毎度、

御贔屓を賜りまして

ありがとうございます。


近畿地方では、

1月15日までが松の内。

小豆粥を食べる小正月までが、

お正月期間です。

東京やら一部の地域では、

七草粥の人日の節句までがお正月。


根っからのボンヤリ者の私は、

松の内は

さらに輪をかけて

ボンヤリ、のんびりと

お屠蘇気分を楽しませて頂きました。


2回目の星組観劇は、

1月17日。


そう言えば、

あの時のあの日の公演は、

安寿ミラの

サヨナラ公演真っ最中だったなぁ……  と、

もう29年前と言う歳月に、

ただ、ただ、

驚くばかりです。


改めて、

能登の方々のご息災を、

ひたすらお祈り申し上げます。



さて、


1月17日の席に着きますと、

なんだか、どっかで、

見たような後頭部が目に入りまして…… 


休憩時間になって

高橋英樹 御夫妻だったと気付きました。

御両人とも、

お元気そうで何よりのことです。


で、


そんな話を友人にしておりましたら、

VIOLETOPIAが難しい…… 

と話題を変えられまして


まぁねぇ、

見てもないことを、

自慢気に『見た! 見た! 』と

話されてもねぇ……

確かに、

私が悪うございました(笑)


そうしますと、

似たような内容のメールを

頂戴しましたので、

千穐楽まで一週間となりましたし、

それならまた

『わたくし流』の解釈を書いてみるかと、

筆を取った次第です。


と言う訳で、

盛大に

ネタバレのオンパレードを致します。

何とぞご了承下さい。


念のため、

解釈は

あくまでも『あさじ流』でございます。

真意のほどは、

指田珠子をムチ打ちにでもして、

跪かせ、白状させて下さい。


では、

指田珠子 作・演出

  レビュー・シンドローム

VIOLETOPIA

について。



『VIOLETOPIA』とは、

ヴィオレット=すみれ と、

トピア=場所や郷、一種の国や地域。

という意味のラテン語を

組合わせた造語です。


場所や郷、

一種の国や地域と書きましたが、

まぁどちらかと言えば、

具体的な、存在する場所ではなく、

思い描く場所 = 風景や情景

と理解した方が良いかもしれません。


なので

VIOLETOPIA

=みれで思い浮かべる場所

=宝塚歌劇団

という『連想』をするなら、

かなりストレートな

タイトルになっています。


そして内容は、

『レビューの源流をたどる』by 指田珠子

とでも言えば良いでしょうかね。

宝塚歌劇団110年を振り返り、

『指田珠子なら、こうアレンジする』

という、

こだわり野心に満ちた作品です。


なので、

『レビューとは? 』を知っていないと、

これは理解するより、

感じろ!なのか?

などと、

異次元の感想を言う人になってしまうので、

とにかく、

『レビューの源流』

を知らなくてはなりません。


『レビューのお話』という
とんでもなく長い内容を書いていました。
お時間のある方は、
ちょいと覗いてみて下さい。
ご参考になれば幸いです。

ただ、
このクソ忙しい時に、
読んでられっか! 

という方もいらっしゃるでしょうから、
掻い摘まんで説明しておきますね。


レビューは、
1855年第1回パリ万博を機に誕生しました。

イギリスの産業、工業に対し、
フランス皇帝 ナポレオン3世は、
文化、芸術で対抗しようとしたんですね。
そのために、
世界各国から、
様々な文物、文化、芸術を、
万博のため一堂に集めたんです。

レビューと言えば、
『巻き戻す』『振り返る』という
意味だと思ってらっしゃる方が
多いんです。
専門家の人でも
勘違いしてたりするんですよ。

でも当時は
『検証する』『じっくり見る』という
意味で使われていました。

レビューが、
『一年を振り返る…… 』
という意味合いのショーになるのは、
かなり時代が下がってからなんです。

そりゃそうですよね、
万博で、
初めて見る異国の文化や芸術を
『昔見たことあったなぁ~ 』なんて
懐かしがってたら、少々危ない人です。

パリ万博は、
この1855年から、
約10年周期で
世紀末の1900年まで5回開催されました。
その約50年間で、
現在まで続く、ほぼ全ての
エンターテイメントの基礎が完成します。

