歌詞を理解して、
指田女史は選曲しているのでしょう。

Deep Purple の『Highway Star』から、Nightwishの『Ghost River』
そして『Lisztomania』という
この一連の
選曲の感性には感服しました。
本当に、
下手な芝居の台詞以上に、雄弁です。

役者も作家も、時には自惚れ、
自身の不甲斐なさに悩み、
ライバルに
『負けるもんか! 』と奮起する。
正に、
星組パッションが溢れる中詰めです。

中詰め開けは、
第5場 楽屋、燻る憧憬
という、再びボードビルの場を繋ぎにして、
続く
第6場 狂乱の酒・観客・酒  

この場は、
パリのレビューや宝塚が、
長い歴史の中で、
様々な苦難や滅亡に瀕した危機を
表現している場面です。

パリ最古のキャバレーの1つ、
Paradis Latin (パラディ・ラタン)には、
『Champagne』という名曲があります。
余計な話ですが、
Champagne=シャンパンは、
男性名詞と女性名詞の
両方の意味があるんです。

女性冠詞が付いた
la champagne(ラ シャンパーニュ)だと、
産地である地名のことを意味します。
男性冠詞が付いた
le champagne(ル シャンパーニュ)だと、
飲むシャンパンの意味です。

なので、
わざわざ男役の暁 千星が、
シャンパンの美女
演じているのかもしれません(笑)

その
シャンパンの美女の衣装を見ますと、
1920年代のフラッパードレスの様です。
『狂乱の20年代』と呼ばれた時代。
宝塚では『グレート・ギャッツビー』で
知られていますよね。
それが、
1929年10月24日の
株の大暴落をきっかけに、
世界は大恐慌に陥りました。

アメリカではレビューが消え、
ヨーロッパでは
再び戦争が始まって、
娯楽どころではなくなりました。
やがて日本も、
長い戦争に突入して、
宝塚も、劇場が閉鎖されました。

世の中に、何か一大事があると、
真っ先に影響を受けるのは娯楽です。
特に、
観客を集めなければ成立しない
舞台芸術は、
最も影響を受けてしまいます。

皆さんも、
ご記憶があるでしょう?
コロナ禍になった2020年の始めを。
瞬く間に、
ほぼ全国の劇場が
止まってしまいましたよね。

観客やファンは、
ある時は、
中詰めの『Lisztomania』の歌詞のように、
作家や役者を自惚れさせたり、
休む隙も与えないほど、
熱狂的になります。

しかし、

観客やファンが消えてしまえば、
一瞬で、
役者もスタッフも、劇場も消滅します。

全てを与えるのも、
また
全てを奪うのも、
世の中=観客なんです。

第7場 孤独

全てを失った、
あるいは奪われた青年は、
暗闇に取り残されます。

ライトの下に、
それぞれの場の象徴が浮かび上がります。
ダンサー(天華)、スタッフ(暁)、
作家(天飛)、
レビューの源流であるサーカス(極美)。
そして、
セルヴァーズ=女性給仕(舞空)。
フレンチカンカンを始めたのは、
パリの酒場の
名もなき女給たちでした。

現れては、消え失せて行く幻たち……

誰のために、
歌い、踊り、演じ続けるのか?
何のために、
終わることのない研鑽を重ねるのか?
激しく懊悩する青年は、
やがて、
一つの答えを見つけます。
『ただ、愛おしい…… 』
愛おしいと思うもののために、
この終わりのない旅を続ける。
そう決意した青年は、
再び歩き始めます。


登場した礼が、
なんでロミオの旅姿みたいな格好なんだ?
と不思議だったんです。
どうやら指田 女史は、
青年を『時の旅人』のように
表現したかったんでしょうね。

第8場 エントランス・ノスタルジー

天華えま が歌う『As Time Goes By』は、
映画『カサブランカ』の挿入歌。
『時の過ぎゆくままに』のタイトルで
日本人にはお馴染みですが、
実際は、
どんなに時が過ぎようともと訳す。

今公演で旅立つて行く4名は、
どんなに時が過ぎようと、
ファンはきっと忘れないでしょう。

第9場 音符に翻弄され

ここでようやく、
レビューには欠かせない音楽と、
星組へのオマージュ。

1987年の1月公演は、
峰さを理 率いる星組公演でした。
お芝居は、
ミュージカル・ロマン
『紫子』ーとりかえばや異聞ー  と、
グランド・ショー
『ジュビリー・タイム!』の2本立て。

