海を渡ればー怒涛の北米大陸 第3話ー | ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

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海外生活28年、現地でのオモロ苦労話や、時々する旅話をつぶやいています。

11月中旬、晴れたり雨降ったりと忙しい真夏のニュージーランドです。

 

祝 海外生活25周年

 

を勝手に記念し、今までの道のりを綴っております。

 

弱すぎて海外生活は無理だと言われていた私の

語学力もなーんのスキルもない私の、

海外移住物語です(^_^)/

 

初回からはこちら↓をご覧ください。

 

 

サンフランシスコに2か月滞在し、カナダで1年間ワーホリをするというツアープランでやってきたアメリカ。

滞在していたマルチネスという場所はサンフランシスコからバートという電車とバスをつかい2時間くらいかかる所にありました。

 

緑の丘と木々に囲まれた道、近くにコンビ二などなく遠い店ですら夕方には終わってしまい、週末にはバスで行かなくてはならないモールだけが開いているのに、そのバスが運休。

 

1時間ほど歩きそのモールに行くと日本人仲間の誰かに会い、初めて知ったシズラーのバイキングで食べまくり、ショッピングをする。

 

日本とは違うお店、日本にはない食べ物、日本では見た事のないでっかいスーパーマーケット。

そんなものに日本人仲間と日本語で驚き、学校が終われば現地オフィスに行き日本語で語る。

 

そんなマルチネスでの留学生活が続きました。

 

 

言葉の発展はなかなか見られなかったけれど、アメリカで過ごしていくうちに日本と違う文化について学ぶ事は沢山ありました。

 

マルチネスはのんびりとした小さな町で障害を持つ方が多く住んでいました。

アメリカで学んだのは、個人主義という冷たいようで暖かい考え方でした。

 

日本にいた時は、積極的に募金活動があったり手伝ったりする事が推奨されていたと思います。

でもこのマルチネスではそんな手を差し伸べる人などいませんでした。

かといって不親切ではなく、バスはすべて車いすで乗り降りできるものでしたし、道も段差がなく、あちこちにスロープが取り付けられていました。

 

手の動きが鈍く小銭を出すのに手間取っていても、ずっと待つ。

手伝ってと言われれば手伝いますが、言われなければずっと待つ。

 

ホームスティ先には時々ホストマザー、マリアのおじさんが遊びにきましたが手が不自由でいつも靴紐に手間取り玄関に行ってからすごく時間がかかります。

マリアとおばさんはその横でずっとおしゃべりしているだけで、おじさんは時間がかかってもいつも一人で結びきっていました。

そうして満足気に手を振って帰っていくのです。

 

募金活動も日常的で、学校にはよく子供たちがお菓子を売りにきていました。

売り上げの何%かが募金されるようで、テレビで大々的にやらなくても募金活動って出来るんだな、と思ったことを覚えています。

 

サンフランシスコのある学校を通り過ぎた時、コートの中でバスケットをしている子たちがいてその中に一人車イスの子が混じっていました。

ルールは多少違うでしょうけど、全く違和感がありません。

彼らの笑顔が同じだったからです。

 

日本にいた時、私は目がつり上がっていたかもね。

 

生き苦しくなって日本を飛び出して見た世界は、なんだかとても広く感じました。

 

海外(イメージ)

 

 

つづく。

 

 

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