それまでの
エンターテイメントと言えば、
王公貴族や特権階級だけが楽しめる
限られた娯楽でした。

それが19世紀末になって、
ようやく、
誰でも、いつでも、
自由に楽しめる環境と内容が、
日常生活に浸透しました。

それ以前に、
定期的な公演なんてありませんし、
夜の外出も、危険過ぎて不可能でした。

イギリスが産業革命で、
大量生産を可能にするまで、
庶民が、
季節ごとの衣服のお洒落を楽しむ……
そんな文化さえ無かったんです。

その状況が一変したのが、
19世紀末のヨーロッパでした。

オペラからオペレッタが誕生し、
アメリカではさらに発展して
ミュージカルとなり、
バラバラで興行していた見世物や曲芸が、
1つにまとまってサーカスになり、
モダンバレエ、モダンダンス、
フレンチカンカンなどの
新たな舞踊が生まれ、
ボードビルなどの既成の芸能が、
大きく変化しました。

映画や舞台照明など
電気を使う技術が出来たのも、
この時代からでした。

そして、
これら全てを詰め込んだ演し物を、
レビューと呼びました。

レビューのレパートリーに、
『世界巡り』があるのは、
レビューが、
万博に因んだアトラクションから
発展したものだったからなんですね。

この『何でもアリ!』のレビューが、
アメリカに渡ると、
『バラエティショー』と呼ばれました。

今回の『VIOLETOPIA』にも、
ボードビル、
モダンバレエ、
サーカス(モダンダンス)、
オペレッタ、
フレンチカンカンが誕生した
キャバレー 、
という順番で登場します。

しかし、

『バラエティショー』と聞けば、
私達に馴染みのある宝塚のレビューとは、
全く違うように感じますよね?

実は、
この『何でもアリ! 』のショーは、
パリ万博に参加した日本の芸能者によって、
宝塚よりも早く、
大正時代初頭には、
日本に紹介されていました。
『浅草オペラ』って言葉を、
聞かれたことはありませんか?

実際には、
純粋なオペラの上演はほとんど無く、
内容的には、
有名なオペラをアレンジしたものや、
オペレッタやレビューが
公演されていました。

でもね、
そのレビューの内容が、
世紀末のヨーロッパを真似た
エログロナンセンスなものだったために、
ごく一部にしか、
受け入れられなかったんです。

この猥雑なショーを、
老若男女、家族で楽しめる
スペクタクルなショーに仕立てたのが、
本格的な
日本初のレビュー『モン・パリ』
演出家 岸田辰彌 でした。

そして、
それをさらに進化させ、
宝塚レビューを完成させたと言われるのが、
岸田の弟子である、
演出家 白井鐵造 です。

宝塚歌劇団が、
後発のOSKやSKDなどと大きく違ったのは、
演じる役者だけでなく、
作家や演出家などの裏方スタッフを、
劇団内で養成したことでした。

そう言うスタッフのことも、
『VIOLETOPIA』の中では、
ショーの重要な要素として扱われています。

またもや、
前置きが長くなりました。
以上のことを、
頭の片隅に留めて置いて下さい。

それでは、
幕開きから順に観て行きましょう。


第1場 追憶の劇場

緞帳が開くと、
そこは廃墟となった劇場。
礼 真琴演じる青年が、
何かに、
吸い寄せられるようにやって来る。

廃墟は、
プロセニアムアーチが装飾された
見るからに西欧の劇場。

パリのフォリー・ベルジェール
舞台稽古の様子。銀橋と同じ、オーケストラピットを囲むエプロンステージが見える。

レビュー発祥の場の1つ、
パリのフォリー・ベルジェール劇場。
元々は、
1869年にオペラ劇場として開場。
その後は、
サーカスや見世物小屋になり、
併設されていた劇場内のバーは、
一時期、娼婦の溜り場になっていた。
マネ作『フォリー・ベルジェールのバー』描かれている女性は、給仕係であり娼婦を兼ねている。