この時のラインダンスが、
『指揮者とロケット』でした。

指揮者 左から
麻路さき、三城 礼、あずみれいか、燁 明

礼はミネちゃんを敬愛していますしね。
70周年の幕開けも、
ミネちゃんのトップ御披露目公演でした。

第10場 大階段・継承

曲は、
1987年リリース
エルトン・ジョンの『The King Must Die』

これはきっと、
礼 真琴のサヨナラショーの
ナンバーに入るでしょう。

おそらく、
指田 女史の心の内には、
『私が考える、礼真琴のサヨナラ公演』
という気持ちがあったのでは? …… ……
などと思ってしまう。

第11場 大階段・デュエット

使われている曲は、
1968年のフランシス・レイ
『白い恋人たち』13 Jours en France
原曲は、
グルノーブル冬季オリンピックの
記録映画のテーマ曲で、
『フランスでの13日間』というタイトル。

日本ではどういう訳か、
悲しい恋の歌になってしまっているけれど、
原曲は
『あの感動した日々を忘れない』と、
かなりロマンチックな歌になっています。

確かに、
この礼・舞空トップコンビは、
忘れられないコンビになりましたね。

このショーは、
きっと遠くはない
有終の美を飾るであろう時の、
序章のような気がします。


と、
今回も長文をお読み頂き、
まことにありがとうございます。






何も考えずに取ったチケットが、
110周年記念公演の幕開け初日になった。

周年の記念公演に巡り会うのは、
もう何回目になるのだろう……
物心がついた時に、
スータンがいたのは確かだ。
エイコさんに、
ヨッちゃんやイナちゃん、
ウマさんミッちゃんもいた……
因みに、
スータンは真帆志ぶき
エイコさんは天津乙女
ヨッちゃんは春日野八千代
イナちゃんは神代錦
ウマさんは美吉左久子
ミッちゃんは大路三千緒
他にも、
美山しぐれ、瑠璃豊美、水穂葉子、
沖ゆき子、三鷹恵子、淡路通子、水代玉藻……
もう知らない人の方が多いだろう。
考えると
『歳を食った』という結論しか出てこないので、
止めておこう。
どうでも良い話なので、
小さい文字で、お伝えしています。

そう言えば、
70周年の幕開けも星組だった。
ミネちゃんこと
峰さを理と南風まい の
トップコンビ御披露目公演でもあった。
清荒神へ二年詣りをして、
眠い目を擦りながら、
元日の旧大劇場の
柱の前の席に座ったのを覚えている。

ショーちゃんの
光源氏を見たのも元日だったし、
ターコのサヨナラ公演も
元日だったなぁ……
『花夢幻』を歌っていたのは、
とんちゃん=毬谷友子だったなぁ……
草笛雅子、白銀あけみ、尚すみれ、
モサクにカリンチョ、お菓子じゃないですよ
イチロは娘役で抜擢されて……
などと、古いことばかり思い出す。

やはり正月公演というものは、
何だかワクワクして、
気分的にも嬉しいものだ。
だから
何年経っても、覚えているのだろう。

今回の星組公演も、
きっと、
忘れられない二作品になるに違いない。

まだ
開いたばかりなので、
作品の内容を詳しくは書かないけれど、
実に、
ロマン溢れる二作品だ。

谷 貴矢  脚本・演出
Based on SS Rajamouli’s ‘RRR’.
『RRR × TAKA"R"AZUKA ~√Bheem~』は、
製作が発表されてから、
話題に事欠かない注目作品だった。

