ビルマ | ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

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海外生活28年、現地でのオモロ苦労話や、時々する旅話をつぶやいています。

2015年ミャンマーの旅には、ゴールデンロックの他にもう一つ、大切な目的がありました。



チャイティーヨーからヤンゴンに向かうバス車内、沈みゆく夕日を見ながら、私は一人の友人の事を考えていました。


「華麗なる同居人」の記事でも紹介している、NZで最初の同居人はミャンマー出身でした。


2003年に出会った時、彼女は10年間ミャンマーには帰っていませんでした。
政治的な理由で国を出た後いろいろな国で永住権取得に挑戦していて、私と出会った頃は、ちょうどNZのパスポートを取得した所で、3カ月後ロンドンに行くための準備をしている時でした。

長く住める家を探していた私が、3カ月しか住めない市内から離れた家に決めたのは、彼女の人柄があったからかもしれません。

逞しく、それでいて繊細で、真っ直ぐな人。

日本に2年くらいいた事もあり、少し日本語を話すこともできます。

宗教上の理由で、お肉は冷蔵庫での保管も、同じフライパンでの調理も禁止でした。
トイレットペーパーはなく、水の桶が置いてあるのみでした。

彼女の部屋には自分の宗教のお札(みたいなやつ)とアウンサンスーチーさんの写真が大切に飾られていました。

まだガイド研修中で、しかもSARSの影響でぐーんと観光客が減り仕事がなかった私は、彼女と行動することが多く車であちこち連れて行ってもらったり、日本でもやっていたと、市内中心部にある日本関係のお店でアクセサリーを作って売るという露店を開いた時もありました。

「人を指さしすると、一本は相手に向いているけど、3本の指は自分に向いている」
だから、悪口を言えば3人から言われる、悪い事をすれば3人からやられる。

と教えてくれた事は、今でもしっかり覚えています。

国籍を捨て、NZ人としてロンドンに渡る時、捨てる荷物の中に入れたミャンマーのパスポートを、いつまでも愛おしそうに見ていた、彼女。

あれからさらに時はすぎ、彼女はもう、20年以上母国に戻っていません。

今回、ミャンマーに行く事を彼女に伝えると、いろいろなおススメの場所を教えてくれました。
彼女がヤンゴン出身だったことを知り、住んでいた辺りの目印を教えてもらいました。

明日は、彼女と、そして同じくミャンマーを出た彼女の家族に、今のヤンゴンを伝えようと思いながら、私はずっと夕日を眺めていました。