やがて経営に行き詰まり、
1886年、
経営者が変わって、
新たにレビュー劇場としてオープン。
19世紀末から第二次世界大戦まで、
この
フォリー・ベルジェールのような劇場が、
パリには沢山ありました。
因みにフォリー・ベルジェールは、
現在も営業中です。

数奇な運命を辿ってきた様々な劇場たち……

この作品に登場する劇場
『テアトル ヴィオレトピア』
どんな110年を過ごして来たのか?

これから繰り広げられる世界は、
歴史の事実なのか?
誰かの空想の産物なのか?
人々の記憶なのか?
そんな
区別も曖昧な、幻想的な幕開きです。

礼が演じる青年は、
ある場面では役者であり、
また別の場面では、
作品作りに悩む作家、そして演出家…… 
と、
舞台に携わる人々の象徴として、
どんどん変身して行きます。

青年が、
舞台の柱に咲く花=スミレに触れると、
みるみる内に劇場が甦り、
レビュー全盛期の舞台となります。
そこへ、
レビューの美女が妖しく現れ、
青年をレビューの世界へと招きます。

続く場面は、
ボードビル=歌やダンスを取り入れた軽喜劇
使われている曲は、
1966年に
セルジュ・ゲンズブールが作った
『La gadoueぬかるみ』というシャンソン。
今回は、
可愛らしい詞が付けられていますが、
原曲の歌詞も可愛らしいんです(笑)


原曲の歌詞は、
恋に落ちた男女が、
自分たちの様子のことを、
身動きの取れない
『ぬかるみ』にはまった状態だと
自嘲気味に歌っているんですよ。

大地に雨が降り注いで
『ぬかるみ』になるように、
私たちは
恋と水で出来ていて、離れられない…… 

そんな男女の機微が、
原曲では描かれています。

今回のこの場面で、
さらに『こと・なこ』コンビの沼に、
ズブズブと深く沈んだ人が
多くいるでしょう。

第2場 バックステージは虚構

1900年のパリ万博で、
モダンダンスの祖と言われる
イサドラ・ダンカンが
ヨーロッパにデビューしました。

彼女のダンスに触発された
パリのバレエダンサーたちが、
クラシックバレエの枠に囚われない
新しいダンス表現を求めて
始めたのがモダンバレエです。

今や、
どんなショーやミュージカルでも、
ダンスと言えば、
モダンダンス、
モダンバレエが主流ですよね。
そんな歴史を振り返り、
往年の
MGMのミュージカル映画を彷彿とさせる
ロマンチックな場面です。

第3場 サーカス小屋の宿命

先述の通り、
サーカスはレビューの誕生に
大きく関わっています。

どこか不安と、
郷愁を誘うサーカスの一座。
世紀末の雰囲気が濃厚に漂う場面です。

その雰囲気を、
礼がモダンダンスで表現しています。

ムーラン・ルージュのレビューにも、
水槽に放ったニシキヘビと
美女が戯れるというショーがあります。

宝塚のモダンダンスと言えば、
古いファンなら、
アキコ カンダを思い出す方も多いでしょう。
彼女は、宝塚だけでなく、
日本のモダンダンスの第一人者でした。
旧宝塚大劇場閉場の
記念公演で見せた彼女のダンスは、
今も語り草ですよね。

第4場 宮廷と役者と青春

ここからが中詰め。

パンフレットを読むと、
登場人物たちを
『田舎からやって来た役者』
わざわざ書いてあります。

1855年7月。
ドイツ出身の作曲家
ジャック・オッフェンバックが、
シャンゼリゼ通りに
ブフ・パリジャン座をオープンさせました。

オペレッタの歴史は、
この時から始まったと言われています。

やがてオペレッタは、
ボードビルなどの要素も吸収して、
アメリカに渡り、
バラエティショーや
ミュージカルへと発展して行きました。

この中詰め始まりに使われている曲
『Ça balance pas mal à paris』は、
ミッシェル・ベルジェ と
フランス・ギャルが
1976年に歌ったものです。

タイトルは
『パリで当ててやる!』
『パリでノリノリ!』
とでも訳せば良いでしょうか?