谷 貴矢と星組は、
昨年の『赤と黒』以来のタッグ。
大劇場作品は、
一昨年の
花組公演『元禄バロックロック』
に続く二作目になる。

今回も、
率直に言って、面白い。
ただ贅沢を言えば、
もう少し工夫も欲しい。

言い方を替えれば、

映画ファンを
納得させようとするところは判った。
後は、
舞台表現の限界を、
谷 貴矢ならどうするのか?
というのを観てみたいのだ。

ビームとラーマが
親交を深めるところやアクションなどは、
これから公演回数を経れば、
もっと良くなるだろう。

礼のビームは、
主役を演じながら、
筋も追わなければならない
難しい役になっている。
上演時間が長ければ、
ビームがもっと描けただろう。
この点が、少々残念だ。

特に暁と極美慎は、
前作の『1789』で自信を付け、
役者ぶりが一段と良くなった。
礼と暁の息も合っている。

役として為所がない
ジェニーを、
ヒロイン足らしめているのは、
舞空 瞳の力量だろう。

天華えまの自由自在さ、
天飛華音の愛嬌、
稀惺かずとの素直さ、
各々が、
ちゃんと役割を果たしている。

欲を言えば、
キャラが被っている
天華と天飛には、
もっと違いがあって良いだろう。
天華の工夫に期待したい。

水の精の希沙 薫、水乃ゆり、
火の精の夕渚りょう、鳳花るりな、
を始めとするダンサーたちの
表現力も良い。

小桜ほのか と 碧海さりお は、
『赤と黒』と『1789』に引き続いて、
小憎らしい悪役を楽しんでいるようだ。

輝咲玲央は、
ただの悪人ではない、
人種差別や国家の犯罪をハッキリ見せる
説得力がある。
大輝真琴の
気の良いインドの親爺は、この人の本領。
それに付き合う
白妙なつ のおかみさんもピッタリだ。

出番の少ないシータの詩ちづる は、
これまでも、
似たような役柄を演じているけれど、
しっかり』した耐える娘を見せている。
ただ、
余りに『しっかり』し過ぎると、
老けた感じになるので注意が必要だ。
シータはビームを、
説得しに来た訳ではない。

マッリを演じる瑠璃花夏は、
前作『1789』に続いて少女の役。
この人は、とにかく芝居が上手い。

最後に、
小道具さんに注文を。
あの『毒ヘビ』に、
蛍光塗料か蓄光塗料でも
塗ることはできないだろうか?
薄暗い上に、逆光で、
ハッキリ『毒ヘビ』とは判らない。

以上が、
お芝居のざっとした感想だ。


続いては、
指田珠子 作・演出
レビュー・シンドローム
『VIOLETOPIA(ヴィオレトピア)』

作、演出の指田珠子は、
これが大劇場デビュー作品だ。

昨年、
同じく大劇場デビューとなった
演出家 栗田優香と、
このところ女性作家の活躍が目覚ましい。

そして
栗田作品も、指田作品も、
今どきの女性らしい『こだわり』が、
ギッシリ詰まっている。

ただ、
その『こだわり』が、
観客に
どこまで理解してもらえるか?
それが問題だろう。

栗田作品は、
芥川龍之介だったけれど、
指田作品は、
カフカやランボーの作品のように、
シュールで、
カラフルな世界が広がっている。

このシュールさを、
何だかわからん
難しい……
としか思ってもらえないなら、
意味がない。

礼が、
少年か青年かの区別がつかぬ、
中性的な魅力を振り撒いている。
まさに『粉薬』だ。

バックステージの場の
暁には、
現実と夢の違いに、
もっと芝居心が欲しい。

舞空が、
各場のキャラクターを的確に表現している。
欲を言えば、
プロローグで礼を誘惑するところを、
もっと突っ込んだ表現でも良いだろう。
後半の
黒ずくめのセルヴァーズとの対比が出れば、
もっと楽しいはずだ。

この公演で退団する
天華えま が良い。
白のフロックで踊っていても、
品の良い色気がある。
フィナーレ前のエントランスの場。
トレンチにソフトを被った姿を見ると、
何だか若い頃のシメ=紫苑ゆう に思えた。
実に惜しい。
ちょっと絡んで出る
大輝真琴の洒脱さも、これが見納め。
残ってくれる人だと思っていたから、
ただ、ただ残念だ。

芝居にもショーにも、
2階席まで客席降りが付く。
お年玉という感じで、
客席は大喜びだ。

このショーも、
これからの進化に期待したい。


この画像は、
終演後の大劇場ロビーに続く、
スロープを撮影してみた。

点々と散らばる赤いものは、
大劇場のカーペットが、
観客の靴で削られたものだ。

昨年の雪組公演が千秋楽を迎えた後、
例年通り、
大劇場の大掃除が行われた。
だから、
大劇場の改札を一足入ると、
フカフカのカーペットが出迎えてくれる。

足も嬉しい初芝居。
この一年が、
素晴らしい記念の年になるよう、
心から祈っている。


詳しい感想は、また後日に。