オッフェンバックは、
この曲の通り、
パリで一旗を揚げ、
ドイツからフランスに帰化しました。

岸田辰彌や白井鐵造も、
極東の島国から、
はるばる海を越えて、
パリにレビューを学びに来ました。
その2人も、
元は、
岸田が浅草オペラの役者。
白井はオペラの役者に憧れて、
宝塚にやって来た役者志望の青年でした。

そして、
今現実に舞台に立っている
歌劇団の団員たちも、
日本各地から、
スターを夢見て
宝塚にやって来ています。

ここからは、
指田珠子の野心溢れるところ。
レビューの源流をたどるだけでなく、
役者や作家、演出家、
舞台に関わる全ての人の内面をも
描こうとしています。

客席降りに使われている曲
『Lisztomania』リストマニアは、
フランスのバンド Phoenixの2009年の曲。

リストマニアとは、
熱狂的なファンのことを意味する造語です。
原曲の歌詞は、
ポップな曲調に対して、
かなり皮肉です。

熱狂的なファンがいるから、
今の自分たちが存在している。
そんなことは判ってる。
でも、もううんざりなんだ。
一時も気を安められない。
今の状況は、
何時だって手放すことはできる。
でも、そんなことは許してもらえない。
ただ演じ続けるだけだ。
自分たちには『やる』しかない。
ファンに殺されたって良い。
演じ切ることを見せつけてやるだけだ!

と言った内容なんです。
もちろん、
この原曲の歌詞を理解して、
指田女史は選曲しているのでしょう。

Deep Purple の『Highway Star』から、Nightwishの『Ghost River』
そして『Lisztomania』という
この一連の
選曲の感性には感服しました。
本当に、
下手な芝居の台詞以上に、雄弁です。

役者も作家も、時には自惚れ、
自身の不甲斐なさに悩み、
ライバルに
『負けるもんか! 』と奮起する。
正に、
星組パッションが溢れる中詰めです。

中詰め開けは、
第5場 楽屋、燻る憧憬
という、再びボードビルの場を繋ぎにして、
続く
第6場 狂乱の酒・観客・酒  

この場は、
パリのレビューや宝塚が、
長い歴史の中で、
様々な苦難や滅亡に瀕した危機を
表現している場面です。

パリ最古のキャバレーの1つ、
Paradis Latin (パラディ・ラタン)には、
『Champagne』という名曲があります。
余計な話ですが、
Champagne=シャンパンは、
男性名詞と女性名詞の
両方の意味があるんです。

女性冠詞が付いた
la champagne(ラ シャンパーニュ)だと、
産地である地名のことを意味します。
男性冠詞が付いた
le champagne(ル シャンパーニュ)だと、
飲むシャンパンの意味です。

なので、
わざわざ男役の暁 千星が、
シャンパンの美女
演じているのかもしれません(笑)

その
シャンパンの美女の衣装を見ますと、
1920年代のフラッパードレスの様です。
『狂乱の20年代』と呼ばれた時代。
宝塚では『グレート・ギャッツビー』で
知られていますよね。
それが、
1929年10月24日の
株の大暴落をきっかけに、
世界は大恐慌に陥りました。

アメリカではレビューが消え、
ヨーロッパでは
再び戦争が始まって、
娯楽どころではなくなりました。
やがて日本も、
長い戦争に突入して、
宝塚も、劇場が閉鎖されました。

世の中に、何か一大事があると、
真っ先に影響を受けるのは娯楽です。
特に、
観客を集めなければ成立しない
舞台芸術は、
最も影響を受けてしまいます。

皆さんも、
ご記憶があるでしょう?
コロナ禍になった2020年の始めを。
瞬く間に、
ほぼ全国の劇場が
止まってしまいましたよね。

観客やファンは、
ある時は、
中詰めの『Lisztomania』の歌詞のように、
作家や役者を自惚れさせたり、
休む隙も与えないほど、
熱狂的になります。

しかし、

観客やファンが消えてしまえば、
一瞬で、
役者もスタッフも、劇場も消滅します。

全てを与えるのも、
また
全てを奪うのも、
世の中=観客なんです。

第7場 孤独

全てを失った、
あるいは奪われた青年は、
暗闇に取り残されます。

ライトの下に、
それぞれの場の象徴が浮かび上がります。
ダンサー(天華)、スタッフ(暁)、
作家(天飛)、
レビューの源流であるサーカス(極美)。
そして、
セルヴァーズ=女性給仕(舞空)。
フレンチカンカンを始めたのは、
パリの酒場の
名もなき女給たちでした。

現れては、消え失せて行く幻たち……

誰のために、
歌い、踊り、演じ続けるのか?
何のために、
終わることのない研鑽を重ねるのか?
激しく懊悩する青年は、
やがて、
一つの答えを見つけます。
『ただ、愛おしい…… 』
愛おしいと思うもののために、
この終わりのない旅を続ける。
そう決意した青年は、
再び歩き始めます。


登場した礼が、
なんでロミオの旅姿みたいな格好なんだ?
と不思議だったんです。
どうやら指田 女史は、
青年を『時の旅人』のように
表現したかったんでしょうね。

第8場 エントランス・ノスタルジー

天華えま が歌う『As Time Goes By』は、
映画『カサブランカ』の挿入歌。
『時の過ぎゆくままに』のタイトルで
日本人にはお馴染みですが、
実際は、
どんなに時が過ぎようともと訳す。

今公演で旅立つて行く4名は、
どんなに時が過ぎようと、
ファンはきっと忘れないでしょう。

第9場 音符に翻弄され

ここでようやく、
レビューには欠かせない音楽と、
星組へのオマージュ。

1987年の1月公演は、
峰さを理 率いる星組公演でした。
お芝居は、
ミュージカル・ロマン
『紫子』ーとりかえばや異聞ー  と、
グランド・ショー
『ジュビリー・タイム!』の2本立て。

この時のラインダンスが、
『指揮者とロケット』でした。

指揮者 左から
麻路さき、三城 礼、あずみれいか、燁 明

礼はミネちゃんを敬愛していますしね。
70周年の幕開けも、
ミネちゃんのトップ御披露目公演でした。

第10場 大階段・継承

曲は、
1987年リリース
エルトン・ジョンの『The King Must Die』

これはきっと、
礼 真琴のサヨナラショーの
ナンバーに入るでしょう。

おそらく、
指田 女史の心の内には、
『私が考える、礼真琴のサヨナラ公演』
という気持ちがあったのでは? …… ……
などと思ってしまう。

第11場 大階段・デュエット

使われている曲は、
1968年のフランシス・レイ
『白い恋人たち』13 Jours en France
原曲は、
グルノーブル冬季オリンピックの
記録映画のテーマ曲で、
『フランスでの13日間』というタイトル。

日本ではどういう訳か、
悲しい恋の歌になってしまっているけれど、
原曲は
『あの感動した日々を忘れない』と、
かなりロマンチックな歌になっています。

確かに、
この礼・舞空トップコンビは、
忘れられないコンビになりましたね。

このショーは、
きっと遠くはない
有終の美を飾るであろう時の、
序章のような気がします。


と、
今回も長文をお読み頂き、
まことにありがとうございます。